カメルーン生活:お札がくさい

 

カメルーンでは、CFA(セーファフラン)という通貨を使っていて、中部アフリカ六カ国(カメルーン中央アフリカコンゴ共和国赤道ギニアガボン、チャド)で共通の通貨です。

1EUR=655.957FCFAの固定レートなので、100cfa = 20円くらいと計算しています。

  

カラフルでかわいいお札なのですが、 日本やアメリカでは絶対に見ないような汚いお札によく出会います。

もちろん匂う!

 

f:id:yaskolnikov:20171119193821j:plain

3メートルくらい離れていても、風下にいればプーンと匂ってきます。

 

六カ国共通だから、国境を越えてはるばる旅してきているお札もあるわけで。

いろいろな人の汗と涙とホコリと土と、その他いろいろなもの・・・

上の写真並みに汚いの(今私のお財布に入っている)を触った後は、とても手を洗いたい感じです。

 

Twitter上記の写真を載せた反応:

 

たしかに!笑

ちなみにこの内藤さんがTwitterで更新しているアフリカ漫画を読むのが最近の日課になっており、すごくおもしろいのでおすすめです。 

 

#汚いお札選手権 へのエントリーもお待ちしています。

 

 

あと悩ましい(?) のが、両替所や、事務所から活動費等を頂く時は一番大きいお札の単位、10,000 cfa の単位で受け取るのですが(そうでないとすごい札束になってしまうし)、街中で10,000 cfa を受け取ってもらえないケースがたくさんあることです。

 

道端の食堂とか、タクシーの運転手さんに10,000 cfa 渡しても、まずお釣りがないと言われます。

日本だと、10,000円札崩すために数百円の買い物したりするの全然OKですが、ここだとそういうわけにもいかず…

 

タクシーに毎日乗って1,000とか2,000 cfa を頻繁に使うので、細かいお札を常に持っておくことが重要なミッションとなり、レストランや大きめのスーパーでは必ず10,000 cfa を出してお釣りをもらいます。

なのに、スーパーでたまたま会計が9,800 cfa とかになると「うあああ!」と残念。(1,000 cfa 札や2,000 cfa 札がほしかった・・・)

 

一方、例えば7,000 cfa のお釣りを 1,000 cfa × 7枚でくれたりすると、

Merci! Merci beaucoup! (大変ありがとうございます!)

という(こんなことで)一喜一憂っぷり。

 

お店で崩してください、と頼んでも普通してくれないのですよね。

だから、現地の人も細かいお札には困ることが多うのですが、商店の人とかタクシー運ちゃんとか、それぞれご近所同士で助け合って補っている感じです。

 

一日に5,000 cfa (約1,000円)も使わない人がたくさんいるのだろうから、

「なんで10,000 cfa (約2,000円)のお釣りすらもらえないのか!」

なんて怒ってはだめですね。

 

日々のコツコツ細かいお札をためる活動が重要です。

 

 

f:id:yaskolnikov:20171119193808j:plain

カメルーン布で作ってもらったお財布も薄汚れてきた…でもかわいいお気に入り (^.^)

 

【読書】 米川正子 「あやつられる難民――政府、国連、NGOのはざまで」

難民問題、大学院の専門とはちょっと違うけど勉強しなきゃと思っており、この本を読むことにしました。

 

あやつられる難民 ──政府、国連、NGOのはざまで (ちくま新書)

あやつられる難民 ──政府、国連、NGOのはざまで (ちくま新書)

 

 

タイトルの通り、難民が政府や国連、NGOの大きな政策・流れの中で「あやつられる」立場となり、自分の意思とは違うところで運命が決まっていってしまう、ということがよくわかりました。今の世界をとりまく難民政策と国際機関・政府・NGOの役割に対して強く警鐘を鳴らす、読み応えのある本です。

 

一方で、現在の体制への批判的な見方とのことなので、読んだら気が重くなるかな、と思いながら読み始めはしたのですが、そういう心構えがあってもやっぱり批判がとても大きいということに驚きました。

 

例えば、

残念ながら、UNHCR職員の多くは、難民保護より自身のキャリア(昇進とサバイバル)を重視していることは事実だ。

という指摘。

ただそういう要素はUNHCRに限らず国連、というかNGO等含めこの業界(他の業界も?)には沢山あると思うけれど、一人一人が結局のところ

「自分が使命としてやること・社会に貢献するつもりでやること」と

「キャリアを構築すること」

のバランスを取り、自分の中で一番のバランスの部分を探りながら仕事しているのだと思うので、「多くの人がキャリアの方を重視」という言い方は乱暴では、と思ったんですが、こういう記述が頻発し、著者によるとそれは「難民を利用してキャリアを構築する」とのことでした。

 

あと、UNHCRの高官が現場出張する時のことについて。

そういう出張は難民問題を肌で理解し現場の関係者とやりとりすることが目的なのに、一方で

UNHCRの現地代表や本部の地域担当者などのキャリアが評価される場でもある。なので、現地代表らはなるべく都合の悪いことを隠すようにベストを尽くす

と書かれていて、あー、そういうことはきっとあるのだろうな、という気持ちと、逆に言うとそれはどこの組織でも(民間セクターでも)多かれ少なかれそういった側面はあるのだろうな、ということです。

それを前提として、例えば私の友達の難民の勉強してきた人たちがそういう現場に行って、そんなに自己防衛ばかりするとは思えません。むしろ志を持って働いている人は(それが何割くらいを占めるのか、私には結局はわからないのだけれど、そんなに悲観的じゃない)、そういう状況でその場の難民の状況の大変さをがんばって伝えるのではないかと思いました。

 

 

これらに限らず本全体にわたって批判が多すぎて逆に中立性を欠いているのでは、

という思いから、途中から少し内容の本筋に集中できないことが度々ありました。

 

同時にもちろん、いろんな場面で志をくじかされることに沢山直面してきた米川先生だから言えることが多々あるのはわかるし、もしかしたらここにも書ききれないもっとひどいこともあるのかもしれないし、現場で前線で活躍してきたから見える非常に重要な指摘が沢山あるのだと思います。

今の日本でここまで難民の現場に深く切り込める人は他にあまりいないのかもしれません。中立的な研究者の立場だから、ここまで厳しく言えるのだと。

また、これまでご自身が携わってきたこと(主にUNHCRの仕事)についてかなり自分に厳しく反省している姿勢も、なかなかできるものではないと思いました。人にも自分にも厳しいのが徹底されていることに頭が下がります。

 

難民支援の現場で働いている他の人の意見を聞いてみたくなりました。

また、難民について学ぶのに良い本・論文があったらぜひおすすめしてほしいです。

【読書】 伊藤詩織 「Black Box」

伊藤詩織さんによる、元TBS記者の山口敬之氏から受けた強姦被害の前後についてと、

こういったことが「どう起こらないようにするか」

「起こってしまった場合、どうしたら助けを得ることができるのか」

を語った手記、Black Boxを読みました。

 

Black Box (文春e-book)

Black Box (文春e-book)

 

 

著者の伊藤詩織さんは、2015年4月に元TBS記者の山口敬之氏からレイプ被害を受け、警察に告訴し、準強姦容疑で捜査されたものの嫌疑不十分で不起訴処分に。今年5月に検察審査会に不服の申し立てをしましたが、9月に「不起訴相当」の議決が出たところでした。

詩織さんは、警察が「よくあることで捜査するのは難しい」となかなか被害届を出させてくれなかったこと等から、「警察にも検察にもたくさんのブラックボックスがあることがわかった」とのコメントをしました。

 


 

普段お酒に強い詩織さんが、意識を失うはずのない酒量で意識を失い完全に記憶が抜け落ちるという状況から、デートレイプドラッグを盛られたのではないかという疑念があります。 

 

詩織さんを糾弾する目的で冤罪だ、という人がいたり、中にはハニートラップとか美人局だとか言う人もいるそうです。

でももし仮にデートレイプドラッグ使ってなかったとしたって、お酒飲んで意識ない人に勝手に性交渉を強いたらレイプ以外の何物でもない。

(状況からそういう風には考えにくいけど、)百歩譲って自分で沢山飲んで泥酔したとしても、誰からも「レイプされていい」理由にはなりえません。

 

いずれにせよ、このような公表することは詩織さんにとって、つらく苦しく恥ずかしいことだらけであり、しかも昔からの夢であったジャーナリストの仕事を日本ですることが困難になるリスクにも直面しながら、詩織さんは顔と名前と共に公表しました。

このように真実を求め正義の為に信じられないような勇気を出したその彼女を更に叩こうとする人たちがいることにひどく悲しくなります。 

 

政権批判と密接に繋がりすぎてしまった 

さらに、この件、政治的なポジションから詩織さんを一生懸命叩く人たちがいるのも気になりました。

なぜなら山口氏が安倍総理に近いところにいて、安倍総理の「御用記者」と呼ばれているような立場の人だから。

 

でも、詩織さん自身は別に政権批判とか本の中でもしていない。

周りに勝手に現政権批判の構図を形作られて、そのせいで問題なことに、詩織さんを擁護することが政権批判とごっちゃになって必要以上に政治的な話になってしまう。

もちろんそういう要素はあるのかもしれないし(逮捕直前まで行ったのに警察の「上からストップがかかった」せいで取りやめになったこととか)、政治と繋げる人の考え方も人それぞれだし、司法の機能に何か後ろ暗そうなところがある部分は徹底的に究明が必要だと思うけれど、

 

なんとなく

 

詩織さんを応援する人=政権批判

逆に

現政権を一生懸命応援したい人⇒詩織さんを叩く

 

となっているせいで、普通にレイプ被害を受けた人の側に立つことがそれ以上のイデオロギーを帯びてしまうおかしな雰囲気があるような。

 

何が言いたいかというと、レイプ被害を受けた人を応援するというのは普通のことなのに、なんとなく政権に楯突きたくない人にとっては自重するような力が目に見えないレベルで働いているとしたらすごくおかしなことだ、ということです。

 

そしてそれが、メディアもそういうとこありそう、と思って暗くなるのです。

 

いずれにせよ、繰り返すけれど、この本を読むと詩織さんの目的は政権批判ではないとわかります。

司法の在り方と、おそらくメディアの在り方にも疑問は投げられてると思うけれど、必要以上に政治的なポジションを述べる為の道具にしたのは、完全に詩織さんとは関係ない人たちなんだとわかりました。

 

「未来について」の本 

話は変わって、 他に読んでて思ったのは、

山口氏がこれまでの社会生活を送ってきた過程で、彼の周りの人は、この人がそういう人だとわかる言動・エピソードを持っている人がいると思うんだけれど、でも誰も声を上げないなあ、ということ。

 

こういうこと言うと「冤罪の可能性は考えないのか!」とまた言われそうだけれど、

事実だけで考えたとして、

  • 一人で歩けない状態の女性(しかもタクシーの運転手の証言では何度も「駅で降ろしてください」と言った)を病院じゃなくてホテルに連れ込んだ(防犯カメラの映像)
  • その上で避妊具無しで、無意識の間(ここは山口氏は否定)に性交渉した
  • 後日、詩織さんが無意識の時に嘔吐したことを指して「ゲロ」という言葉を必要以上に連発する下品で相手を貶めるメールを送った(メールが証拠。そしてホテルのハウスキーパーの日誌に、部屋に吐しゃ物に対する特別な清掃をしていないという記録が残っている。)

 

というようなことをする人柄であることを、「うんうん、そうだよね」と思う人は身近にいたんじゃないかと思うけれど、それを口に出して詩織さんの側に立つ人がいない。そいうこと含め、本当に無念だな、と思います。

 

この事件は今後進展するのだろうか。すごく暗い気持ちになります。

 

同時に、「はじめに」にあるように、

 

私が本当に話したいのは、「起こったこと」そのものではない。

「どう起こらないようにするか」

「起こってしまった場合、どうしたら助けを得ることができるのか」

という未来の話である。それを話すために、あえて「過去に起こったこと」を話しているだけなのだ。 

 

と、この本は未来についての本。

 

今回いろいろと無念なことが多いけれど、事件後から警察への相談~逮捕状~不起訴まで、彼女が体験した不条理さ、セカンドレイプ、感じたつらさ、恥ずかしさ、絶望がこの本を通して社会に共有されたことの意義は計り知れないと思います。 

 

考えたくないけれど、もしも本件がこのまま闇に葬られたとしても、この本は日本の性犯罪に対する深刻な状況を改善する足がかかりとなる、大きなステップだと思います。

 

例えば、詩織さんが深い後悔をしながら綴っている、被害後すぐの行動のこと。

 

詩織さんが最初に行った先は婦人科だったけれど、開業医の婦人科にレイプキットが置いてあることはまずなく、レイプとデートレイプドラッグの両方の検査を行うには、救急外来に行くべきとのこと。それでドラッグが盛られていたか、すぐに検査してわかれば、かなりの証拠になるはず。

 

とはいえ被害にあったらものすごい混乱状態になるから、警察に届ける等の判断はすぐにはできないものだけれど、この点、本の中でも紹介されているように、例えばスウェーデンではレイプ緊急センターという24時間365日レイプ不会社を受け入れるセンターセンターがあり、被害者はまずはここで検査や治療、カウンセリングを受けられるとのこと。レイプきっとによる検査は被害後10日間まで可能で、結果は六カ月保管。そして被害者は、一連の処置の後に警察へ届を出すかどうか考えることができるそう。

「この制度のおかげで事件に事件に遭った人は、すぐに警察に行かなかった自分を責めたり、どうしてすぐに警察に届け出なかったのかと周囲から攻められたり、これおでは何もできないと当局から突き放されたりしなくて済む。」

とのこと。

 

あと、加害者のDNAが付着している可能性のある衣服はすぐに洗わないことも重要。

 

こうしたことを、きっと小・中・高・大の学校の場で教育される、ということも重要だと個人的に思いました。

もちろん、男女共に対象に。

  

男性も被害に遭うケースは沢山あるし(そしてその大部分が闇に葬られているのでは)、最近は House of Cards のケビン・スペンシーが男の子の子役にセクハラした件も大きく報道されました。


 同時に、どうしても様々な理由から女性の方が被害を受けやすい状況にあること、そして一度受けた被害が人生に及ぼす、あまりにも大きい打撃のこと、男女共に知っておくことが大切だと思いました。

 

キャリア構築の努力への裏切り 

あとまた少し話変わりますが、キャリア構築途上の人間として、一歩一歩ステップアップしていきたいとの気持ちから、キャリアの相談をしたことに付け込んで利用されたこともとても腹立たしく思います。

事件当日に会ったのも、TBSワシントン支局のプロデューサーのポストを検討できるとメールで発言し、その具体的な話を進めようとするような流れからだったようですが、その前後の状況を見ても、山口氏が本気で仕事のポストを本気でアレンジしようとしていたのか、できたのか強く疑問に感じます。 

こうした流れから、詩織さんが「キャリアの為に利用しようとした」とか「コネで仕事取ろうと色仕掛け図々しい」などと批判する人もいるみたいですが、最初に詩織さんが山口氏に聞いたのはインターンのポストだし、そういうことをネットワーキングで知り合った人に伺う、というのは王道の方法(私もこの方法で、インターンを獲得したことがあります)、特にアメリカという要素も加わり言わずもがな、と思います。

それを逆手に取って、必死でキャリア構築しようとしている人の気持ちをズタズタに踏みにじる行為は果てしなく卑劣だと、やるせない気持ちになりました。

 

世の男性への言われなき中傷

 

Amazon のレビューや Twitter での意見を読んでいると、たまに

「男性と二人で飲みに行ったんだから、そこから先は自己責任」

みたいなのを目にします。

なんてことだろうか・・・

 

キャリアの相談を受け、それに親身に対応してくれる人の大多数は、性別問わず、それを利用して人に性的暴行を働こうなんて思っていないはずです。

私や私の友人たちがキャリアの相談、またそれに限らず一緒に飲食を共にした尊敬すべき先輩たちがみんな、男性であるというだけで「一緒に飲みに行った女性が、本来『気を付ければならない』相手である」なんて決めつける発言は、失礼極まりないことだと思います。

こういう批判をする人が社会にいるという事実が、今後キャリアの為に誰かに相談しようとする若者や、またその相談を受けたいと連絡を受けた男性の行動を制限するものに決してなってほしくない、と思います。

 

ウェブ上の匿名の意見にあまりイライラする意味はないとはわかっているものの、そういう発言をする人は、これまでの社会生活でどういう人間関係を築いてきたのかな、と思わずにはいられません。

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 

 

とりとめもなく書いたけれど、まだまだ書ききれない重要なポイントが沢山あります。

  • 警察の取り調べで、「よくあることだから立件が難しい」と言われたり、示談を進められる
  • 取り調べや法廷でのセカンドレイプの問題
  • レイプ事件の大部分を占めるのは、顔見知りの犯行
  • 被害者は、おとなしくて泣いていて怒っていて弱いという「被害者らしい」イメージを求められる
  • 被害者は「死ぬ気で抵抗する」ことも求められがちだけれど、多くの被害者は被害の最中に体が動かなくなる擬死症状が出る
  • 「Noと言わなければNoではない」ではなく、「Yesがなければ同意ではない」という社会に対する教育が必要
  • メディアの報道の公正さ。報道自粛の真相

等々

 

衝撃を受け、深い怒りと悲しみを感じるので読むのはつらいけれど、

著者の勇気に答えるために、明日の日本の安全のために、

多くの人に読んでほしいと思いました。

 

 

(後日記)

日本の大手メディアでの報道が十分でないと指摘されている中、2017年12月29日、ニューヨークタイムス紙に踏み込んだ記事が掲載されました。

www.nytimes.com

カメルーン生活:お米プロジェクト体験

普段はカイゼンっ子の私ですが(詳細 ‟カメルーンでのインターン”)

一週間だけ、カメルーンでJICAが行っているお米のプロジェクト(PRODERIP:コメ振興プロジェクト)に体験入学する機会を頂き、とても興味深い体験をしました。

 

 

陸稲の衝撃

一日目は、エボロアという地域で支援している農家の視察に同行しました。

カメルーンでJICAは、我々日本人がよく知っている水稲(水田での稲作)ではなく、陸稲(土に植える稲作)での技術支援を行っています。

なので稲が土から生えている様子を初めて見て、これまでの「稲は水田に生えるもの」という常識が覆されました。

 

整然と並んでいてきれいだなあ、と思ったのですが、専門家の方によると、育ち方が均等じゃないとのこと。

 

f:id:yaskolnikov:20171106190459j:plain

言われてみると、高さが違います

 

これだと、稲穂が実る時期に差が出てしまうので(稲穂が収穫に一番適した状態であるのは約二週間しかない)、収穫が難しくなってしまうとのことでした。

 

また、日当で雇われて雑草を抜いている人たちがいました。

f:id:yaskolnikov:20171106191156j:plain

暑い中せっせと

 

さすが、雨が多くて晴れる時は思い切って晴れる、熱帯気候のカメルーン

雑草の育ちっぷりもなんともすばらしいのです。

でも稲にとっては栄養が吸い取られる問題になるので、抜かざるを得ません。

f:id:yaskolnikov:20171106191221j:plain

ぐんぐん育つ雑草、放っておくと稲を追い越してしまいそう

 

また、鳥がお米を狙ってくる被害が大きいので、その対策の為の人を立てたり、虫対策もしたり、肥料も適切なタイミングで撒く等と、いろいろと手間をかけておいしいお米が育つようです。

 

もちろん、稲を畑で管理するのはプロジェクトの一部で、種子の改良から農機具の使い方まで、JICA専門家の方々が稲作普及の為に心血を注いで行っている活動は専門的で多岐に亘ります。

 

 

ジャングル内の稲作の衝撃

次の日からは、マケネネという地域への一泊二日のミッションに同行しました。

 

稲作を行っている場所、10箇所以上に農業省のカウンターパートの案内で行くのですが、その場所の把握っぷりが驚きです。

なんでもない道路のなんの標識もないところで突然止まり、そのわき道からグネグネ道なき道を草をかき分けて進み、この先で本当に稲作をしているのか?と思ったところで、突然稲を育てている場所に行きつく・・・まさに人間GPSです。

 

f:id:yaskolnikov:20171106195026j:plain

道なき道をゆく

 

普段、カメルーンのみなさんは歩くのがゆっくりだな、と思っていたのですが(というか東京やニューヨークが速すぎ?)、ジャングルの中ではとっても速い。

坂道でも身体能力の差をありありと見せつけられ、必死についていきます。

 

そうこうしている間に、お米の畑(つまり田んぼなのですが、なんとなく「畑」という言葉の方が合いそう)が、時にジャングルの中に出現します。

 

沢山の他の植物や野菜の中に稲が生えてる、みたいな畑もあり、これまでの稲作の概念が変わりました。

 

f:id:yaskolnikov:20171106195032j:plain

トウモロコシやトマトと同じ場所から稲が生えている

 

一応、雨季が二回あるとはされているものの、そこまではっきりとした季節ではないので、同じ時期でも種をまいた時期次第で多様な生育状況が一度に見られます。

 

そんなわけで中には綺麗に育ちもうすぐ収穫、という畑もあり、例の句が頭をよぎります。

 

f:id:yaskolnikov:20171106201344j:plain

実るほど 頭を垂れる 稲穂かな

 

 

各地域にて、このプロジェクトでトレーニングした地元の稲作普及員が日々の管理・監督をしているのですが、やはり日本人専門家が現地に来るとなると農家の皆さんは張り切り(?)、沢山の畑に案内してくれ、本当に沢山歩きました。

 

疲れたけれど、普段ヤウンデやドゥアラで排気ガスと大気汚染の空気の中にいるので、綺麗な空気をいっぱい吸えて良かったです。

(歩き方と服の選択の下手さにより、草で傷だらけになったのが反省)

 

f:id:yaskolnikov:20171106204527j:plain

地元の農家のみなさんと

 

 

カカオ体験

そして、この地域では、稲作の周りにカカオの木を大量に見ました。

初めて木になっているカカオを見た時はとても興奮!

うわー、こういうふうになるのかー

(しかしその後、もう風景の一部と化してしまうくらい大量のカカオに遭遇したのでした…)

 

f:id:yaskolnikov:20171106202455j:plain
f:id:yaskolnikov:20171106202446j:plain
木にゴロゴロなっている

 

 

農家の方の一人が、果実を割って食べさせてくださいました。

この中身の果肉をカカオ農家の方は収穫しながらしゃぶる、というのを他の方のFacebookで見てから、いつか試してみたい、と思っていた念願が叶いました。

 

甘酸っぱくて爽やかなヨーグルトのような味。

すごく好きな味で、しかもなんだか元気が出ます。

スプーンですくってモリモリ食べたいけれど、種の周りに薄くついているだけなのでしゃぶるのみです。 

 

f:id:yaskolnikov:20171106204139j:plain
f:id:yaskolnikov:20171106204145j:plain
収穫しまとめておいてあるカカオと、それを割った中身

 

 

たゆまぬ研究と発展

最終日は、首都ヤウンデにある、稲作の試験と研究を行っている場所に連れて行って頂きました。

 

その前の数日間で、農地をたくさん見学し、たくさんのワイルドな衝撃を受けたのですが、ここでは非常に細やかな研究の一端を垣間見ました。

 

例えば、鳥に食べられるのを防ぐネットに囲まれた田んぼの中に、種まきの時期をずらした1m×1mくらいのゾーンを並べ、

発芽したて→葉が長く少しずつなる→花が咲く→お米ができてくる→収穫期

をそれぞれ一カ所で見られる場所があります。

 

f:id:yaskolnikov:20171106205914j:plain

もう収穫できるゾーンのすぐ手前に、数日前に種を植えたばっかりゾーン、というように隣り合っている

これにより、各地域の農家を指導する現地の普及員がここで研修を受ける際に、

「こういう状態の時に」

  • 肥料をまく
  • 鳥追いをする
  • 収穫する

等を目で見て学ぶことができます。

素人には全然わからないから、実物を見せてもらうと一目瞭然ですね。

 

f:id:yaskolnikov:20171107022434j:plain

まだ若い稲の中に入っている、お米の前身たち。これがどんどん伸びて膨らんで立派なお米になります。

 

 

その他にも、それぞれの品種による生育状態を、普段、研究所で雇っている人が葉の長さ等を図ってデータを取っています。

そのデータにつき、JICAの専門家がデータが飛びぬけて変なところがないか、ちゃんと測れているかを抜き打ちテスト(?)し、データの信頼性を確保しています。

  

f:id:yaskolnikov:20171106205910j:plain

「あー、合っているなあ」と言いながら長さを図る S専門家

 

 

f:id:yaskolnikov:20171106205903j:plain

稲と物差しを横に並べて写真も撮ります

 

こうした日々の努力が、お米の質を向上させ、生産量を増やし、稲作普及の為の人材を多数育成し、お米生産農家を支えているということがよくわかりました。

 

カメルーンではお米の消費量は高いのに(たいていのカメルーン食で、お米を付け合わせに選べます)、大半がアジアからの輸入だそうです。

質の良いお米を自給できる力をつけ、さらなる食の安全保障の向上と、より豊かな食卓を達成するために、プロジェクトと農家の努力は続きます。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

一週間だけで何も役に立たないのに、快く体験入学を受け入れてくださりいろいろ教えてくださったPRODERIPのプロジェクトの皆様に、この場を借りて改めてお礼申し上げます。

【読書】 前野ウルド浩太郎 「バッタを倒しにアフリカへ」

「人類を救う為、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げたし等の日々を綴った一冊」

 

という紹介を読んだだけでおもしろいし、やっぱりすごくおもしろかった本です。

  

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 

今、初めての地カメルーンで、特にドゥアラでは周りに日本人がいない状態で日々アウェー経験をしているせいもあり、異文化の場所で奮闘するこういう本にとても惹かれます。

 

(もともとそういう「アウェーで頑張る」シリーズが好きなので、今も昔も変わらぬ愛読書は、夏目漱石坊っちゃん」です。アウェーでも変わらぬ無鉄砲っぷりにスカッと。失礼すぎる言い回しにゲラゲラ。故郷に残る老人、清への想いにホロリ。)

 

モーリタニアの砂漠と、カメルーンの熱帯の気候では環境は違えど、ついつい色々と重ねて共感しながら読みました。

 

例えば、ドライバーであり頼れる相棒のティジャニさんという人がよく出てくるのですが、私もカメルーンで頼もしい同僚にお世話になっていることと重ねたり。

 

(スパゲティを大量に茹ですぎるクセがある) ティジャニさんは実は、組織から給料をもらっているのに著者からも二重で給料をもらっていたという悪さも後から発覚したのでそういう点でこちらの同僚とは違うけれど…

 

でもこんなアウェーな場所で、現地をよく知りバイタリティに溢れる力強い相棒を得られるというのは何物にも代えがたく、読みながら「ティジャニさんがいてよかった」と何度も思ったのでした。

 

そして、著者の熱意と使命感が素晴らしい。

バッタ研究所の所長が、多くの研究者はアフリカに来たがらないけれど論文ばかり増えていく、という話をため息交じりに著者に向かって言った時の、返答の言葉

 

「誰か一人くらい人生をささげて本気で研究しなければ、バッタ問題はいつまで経っても解決されないと思います。私はその一人になるつもりです。私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私は実験室の研究者たちにリアルを届けたいのです。アフリカを救いたいのです。私がこうしてアフリカに来たのは、きわめて自然なことなのです。」

 

ちょっとうるっとしました。

 

そして、博士号を取ったのにその後夢だった昆虫博士として食べていくのは非常に狭き門で、世の中「末は博士か大臣か」ともてはやされた時代とはもう程遠い、という話もこの本のもう一つの重要なテーマだと思います。

著者は、きっと持ち前のユーモアさとイノベイティブさで人との差をつけて前進しているけれど、やはり博士号取ったからと言ってそれで社会に貢献する前に、仕事がない、という苦悩は多くのポスドクが味わっているようです。

研究費削減や日本の大学のパワーが下がることで、ノーベル賞を日本はいずれ取れなくなる、という記事をこの前も見たけれど、博士になる能力とやる気がある人が夢を持てて、活躍できる社会でないといけないなあ、と(博士号を頑張って取るガッツはそもそもない私の一般人の意見として)思います。

  

とにかく勇気をもらう本。

分野が違っても、「何か自分を元気づける本がほしい 」と思うような時、自己啓発本や「成功者の秘訣」みたいな本を取ろうとしているあなたに、ぜひ今回はこちらを!とおすすめしたい本です。

【読書】 中満泉 「危機の現場に立つ」

 

今をときめく先人の自伝を読んでインスパイアされようと、中満泉さんの本を読みました。

 

危機の現場に立つ

危機の現場に立つ

 

 

最近発売された本で、著書の中満泉さんは、2017年5月に国連の軍縮担当事務次長に就任。事務総長、副事務総長に次ぐポストで、現在国連で働く日本人トップです。

個人的に、NY在住中に国連の皆さんとお話する際によくお名前を聞いた有名人だし、ちょうど私もNYにいる時にご昇進されたりと、何かとお名前を目にする機会があります。

また、NYの国連でインターンしていた際に、一度だけたまたま行った会議で中満さんがお話されているのを目にしましたが、強く上品なオーラを目の当たりにできました。

 

そして本を読んで、やっぱりすごい、どんな自己啓発本にも勝るパワーをもらいました。

中満さんが(それを直接的には書かないものの)とんでもなく頭がキレる上にコミュニケーション能力が高いこと、さらに仕事をする上で多数の素晴らしい人に出会ってきたことが読み取れます。またご自身が現在素晴らしい上司・妻・母であることが想像に難くありません。

プレッシャーもすごく辛い状況も多々あって、普通の人だったら嫌になってしまったりストレスに押しつぶされたりしてもおかしくないのに、常に前へ前へと進まれ続けたことで、国連で今の位置まで上り詰められた中満さん。

そのおかげで、多数の日本人(にとどまらず、世界中の女性・男性)は中満さんというロールモデルを心に思い描けるのです。

 

 

いろいろと印象に残るエピソード満載なのですが、特に心に残った3点について紹介します。

 

1.人道支援と開発

私が個人的に関心の高い、開発と人道支援のはざまのあたりのことに関連して興味深かった点です。

ずっとUNHCRやPKOといった人権・安全保障系だったのに、ヘレン・クラーク総裁(当時)からの引き抜きでUNDPに移った時の話がありました。

当時のUNDPは長期的な視点で開発を進める組織である分、いろいろと活動が遅いという印象があったりと、中満さんにとってはあまり働きたいと思わない組織だったとのこと。ただ、クラーク総裁が改革として「危機対応局」を新設し、開発機関として「危機」にも対応する組織にならなければならないという考えを持っていることに共感したこと、そして

「今日の紛争はなかなか終わらず、状況が安定するのを待ってから中・長期的な復興と開発支援に取り組む、という従来のアプローチは機能しなくなってしまった」

と考えたこと、によりUNDPへの異動を決心したそうです。

そうして着任してから、UNDPが危機に対応する際に「これはUNDPが必ずやってくれる」という分野(例えばUNHCRなら難民、UNICEFなら子ども、というような)を明らかにすることで人道支援機関やPKOミッションから信頼されるパートナーになるようにする必要性を感じた結果、その分野を「緊急生計支援」と「行政機構の緊急復興」として打ち出したとのことです。

 

なるほど。危機対応の状況において「ここは何ができます!」というのが必要なんだな、そういうのでパワーバランスが生まれるんだな、と納得しました。

 

 

2.教授の視点から

また、 一橋大学の大学院で教授をされた経験から、学問として様々な事象を分析して体系化・概念化することの重要性、そのための理論研究を重視しなければならないとの点も納得しました。 

国際関係論や国際政治などの理論研究にも興味を持つように(中略)。学問の中で理論研究はとても重要なことであると思っています。一見関連性のないさまざまな事象を分析して体系化・概念化し、整理して理解するためのツールが理論だからです。

いろいろなところで仕事をしてみて、国際機関でも仕事のできる人は、この概念化作業に長け、雑多な事象を体系的に捉え、一見なんの関連もないところでの教訓をほかのところでうまく応用できる人だと感じています。(中略)ですから、若い学生たちが理論研究を軽んじて、分析力を身につける以前にともかく現場へ、という風潮には若干疑問を持っています。 

  

なるほど。大学院で国際関係学を勉強したけれどまだ全然足りていないし、学問は日進月歩なので今後も勉強し続けなければ。「現場の人間だから」と割り切らないで、国際関係学をずっと学んでいこうと思いました。

 

 

3.日本について

国際社会で長年働き、でも日本人としてのアイデンティティも持っている中満さんが、日本について心配に思うことに書かれていた部分が、私がいつもモヤモヤと思いながらもうまく言語化できていなかった分、とても共感ので一段落抜粋します。

 

一方で、規律を尊ぶ私たちの社会は、時として柔軟性に欠けることにもなりかねません。規則を守ることは大切なことですが、物事の本質を見きわめて柔軟に対応することも、変化を重ねる世界では不可欠ですし、時には規則そのものを見直す必要があるかもしれません。いろいろな事態を想定して丁寧に準備を重ね、マニュアルを完備することは役に立つことも確かですが、同時に「想定できない」事態に対応する能力を育てることも大切なことです。「出る杭は打つ」のではなく、さらに活躍できるように応援するべきでしょう。また和を尊ぶ私たちの気質は、「長い物には巻かれろ」という諺のように、何か間違ったことが起こっている時であっても、声を上げてそれは間違っている、と指摘して変えていくことを私たちにためらわせることにもなりかねません。昔の日本が間違った戦争に突き進んでしまった背景には、みなが「長い物に巻かれてしまった」こともあったのだと思います。

 

私が個人的にも「日本人的で」ルールを守るのに固執して柔軟性に欠ける部分を直さなきゃ、と思っているのと、そして国としても日本社会が「長い物に巻かれ」やすくて、おかしなことを是正しにくい空気があり、しかもその傾向がどんどん強くなっているのことを心配しているので、とても共感しました。

中満さんのように海外生活がかなり長くてライフパートナーも外国の方で、という立場でも、やはり日本のことは憂うしよりよくなってほしいという願いがあるということ。世界レベルのリーダーがそうあることを心強く思うし、私も見習って常に日本のことも考えていきたい、と思いました。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

以上挙げた3つは、個人的に心に特に残った部分ですが、もちろん中満さんのキャリアの始めの頃のあたりや、旧ユーゴスラビアでの奮闘等、読んでいて顔が真っ青になるような話、私ももう少しがんばらねば、と思うような文章が満載です。

 

分野を問わず同年代の皆さんすべてにおすすめしたい本です。

 

【読書】 クリストファー・マクドゥーガル 「Born to Run」(訳:近藤隆文)

未知の世界で活躍する人のすごさに触れ、圧倒されながら、私もがんばらねば、と思わされる本を読みました。 

 

BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”

BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”

 

 

メキシコの奥地でサンダルだけで一日中駆け回るタラウマラ族と、険しい山の中や砂漠を走る信じられないようなウルトラランナー達のエピソードを通し、人類は走る為に生きていることを説くドキュメンタリーです。 

 

この本読んだら走りたくなるかな、と思ったけれど、やっぱり走り慣れていない私には(そして多分私だけじゃなくて)、この本に出てくる人たちのクレイジーさがすごく際立って真似できない!と思いました。

 

本当に、畏敬の念を込めた、クレイジーさ。

何が人をそこまで走らせるのか。ああ、それはBorn to Run だからなのか、と自然と考えさせられる本です。

 

例えば、

 

レッドウィル・トレイル100で、160kmの山道をタイヤのゴムを足の形に合わせて切って紐で足にくくりつけたサンダルで一位で完走するとか(タラウマラ族の一人、ビクトリアーノ)

 

平均気温52℃の砂漠で行われる、バッドウォーター・ウルトラマラソン200㎞以上を24時間36分で走り優勝するとか(本の中心的人物の一人、スコット)

 

ううう、つらそう。寿命が縮まりそう。

 

よって走りたいとは結局思わなかったのですが(笑)、大自然の中に行きたい、という気持ちはすごく強く持ちました。息を切らせながら山登りしたい。

 

そういえばこれ系の勇気をもらう本としては、植村直己さんの自伝も圧倒的でした。

これらも繰り返し読むかなりの愛読書なので、また機会があれば。

 

青春を山に賭けて

青春を山に賭けて

 

 

エベレストを越えて (文春文庫)

エベレストを越えて (文春文庫)

 

 

カメルーン生活:ドゥアラのレストラン

カメルーン第二の都市、商人の街、ドゥアラにしばらくいたので、レストランいくつか試しました。

どんな需要があるか見当もつきませんが、独断と偏見の食べレポです!

 

ちなみに、平日業務の合間に食べる食事は例外なくカメルーン食で、たいていちゃんとした名前のない食堂の様な所で食べます。

現地の皆さんのカメルーン食への愛はすごく、私もいつもおいしく食べているのですが、たまに違うものを食べたくなるので、下記は週末に抜け駆けして開拓したレストラン達です。

 

SAGA AFRICA

https://www.tripadvisor.fr/Restaurant_Review-g297392-d6523274-Reviews-Saga_Afrrica-Douala_Littoral_Region.html

洋食もローカル食もある、おしゃれなレストラン。

豚肉を頼んだら、なんとも気前のいい量が出てきました。間違いなくおいしいです。

ちょっとリゾート感がある開放的な空間で、オーダー後に待ちながら本を読むのも気持ちのいい時間。

ただ、お昼時に行った時、一番早そうな「今日のランチ」みたいなのを頼んだのにオーダーから45分くらい待ったので、急いでるときには向かないかも。

でも、カレーソースがかかった魚のフライ、絶品でした。

 

f:id:yaskolnikov:20170920164233j:plain
f:id:yaskolnikov:20171018002040j:plain
別の味の豚肉を二回食べました。どちらもおいしい!付け合わせは、フライドポテトとかも選べます。

 

MEDITERRANEE

https://www.tripadvisor.fr/Restaurant_Review-g297392-d2627758-Reviews-Mediterranee_Restaurant-Douala_Littoral_Region.html

緑に囲まれた半分外の空間にテーブルが並べてあり、とても良い雰囲気のレストラン。

(虫よけスプレーは必携)

ピザ、パスタ、魚介類等、地中海料理

 

その日のおすすめの、カニグラタンのようなものにしました。

一口食べて、「うわっ!おいしい!」とつぶやくぐらい美味しかったです。

 

f:id:yaskolnikov:20170926032016j:plain

カニの身と、キノコとかが入ったグラタン風

 

 

5 FOURCHETTES

https://www.tripadvisor.fr/Restaurant_Review-g297392-d5568145-Reviews-5_Fourchettes-Douala_Littoral_Region.html

JICAの所長さんがドゥアラに来られた時に、満を持して行ったTripadvisor 2位のお店。

インド風の影響が感じられるおしゃれな洋食屋さん、という感じで、 前菜に取ったエビのから揚げのインド風みたいなもの、ついてくるチーズ入りのナンも含めてとってもおいしい!

あと、ピザの種類も沢山あって、マルゲリータを頼んだのですが、これもまた絶品。 現地のお客さんも、なんだかオシャレな人が多かったです。

f:id:yaskolnikov:20171018002028j:plain

もう一回一人で行った時に食べた、チキンマサラとナン。久々のカレー、Bravo!

 

メニューももらったので載せます。

f:id:yaskolnikov:20170920164055j:plain
f:id:yaskolnikov:20170920164024j:plain

 

 

Bombey Masala

https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g297392-d2296224-Reviews-Bombay_Masala-Douala_Littoral_Region.html

これも前述の 5 Fourchettes の近く(ボナプリゾという地区)にあるインド料理屋さん。ドゥアラに出張で来た協力隊員さんと一緒に行きました。

ラムのカレーとビリヤニとナンを頼んだら、二人でお腹いっぱいになりました。

カクテルもいろいろ種類があって、ミトジュレップを飲んだらとってもおいしかったです。

高級感ある雰囲気の店内に、外国人らしきグループがいくつか入り、にぎわっていました。

f:id:yaskolnikov:20171018003526j:plain

ビリヤニの下にもカレーが隠れていました

 

 OKINAWA

https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g297392-d2295823-Reviews-Restaurant_Japonais-Douala_Littoral_Region.html

なんと、ドゥアラには日本食レストランがある!

でもやっぱり、日本人ではなくカンボジア人のオーナーさんがやっているそうです。

お値段がここのスタンダードからすると(そして日本と比べても)高めです。 その割には、やっぱり期待し過ぎてはいけない感じの内容… そして、お店の名前に反して、特に沖縄料理はないです。 私はこれだったら中華を選ぶかな… でも、協力隊員さんがドゥアラに来た時に一緒に行ったから、おしゃべりがほのぼの楽しい会でした。

 

 

Le Pekin Plus

目当てのお店が閉まってたので、その近くにたまたまあった中華料理屋さんにたまたま入りました。 土曜日の16:00とか変な時間に行ったのでお客さん私一人だったけれど、嫌な顔せず、ちゃんと作ってくれました。 酸辣湯と炒飯、裏切られることがない中華料理!いつもの安心する味です。 炒飯は葱が沢山入っていてうれしかったです。

ここら辺の中華料理事情がわからないけれど、中華以外のレストランと比べるとお値段高め。

首都ヤウンデにも中華料理屋さんいくつかあってJICAのみなさん行きつけで、どこもおいしくて、本当に世界中の日本人は中華料理屋さんにお世話になっているのだろうなあ。

この場を借りて、他国で中華料理屋をやっているみなさんにお礼を言いたい!有難うございます。

f:id:yaskolnikov:20170920164146j:plain

酸辣湯、確か 3,500cfa (約700円)くらい

 

WHITE HOUSE

https://fr.foursquare.com/v/white-house-restaurant/4f38b9d5e4b0b0eb8e873597

ドゥアラ内にいくつか店舗がある、カメルーン料理のビュッフェのお店です。

企業訪問時のお昼に行く機会がなぜか重なり、三店舗を制覇しました。

ンドレ、エル、マニョック、揚げプランテン、蒸しプランテン、フフ、クスクス、バトン・・・

お好きなように、お好きなだけ・・・

 

名もない魚屋

最後は超ローカル、路地裏で道の脇でおばちゃんが焼いている焼き魚のお店です。

注文したら、おばちゃんがその場でおもむろに魚を取りだし、包丁で切り込みを入れて、秘伝の(?)たれを魚にもみこみ、網の上で焼いて、焼きたてほかほかを出してくれます。

食器を洗う水もおばちゃんが手を洗う水も繰り返し使われているとか、網はいつから洗ってないのかとか、そういったことに関して「衛生面??」とか思ったら負けです。

なぜなら文句なしにおいしいから!!!

しかも大きいお魚にミョンド(キャッサバの粉を蒸したもの)がついて、約200~250円。

コスパ最高、お腹いっぱい!4~5回通いました。

 

f:id:yaskolnikov:20170920164302j:plain

奥の水はフィンガーボウル的なもの。現地の人は魚は手で食べるものみたい。
f:id:yaskolnikov:20170926223316j:plain
f:id:yaskolnikov:20170926223323j:plain
裏道に突然漂う焼き魚のいい匂い

 

やっぱり、世界中どこに行っても、みんな食べるのが大好き!

カメルーン生活:サンチュ村への旅

前に紹介した同僚(ブログ記事「イジドールさんについて」)の妹の結婚式にご招待頂き、ちょっと前にサンチュ村というところへ行ってきました。

ドゥアラから車で四時間くらい。妻と仕事仲間も一緒に楽しいドライブです。

 

路上の売り子たち

車で道を走っていると、何かのチェックポイント等、随所で道端の人たちがいろいろな物を売っています。

例えば、

果物や野菜、パン、ミョンド(キャッサバの粉を蒸したチマキみたいなもの)、

その他ドライブ中に食べられるもの(ナッツ、プランテンを揚げたもの、エスカルゴの串焼き等)、

締め上げほやほやの(?)鶏、

あとよくわからない小動物(食用)をぶら下げている人もいます。

 

車の窓の横まで来て売ってくれるのですが、気になるのは、同じところで沢山の人が同じものを売っていること…そして何kmか先に行ったら、また同じ光景が現れる。

安いのはありがたくても、この値段だとどう考えてもそんなにたくさんの収入は見込めないのでは。でも供給過剰だからこれだとどうやっても値段も上げられないだろう…

 

理想としては「道の駅」みたいに、一カ所に大きい場所を構えてそこに商品を集中させて、お客さんがみんなそこで買うようにできたら効率的なのだろうけれど、その反対を行っている。

 

なんとか、同じものを売っている近くの人たちと話し合って、供給量を少なくする、そして品数を増やす、とかしてより良い商売ができないものか。

とかつぶやいたら、イジドールさんに「カメルーン人はそういう風に大勢で話し合って解決するのが苦手」と言われた。

元も子もない…たしかにそういうところが難しいとは感じるけれど、誰か熱意ある政府の役人さんとかがバーッと改革したら簡単にすぐ変えられるのでは。

難しいことは承知で、そういう動きがあったら楽しいですね。

 

f:id:yaskolnikov:20171003223454j:plain

ここはすごくパイナップルを売りつけられるポイント

 

 フードコートのB級グルメ

といったことを考えながら、長時間車に乗っているとお腹も空きます。

行きも帰りも、途中で食べ物が沢山売っている所、なんというか「薄暗くワイルドなフードコート」みたいなところで腹ごしらえしました。

カメルーンB級グルメの宝庫!

※衛生面を気にするスイッチはオフに。

 

f:id:yaskolnikov:20171003224046j:plain
f:id:yaskolnikov:20171004061652j:plain
豪快なBBQ的なお肉を一口サイズに切ってくれます。おいしい~

 

これまでプランテンは、蒸したのか揚げたのかしか食べたことがなかったけれど、ここで焼きプランテンを食べて、なんだか焼き芋みたいにほくほくしていてとてもおいしかったです。

f:id:yaskolnikov:20171004061909j:plain
f:id:yaskolnikov:20171004062051j:plain
焼きたて熱々、優しい甘さのプランテン

 

 

到着、村の結婚式

そしてようやく、サンチュ村に到着。イジドールさんのお母様や、大家族の皆さんに会えました。

着いた日は村での伝統的な結婚式、と言ってもイジドールさんの実家の一画が会場だし、みんなほぼ普段着です。

なんだかんだやはりのんびりしていて、21:00になってようやく始まりました。

でも、最初は家族内で話し合って新郎からのプレゼントを渡す、みたいなプロセスらしく、部外者の私は外で待つことになりました。

夜風と気温も丁度良くて、途中うとうとしたり。

こんなに蚊が沢山いるところで寝ちゃダメ、ゼッタイ。

なんですが、ちょっとした小動物の致死量くらいの虫よけスプレーを浴びているのでへっちゃらです。

 

でも、うとうともし終えて、

思索にも十分ふけって、

それでもまだ終わらない。

二時間たってる…

 

イジドールさんに「いつ終わるのかな?」と聞いたら、まだまだ話合ってるし、ホテル送っていくから帰っていいよ。と言われました。

帰っていいんだ!

なんか失礼じゃないかしら、と思いつつ一緒に来た人たちとこっそり帰ることにしたら、

親族の人たちに「ごはん食べないで帰っちゃダメ」と言われ、食事を出してもらいました。

食べていいんだ!

実は夜ご飯食べてないからお腹すいていました。もう23:00過ぎだけれど、揚げた豚肉とかプランテンとか、食べる。

無事食べ終えて、ホテルに帰りました。

 

ホテル 

ホテルは、電気もシャワーも壊れていて、トイレは流れないしお湯は出ないしタオルもトイレットペーパーもないという場所。

いろいろ大らかに生きることを心がけてはいるものの、「ホテルの定義とは??」という疑問がふと頭をよぎる。

いやいや、定義はきっと、ベッドと鍵があること!

満たされてるーー

疲れていたしグースカ寝ました。

 

f:id:yaskolnikov:20171016053200j:plain

しかもイジドールさんが、リュックの中からおもむろにUSBライトを取り出しつけてくれました

 

公式な結婚式 

そして次の日は村長の前での公式な結婚式。

公式と言っても、やっぱり時間通りには始まらない!二時間後にようやく始まりました。

あまり何が話されているのかよくわからなかったけれど、村長さんはユーモアを交えながら新郎新婦とやりとしていて、楽しそう。

「monogamie(一夫多妻制)にします!」と宣言したら、みんながイェーイ!!ドンチャンドンチャン、ピューピュー、と盛り上がってたのが印象的でした。

(イジドールさんのお父様はたくさん妻がいるけれど…)

 

終了後は幸せそうな新郎新婦を眺めて、良い時間でした。

 

f:id:yaskolnikov:20171004062733j:plain

白いお揃いの服の二人が新郎新婦。カメラがありすぎてみんな違う方向を見ています。


ちなみに、結婚式の時は親族がお揃いの布で思い思いのドレスやシャツを着るのが伝統らしく、街でも時々お揃いの服の集団を見るのですが、それがとても素敵。

一体感あるし、布買ってテーラーメイドで仕立てるのが一般的なカメルーンだからこその、楽しい習慣だと思います。

f:id:yaskolnikov:20171004063113j:plain
f:id:yaskolnikov:20171004063309j:plain
ここでもオフショルダーは流行中

 

f:id:yaskolnikov:20171004063557j:plain
f:id:yaskolnikov:20171004063610j:plain
大人も子どもも思い思いのデザイン。素敵すぎて見るだけで楽しい。

 

 

普段は訪れることのない村での生活を垣間見て、こういうところで活動している協力隊員さん達の苦労にも思いを馳せつつ、よい週末となりました。

 

路上で受けるハラスメント

 

カメルーンで道を一人で歩いていると、そこら辺にいる男性たちにすごく声をかけられます。

シノワ(=中国人)とか、ニーハオとか、チェンチャンチョン(?)とか、

もしくは、(フランス語で)笑って!とか、俺の恋人!とか。

無視して歩くと、腕とか肩に触れてくる人もいて本当にびっくり(怒)します。

 

「ただ気にしなきゃいいじゃないか」って思う人もいるかもしれないけれど、嫌な気持ちが塵も積もれば山となっていくし、このせいで外に出るのには毎回結構な決意が必要になります。

「外にごはん食べに行こうかな…でも、外出て道を歩いたら、また超声かけられるからな」という。

(というか、歩いている時だけでなく、タクシーに乗っていても路上の人々やバイクに乗ってる人たちからガンガン言われるのですが。)

 

 

この件、自分でもなんでこんなにひっかかるのかな、とも思う。一朝一夕で変わる様なことではないし、気にしないようにできたらそれが一番楽です。

 

「カメルーンはそういう国なんだから、しょうがないよ。途上国あるあるだよ。たくましくなりなよ。」

と言われればそれまで。

 

しかし・・・なんかこの件は「気にしない」で終われない。

「そういう国だから」で片づけたくない。

 

ここには、カメルーンだけでなく国境を超えて、大きく分けて二つの、不快感・問題意識が絡んでいるのだと思います。

 

 

一つ目の不快感・問題意識 

 

それは、女性であるとかの理由で「弱い」立場として下に見て冷やかしで声をかけられるということに関係しています。

(女性でなくても、体格とか性的マイノリティとかさらにはアジア人ということで「弱いとみなされて」というのもこのケースに当てはまります)

 

これは欧米を中心に他国でもよく問題視されていて、catcall とか street harassment (ストハラ)という言葉でググるとどんどん出てきます。

 

最近も、オランダのアムステルダムに住むジャンスマさんという女性が、一カ月間に自分にcatcall(セクハラやじ)をしてきた男性と自撮りしてインスタにアップするというプロジェクト(@dearcatcallers)を行ったのが話題になりました。


 

また、2014年に、この件について多くの人に問題提起したのは、ニューヨークを10時間歩いていかに多くのストハラを受けるか撮った動画です。


こういう記事のコメント欄を見たりすると、

これまで一度もそういう経験がなく、そういうことで不安を感じる必要がない人たちの中には、本気で、

例えば You are beautiful. とか Hey sexy. とか I love you. とかなら無害だし、

むしろ「いいこと」言われてるんだから別にいいじゃないか、

褒められて喜んだら、

と言う人がいることがわかります。

 

また、「道でナンパしちゃいけないのか!昔はよかったのに。生きづらい世の中になったな!」というようなことを言う人もいるようですが、、、

とにかく一つ思うこと。それは、

そういうハラスメントする人たちは、別にその対象の女性を必ずしも美しいとかセクシーとか思っているわけではなく、いわんや実際その声かけた女性が笑顔で振り向いてデートすることにつながる、なんてことは思ってないはずだということです。

 

ただただ、自分には安全な範囲で、

(だって相手は一人で歩いている女性、もしくは小さい子供と二人きり、もしくはなんか「弱そう」)

自分の快楽の為に言いたいことを言う、ただでセクハラする、ということをしているだけです。

(だから、「ナンパ」の正確な定義はわからないけれど、個人的にはナンパとストハラは違うと思います)

 

一人の人間として毎日悩みながら働いたり学んだり遊んだりして生きているのに、路上に出た途端、そういうのの対象にされなきゃいけない、という理不尽さに気持ちが暗くなります。

 

ちなみにカメルーンにて、私が声をかけられるのは決まって一人の時で、男性の同僚と一緒の時は絶対に言われません。さらには、同僚と一緒だけどちょっと距離が空いてる時とか、私だけに聞こえる声で言ってくる。だから、同僚は私がこういう言葉を言われ続けてるの、実感としてはわかりにくいと思います。

 

さらに、前述のアムステルダムのジャンスマさんが自撮りを頼んだ時に、驚いたことにcatcall してきた人たちは誰も断らず、大抵笑顔で一緒に写ったということ。つまり、悪いことしているって気持ちがないのだと思います。

(ちなみにオランダでは2018年から、ストハラ行為に対して190ユーロの罰金が課せられるようになるとのこと。)

 

彼らの内、何人が妻や彼女がいて、娘や姉妹を持っているんだろうか…と思わずにいられません。

 

 

こうしたストハラは、ただ単に煩わしいというだけでなく、精神的ダメージや行動の阻害につながる、ということが以下のコラムにわかりやすく書かれています。


ストハラを避けるために通勤ルートを変えたり、夜の移動は公共機関を避けてタクシーに乗ることを選ばざるを得なくなるといった実際の経済的損害がある他、

ストハラによって精神が不安定になったり、特に性暴力被害者がストハラに遭うことでトラウマが蘇ったりという影響も見られるとの内容です。

また、ストハラが最初はただ声をかけるだけだったのが、だんだんストーカーや性暴力へとエスカレートするケースも問題となっています。

さらにレイプの問題でもよくあるように、「露出が多い服装だったから」とか「夜なのに一人で歩いていたから」といった、被害者が逆に非難される(セカンドレイプならぬ、セカンドストハラ?)という現象がストハラでも起きていて、それがさらに深い精神的ダメージを与えることになります。

 

 

二つ目の不快感・問題意識

 

そして二つ目は、人の国籍を外見で勝手に判断して、それによって人をカテゴライズすることに関連します。

 

この関連でまず最初に触れておきたいのは、ネット上では、こういう時に「中国人って言われ嫌がるなんて差別だ!(日本人が特別だと思っているのか、的な)」とか全く見当違いなことを言う人が結構いて、そんな意見に反論するのも馬鹿らしいと思うほど見当違いなのですが、説明不足は思考停止にも繋がるので、ここではそんな誤解を1ミリも与えないように最初からそれは違うということを言っておきます。

 

問題は、見た目で決めつけてその分類、さらにはステレオタイプを相手に投げつけることであり、だから「アジア人!」って言われるんだったらOK、とか「日本人!」って言われたら「正解!」って、ことではないです。

 

なんで?アジア人の顔なのは事実じゃない?

と思われるかもしれないけれど、例えばアメリカで、例えばアジア人の顔つきだけれど、アメリカで生まれてアメリカで育ったアメリカ人達が、いろいろとアイデンティティのトピックについて発信しているのを見ていて、他人に見た目でカテゴライズされることのフラストレーションを感じている世の中では、「アジア人として見えるんだからアジア人、っていきなり知らない人に言われてOK!」なんて言えないです。

 

たとえばこの、あるAsian Americanの、ニーハオと言われることへのフラストレーションの記事。

 

アメリカで生まれ育ったアメリカ人なのに、いきなり「ニーハオ」と言われ、言った人はその後、‟stands there looking like he expects an award.” と書いてあり、そのなんとも言えない気持ちが容易に想像できます。

筆者の "Saying "ni hao" to anyone who looks vaguely East Asian is a great way to show off your ignorance." という言葉が印象的。

 

  

また、世の中もちろん、中国人以外にも私たちに顔の作りが似ている人たちがいることは考えるべきで、もちろんそれは韓国、日本にだけは留まりません。

私が去年三か月過ごしたカザフスタンとか、日本人と見分けがつかない顔つきの人たちだらけでした。(それにアジアと言っても日本からネパールからインドまで様々だし)

カメルーンの人たちがそれを知らないことについて非難はもちろんできないけれども、それが「アジア人の顔を見る=中国人と決めつけてニーハオと言っていい」とはならないはずです。

これは本当に、大人がやるから子どもやっていいと思う、の連鎖なので、悪気はない場合が多く難しいのは本当にわかっているのですが…

 

一方で、路上で「ニーハオ」と言う人が、本当に私に挨拶する気持ちで言っているのは稀で、基本的には気を引くためのかけ声です。

路上じゃなくて普通に自己紹介して挨拶する、というシチュエーションで相手が私の顔を見て「ニーハオ」と言う場合は、(ため息が出ないと言うとウソになりますが、)悪気は完全にないとわかるので「ボンジュール」と返すか、「日本語ではコンニチハですよ~」と説明しています。

 

 

そういえば、道で「チェンチャンチョン」みたいに、「中国語っぽい」という言葉もかけられますが、これもつい最近もニューヨークで、ある店員がアジア人の客の名前をレシートに「チン・チョン」と記載したのが大炎上して、その店員は解雇になったという話がありました。2017年のニューヨークででも、未だにこういうことが起こっています。


 

一方で、日本でもこれに通ずるものがあると思うのです。

例えば、日本在住が長い人でも、

「見た目が外国人」という理由でいつまでも「ガイジン」扱いをされる

「見た目が外国人」だと即座に「英語話者」であると思われる

といったフラストレーションの話はよく聞きます。

 

最近こんなツイートを見ました。 

 

旅行業の友人からも修学旅行で「外国人に話しかける」という課題が出てこういうことする学校が沢山あるという話を聞いたし、このツイートに連なっている回答からも読み取れるように、かなりよくある話のようです。

 

言わずもがな、「外国人に見える人」の中にも日本人はいるし、「外国人に見える人」の中でも英語話者じゃない人はたくさんいます。

日本に住んでる外国人の方がこういった突然の有無を言わさぬ「国際交流」の相手にされることにうんざりしていることは容易に想像できると共に、日本にはるばる来た観光客の方々が、これで嫌な印象を持つことがあるのでは、と心配になります。(もちろん楽しんでくれる人も中にはいると思いますが。)

 

私がここにいて、「シノワ(=中国人)」という言葉に耳の反応が敏感になっていることから考えると、日本に住む外国人や観光で来ている皆さんが「ガイジン」という言葉に敏感になっているのは容易に想像できます。

 

だから、例えば地方から来ているかわいいおばあちゃんが渋谷あたりを歩いて、「ガイジンさんがたくさんいるねえ」ってニコニコしながら言ったとしても、すれ違う外国人に見える人(もしかしたら在日20年かもしれない、むしろ日本国籍かもしれない)は、「何か自分のこと言われてる」、と思ったりすると思います。

 

悪気はないのは重々承知です。

私だってやっちゃったことあるかもしれないし、本当に悪気ないって知っているのです。

それにこっちで「ニーハオ」って言ってくる子どもたち、普通にかわいいのです。

 

でも、悪気があろうがなかろうが、人に不快感を与えてはいけない。だから、気づいてほしいとただただ願うし、私もこれからも気を付けていくし、カメルーンでも機会があればこういう問題意識を発信していきたいな、と思っています。

 

「見た目がガイジン=日本人じゃない、日本語話せない」というステレオタイプの動画

 

 

おわりに

すごく長文になりました…

この長文を読んで、

「そんなに深く考えるなよ…もっとリラックスしろよ…」と思われるのもわかります。

 

実際の生活上では、上記の様な人権・ダイバーシティに及ぶグルグルとした思考と、実際の生活で出くわす頻度の高さの中で折り合いをつけて、なるべく鈍感力を発揮し、目を合わさず、時には「ボンジュール」とか言いながらズンズン歩き去って忘れていきます。

 

あと、カメルーンに来る直前まで、アメリカで、かつ多様性の街ニューヨークで、その中でも超リベラルな大学院に二年間いたせいで私の見方もやや極端なのかな、という自覚もあります。

私がいた大学院の環境は、例えば新しい授業でで南アジア系の顔の友達と知り合ったとして、「インド出身?」とかいきなり聞くのはかなり良くない…

かく言う私も最初の方、結構いろんな友達に「どこ出身?」と聞いてしまって(本当にいろんな国出身の人がいあるから)、でもみんながみんな私みたいに簡単な(?)出自じゃないことがわかってきたし、人によっては会話の流れで嫌な気持ちになる場合があることも知り、その後反省したり方向転換したりしました。

 

(その中でよく聞いた、アジア系の見た目の人が "Where are you from?" って聞かれて、例えばCalifornia で生まれたからそう答えたのに、"(でも本当は中国系とか韓国系とか、そういう意味で)Where are you really from?" って聞かれるのがすごく典型的で苛立たしい、という話もあります。この動画が秀逸。)

 

 

 

 

いずれにせよ、最初に聞かなきゃいけないほど重要なことじゃないな、と思って私は最初の会話でいきなり出身を聞くのはやめるようになりました。

 

 

一方、そういう「ポリコレ」的なこと、気にしすぎるのも息苦しい、という意見もよく聞きますよね…

 

しかも、それをカメルーンで求めていいのか。

 

たぶん、「中国人」とか「ニーハオ」って言われるのは気にならないよ、という人たちは、カメルーンとかそれに似た文化の国の人たちへの愛情と優しさを持って、

「(教育の機会だって、外国人と触れる機会だって、我々よりは限られている)彼らにそこまで求められない」

とか

「興味を持ってフレンドリーに接しているだけだから、悪気はない。外国人に興味を持つ人に話す機会を与えることも重要。」

という気持ちがあるんだろうな、と想像します。

 

本当にそれはよくわかるし、優しい気持ちだし、私もそんな100%ひねくれているわけではないので上記のような気持ちも持っています。

 

だから、私も日常生活でどんどん声をかけてくる人にいちいち怒っているわけではないし、「中国人」とか「ニーハオ」って言われても気にしないよ、って人に、「気にしなよ!」とか言ったりはしないのです。

 

その上で、でも、私は「カメルーンだからしょうがない」とは言いたくないです。

 

話し上手で、おしゃれで、プライドが高いカメルーン人。

これからもっともっと市場も開かれて経済発展していって、もっとたくさん外国人も入ってきて、世界でも影響力を強く発揮していくんだって期待しています。だからこのままでOK、だとは思わないのです。

「カメルーンだからしょうがないよ」では片づけないで、内側から変わっていってほしいから、私も機会があれば周りの人たちとこういう話をするようにしたいです。

 

まあ、割と前からこのことが話されている国でだって、まだなかなか人々の態度が変わらなくて大変だ、というのがこの話のポイントだったのですが。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

基本的に元気に楽しいカメルーン生活、あまりネガティブな部分に注目しないようにしたいとは思っているのですが、今回はカメルーンから海を越えて、日々モヤモヤと思っている内容になりました。

次はほのぼの記事(?)に戻ります。

 

f:id:yaskolnikov:20170926223316j:plain

本文とは関係ありませんが、行きつけの食堂に入っていく同僚の写真

【読書】 服部正也 「ルワンダ中央銀行総裁日記」

学生時代の先輩で今は開発コンサルで活躍されているRさんより「開発分野の本なら!」とオススメ頂いて読みました。 

 

著者の服部さんは、戦後日銀に入り、米国留学、パリ駐在を経て、1964年、46歳の時にIMFの依頼を受けルワンダ中央銀行総裁として出向。最終的に6年間もルワンダにて経済再建を担ったという人物。

途上国側の人の話をよく聞く姿勢、既存の外国人主義の思い込みに疑問を投げかける姿勢等、国際協力に携わる人がインスパイアされる要素が満載です。

 

そして、経済発展、特に産業振興や輸出入と関税、為替、インフラ整備に至るまで、国の発展の為には必要な様々な取り組みについてかなり詳しく書かれていて、とても勉強になります。

何よりも、バイタリティと意思の強さがすごすぎる…ちょっと怖いくらい。外国人と言うだけでえらそうにしている人々や、既得権益にしがみついて利権をむさぼる外国商人たちへの手厳しい意見。ルワンダ唯一の商業銀行のベルギー人へビシッという場面等、ドラマ化したらかなりスカッとする場面だろう、と思わされるほどです。

 

1972年に書かれた本(その後、ルワンダ内戦に関連した章が追加された増補版は2009年に発行)だけれど、時代を越えて、ユニバーサルに学べる本で、かなりおすすめです。

 

薦めてくださったRさん、有難うございました!

A Story of M. Isidore

To meet a high demand (?), I translated my blog post "イジドールさんについて" into English.

 

。。。。。。。。。。。。 

Isidore is a person with amazing vitality.

Let’s say, if a boat was wrecked and we reached to a small uninhabited island where life is so hard that people can easily die in three days.

 

Isidore would;

calm himself down immediately,

go to find foods,

create tools,

go hunting,

build a house with driftwood,

create rice fields and irrigate there,

and finally start some business…

He is a kind of man I surely say that he would do all of that.

Isidore is a Cameroonian who has terrific capacities mentally, physically, and intellectually.

 

By the way, did I mention who is Isidore?

He is my colleague during the internship at JICA (Japanese International Cooperate Agency). Both of us are working for the monitoring an following-up of “KAIZEN” project. This is a JICA’s project of private sector development, especially for SMEs (Small and Medium Enterprises) in case of Cameroon. KAIZEN is a Japanese word meaning continuous improvement of quality and productivity. This idea was originally developed by TOYOTA in its production and quality control process.

Isidore was trained as a KAIZEN consultant during the 1st phase of the project which trained 40 Cameroonian consultants to be able to work individually for installing KAIZEN in local SMEs. Although the 1st phase was finished and the expert team left Cameroon this summer, he has been hired by JICA because of his significant performance during the project.

Also, I luckily got an internship position for private sector development in Cameroon as I wished. So two of us started working together during the transitional period between the end of the 1st phase and the beginning of the 2nd phase. 

We are visiting each SME which participated to KAIZEN project, and doing follow-up activities including the meeting with the CEO and quality managers, conducting monitoring questionnaire, giving presentation, observing production line, and meeting with KAIZEN committee etc.

 

Three months have passed since I met Isidore, and I have been continuously impressed by his performance.

 

Powerful presentation skills

Especially, his powerful presentation is amazing and it changes many employees’ mind.

In each company, we take time to make a presentation to remind the idea of KAIZEN and “positive attitude” which is also a critical factor to achieve a successful KAIZEN.

In the presentation, he strongly persuades and motivates employees, by encouraging them to speak and think. Since he makes every effort to make the audience to understand, sometimes he can be very strict. After the presentation, I heard many of employees said, “there are still many things we can do” or “I am just very motivated.” Also, since many CEOs of the SMEs are struggling to motivate their staff, they appreciate to Isidore very much for helping that.

He is so energetic while he keeps speaking without drinking water!

He never compromises!

f:id:yaskolnikov:20170926222322j:plain
f:id:yaskolnikov:20170926222356j:plain
Powerful presentation

 

Gratitude for KAIZEN

Isidore often tell me that

“I truly thank Japanese government, JICA and KAIZEN expert team who introduced KAIZEN to Cameroon which changes the country. Since I was hired as a consultant, I can support my family’s living.”

Even if he didn’t have this job, I am sure he can find a great position in another company. In fact, he was working for a private company for seven years and promoted to a quality manager which is the second highest position in the company. The job was secured and it provided good insurance. But he resigned the job when he decided to take the KAIZEN training, while no job contract was expected as a KAIZEN consultant at that time. Since he has family with small kids, the decision was not very easy to made. But he wanted to do something which can have impacts on the society.

I also know he was recently offered some other jobs which can pay higher salary than current contract.

But he is so modest that he says “I got those kind of offers because I was involved to the KAIZEN project. So I want to work for this project for longer period to learn as much as possible.”

 

Fifty-Four Siblings

Let me tell you about some of the Isidore’s background.

He is from a village in Western Cameroon. His father has huge area around the village including a mountain with coffee trees. He got married with many women and has 55 children including Isidore. Moreover, Isidore is the biggest brother among all the siblings. Isidore became independent from his parents when he was only eleven, but he has been relied by many of his family members.

On the other hand, he loves his only wife forever. He has four children between him and his wife, and two  adopted children.

I was invited to his house with a big yard, and had a great time with his family.

f:id:yaskolnikov:20170926222936j:plain

Meeting with employees

Gentleness

Isidore is also very gentle.

Since his ability is extremely high, I often think my contribution to our activities is too small.

However, he always respects my opinion, and cares if my life in Cameroon is going well. He carefully looks the situation around him and notice small changes. I guess one of the reason is the fact that he is the biggest brother of 55 children and cares how everyone is doing…

He also helps me to practice French conversation. He nicely corrects my grammar and I’m learning a lot every day.

 

Patience

Isidore is also extremely patient even when the situation is a bit frustrating.

For example, we face a lot of challenges of punctuality.

We usually schedule an appointment 1-2 weeks before the visit, and on the day before the visit, a phone call to remind the visit is made too. However, we often have to wait for a while when we arrived at the companies on time. Sometimes we arrive at 9:00 and are told that the CEO would come around noon.

I’m trying not to be discouraged too much for these things, but sometimes it continuously happens and I can be frustrated, thinking “should we really wait for him/her?”

But Isidore is so patient that he waits for them because he knows anyway we need to talk to the CEOs to achieve the objectives of KAIZEN.

On the other hand, he is not just like “no problem!” to the non-punctual company when the CEO appears, but he makes it clear that this is not acceptable if the company really wants KAIZEN.

This comes from his gentleness and passion to train and improve the company.

 

So, these are some of the introductions of Isidore.

Of course, we have different background, experience, gender, age, and many others. So naturally we have different perspectives on many things. But we can always discuss anything.

He is a person I respect from the bottom of my heart.

 

I am really grateful to JICA for giving me this fantastic opportunity to work with Isidore, and

to KAIZEN expert team for training Isidore to be an outstanding consultant.

(although it was not for me, obviously…)

And above all,

Merci beaucoup Isidore!

(and for allowing me to publish this blog post!)

f:id:yaskolnikov:20170926222517j:plain

(From the left) Isidore, his wife, his mom, me, his best friend

 

イジドールさんについて

イジドールさんのバイタリティはものすごいです。

例えば、

漂流して無人島に打ち上げられて、

普通の人なら三日ももたないような環境だったとして、

イジドールさんならきっと…

気持ちを即座に適応させて、すぐ食料を探しに行って、武器作って、狩りに出て、流木でちゃんとした家を作って、同時に稲作も始めてしまいそうな…、しかも最終的にはビジネスまで始めてしまいそうな、

そんな気力・体力・知力を持ち合わせたスーパーなカメルーン男児です。

 

 

イジドールさんが誰なのかというと、インターン期間中に一緒にカイゼンプロジェクトのフォローアップ活動をしている現地コンサルタントです。

今年夏に終了したプロジェクトの第一フェーズにて養成されたカイゼンコンサルタントで、優秀さを買われてプロジェクト後もJCIAからのコンサル契約をオファーされ継続して働いているという人物。

私より歳は10歳ちょっと上で、背は30㎝くらい高いです。

 

そんなイジドールさんと出会って三か月、二人でカイゼンプロジェクトの参加企業に毎日一社ずつ訪問しているのですが、イジドールさんのパフォーマンスには圧倒され続けています。

 

特にすごいのはパワフルなプレゼン

各社で、イジドールさんがカイゼンの基礎のリマインドと、ポジティブ・アティチュード(何事もポジティブな発想であることで業務を改善するための考え方)についてプレゼンするのですが、オーディエンスをがんがん巻き込みながら、従業員一人一人のやる気を引き出すべく一生懸命説得します。終わった後、従業員たちから「自分にもやれることがまだまだあったな」とか「今日からがんばろう」という気になった、という感想を得られます。

もう30社くらい訪問したのですが、その勢いは衰えるどころかパワーアップしているようです。

プレゼン以外も、かなり親身に、時に(頻繁に)厳しく、社長や従業員を説得しながらやる気を引き出します。

水も飲まないでずっと喋りっぱなしだけれど元気!

妥協しない!

f:id:yaskolnikov:20170926222322j:plain
f:id:yaskolnikov:20170926222356j:plain
いろいろな会社でプレゼンするイジドールさん

 

 

イジドールさんはよく語ります。

カイゼンプロジェクトをカメルーンにもたらしてくれた日本政府・JICAと専門家達に本当に感謝しているし、JICAがこのために雇ってくれたから今生活できている。」と。

たとえこのコンサル契約が無くても絶対に良い会社には務められているに違いないし、もともとカイゼンプロジェクトのコンサルタント研修を受ける為に応募する前は、7年間民間企業で良いポジションまで昇進していたし、安定と保険がある職場で働いていました。それに最近も、他の団体や会社から、給料だけで言えばこのコンサル契約より高い額を提示されて最近誘いがあったりしたというのも知っています。

「でも、そういう話があったのも、カイゼンプロジェクトに携わったおかげなんだから、行けるところまでカイゼンの為に働きたいし、まだまだ学ぶことがたくさんある」

とスーパー謙虚です。

 

 

そんなイジドールさんの出自について。

お父さんがある村でコーヒーの山を含むかなり広い土地を持っている実業家らしく、そのおかげかなんなのか奥さんが歴代沢山いて、イジドールさんの兄弟は54人いるらしいんですが、なんとその長男。沢山の兄弟から頼られる存在です。

 

一方でイジドールさんは、一人の奥さんへの愛を貫いており、6人の子供がいます。

休みの日に遊びに行かせてもらったら、ドゥアラ郊外の広い庭付きの大きな家で温かいおもてなしをしてもらい、優しい奥さんとかわいい子ども達と一緒に私も良い時間を過ごさせてもらいました。

f:id:yaskolnikov:20170926222936j:plain

  

その上、とてもやさしい

イジドールさんがすごすぎて、私あんまり役に立ててないとよく思うのですが、なのにいつも意見を聞いてくれるし、尊重してくれるし、カメルーン生活を快適に送れているかもよく気遣ってくれます。視野が広く周りへの配慮がすごいのは、やはり54人兄弟の長男だからなのか…

あと、私の拙いフランス語も練習にも付き合ってくれ、訂正もしてくれます。

 

あと、辛抱強い

ご想像の通り、カメルーンはみんながみんなイジドールさんのようにちゃんとしていなくて、

というか失礼ながら、イジドールさんが完全に飛びぬけすぎています。

例えば時間。

企業に訪問する際、結構な確率で待たされます。しかも1~2週間前にアポ取って、前日にもリマインドの電話入れてるにもかかわらず!9:00に行って、「社長は12:00に来ます」とか言われる。

しょうがないとも思いつつも、そういうのが数日続くと私はやっぱりイライラしてしまって、「こんな態度の社長を果たして待つ必要があるのか?」とか言っちゃうんですが、イジドールさんは、「まずは会って話さないことには始まらないから、待とう」と言い、辛抱強い優しさです。

でも、遅れて来た社長に万事「OK! OK!」というわけでもなく、ちゃんと苦言も呈するところが、本当にその企業をカイゼンしようという優しさです。

 

 

そりゃあ育ってきた環境が違うし、意見が合わないときももちろんあるし(毎日一緒に仕事していれば当然)、議論にもなるけれど、とにかく熱心で心から尊敬する相棒です。

 

イジドールさんと一緒に活動する機会をくださったJICAに、そしてイジドールさんを素晴らしいカイゼンコンサルタントに育ててくださった専門家チームの皆様に、(私のためではないけれど…)とても感謝しています。

 

そして何よりも、イジドールさん、いつも本当にありがとう!

(このブログの投稿を快諾してくれたことも!)

f:id:yaskolnikov:20170926222517j:plain

左から、イジドールさん、その妻、その母、私、その親友

カメルーン生活:バス移動

ドゥアラから首都ヤウンデに行く用事があって、バスに乗りました。

 

この区間のバスはいろいろな会社・種類があるようですが、FINEXという会社のVIPクラスで、片道 5,000 cfa(約1,000円)というのに乗りました。

4時間半の距離と思うと、とてもお買い得と思います。でもこれでも高い方とのこと。

クーラーもついてて、水 or ジュースとパンももらえます。

Wifiもあったけれど、これはとても遅くて実質は使えず。

ヤウンデまで四時間半。

 

指定席で番号通りの窓側に座っていたら、隣にはマダムが。

座った瞬間から、太もも密着はまあ、しょうがない(?)として、腕が最初から私の腕(私のスペースにある)にしっかりと乗せられました。

おおお

でもあまりにも普通な感じだし、こういう時私はよっぽどでないと何か言えない派なのでどうしようか…と思いつつ、

あ、そうだ、真ん中のひじ掛けを下ろさせてもらおう、と気づき、

「エクスキュゼー、デゾレー(すみませんねー、ごめんなさいねー)ホホホ」

と言いつつ下ろしたら

その上にどん、とハンドバックを置きその上に肘を置いたので、更に私のスペースは縮小となったのでした。

…ははは、そうですよね!!

 

:::::

話変わるけれど、ここの生活では、人との接触度、密着度が高いと常々思います。

乗り合いのタクシーでは、狭い後部座席に三人座るとぎゅうぎゅうで、太ももから腕からぴったりくっついちゃうのですが、なんとなく現地の皆さん、それを意に介してないような。私ばかりもぞもぞ動いてなんとかずらそうとするし。あと隣の人の腕がわき腹をつつき続けるとなんとも落ち着かないです。

そして、ずっと太もものあたりが密着しているから、離れたら汗かいているというあの感覚。

そしてまだそれはいいとして、前の座席には二人(!)、つまり助手席に二人(ちょっと運転席側にはみ出して)座るので、わりと大の大人の男性、知らない人同士二人がぴったり密着して座ることが日常茶飯事です。そういうのもあって、接触・密着に結構リラックスした感覚なのかな、と思います。

 

 ニューヨークではその対極を感じて、電車とかでもぶつからないように、というかちょっとぶつかったら “You are pushing me!” とか大声で言ってる人がよくいました。すごい満員電車で、もうちょっと詰めたらもっと乗れるし乗り降りもスムーズになるのに・・・と思うほど。

スーパーとかですれ違う時も、必ず “Excuse me” と言ってぶつからないようにしている感じです。お互いすれ違いたいのに、相手が強気で(?)”Excuse me.” と言うと、気弱な私はこちらがゆずるしかなくて言ったもん勝ちです。

そのいわゆる「パーソナルスペース」を大事にするからこそ、友達や家族には思いっきりハグする、というのが信頼の表現としてよく機能する、ということと聞いたことがあります。

 

日本はある意味中間なのかな、と思っていて、電車の例だと、詰めて詰めて乗るのが普通だからどうしてもくっつくし、降車時もニューヨークみたいに “Excuse me!” と言わなくてもふんわり押すことで降りる合意、みたいのありますよね。

(それでも私は無言で押されることは、慣習もあるから「絶対に失礼だ! 」とかは思わないものの、できることならされない方が好ましいから、自分では降りる時は小さな声で「すみません~~」と言うようにしています。)

同時にNYから一時帰国の時、何も言わずに(強くじゃないけど)押されることにびっくりするようにもなったり。

 

f:id:yaskolnikov:20170923195914j:plain

関係ないけど道路に停まっていた車、むつびし

 

すごく話がそれましたが、バスの話。

 

隣のマダムの立派な腕に押されながら、4時間半の行程を順調に進み、ヤウンデに到着しました。

到着してすぐJICAの担当職員さんから電話があり

「エデア(途中で通ったドウァラ寄りの地域)で道路が陥没したらしいんですが、何も問題なかったですか?」

と聞かれました。

大丈夫だったけれど…と思ってたら、

「その区間乗客を降ろして、歩かせて、バスも無事通過した後に再度乗客を乗せる、みたいなこともあるみたいなんですが」

と言われ、

そういえば途中そういうことがありました!

突然全員降り、5分くらいただただ道路上を歩かされ、その後また同じバスに乗るという。

不可解だなあ、と思ったけれど、不可解なことは沢山起こるから、特に気にしていなかった…

 

何はともあれ到着できたのですが、その時は完全なる陥没じゃなくて、でもその後本当の陥没が起こり(?)、帰りは通れないとのこと。

 

ヤウンデ―ドゥアラ間は鉄道もあるのですが(飛行機も)、

前にも一度そういうことがあって、みんなが鉄道に殺到した結果、(重量オーバーなのか?)その列車が脱線事故になってしまったケースがあったそうです。

そんなこともあるし、詳細わからないまま帰って途中でやっぱりドゥアラまで着けなくて変な町(?)で降ろされたりしてもいけないので、急いで帰らずにもう一泊することになりました。

 

翌日は無事帰れたんですが、でもやっぱり、「一度降ろされてしばらく歩いてまた乗る」という事態はありました。しかも陥没した場所とは関係ない場所で。

 

不可解なことだらけだけれど、すべてに理由を求めることはせず、今日も元気にやっています。

【読書】  高橋和夫「中東から世界が崩れる」

中東関係、未だに難しくてよくわからない…

とはいえ、国際関係の修士号取ったのにずっとそう言っているわけにもいかないので、カメルーンでの「読書の夏」を存分に楽しんでいるこの機会に、読みました。

 

 

著者の高橋和夫さんは、コロンビア大学の先輩のようです。

中東研究者。

 

もともとあんまり知識がないから、学ぶことばっかりだったのですが、 特にふむふむ、と理解が進んだのは

   ⇒教義の上では大きな差はない。お家騒動。

  • 欧米は、中東の政治体制について「西洋的価値観では民主的な選挙が望ましいが、実際に選挙が行われるが班西洋的なイスラム主義が政権を取ってしまう」ので、民主的ではないが世俗的で欧米に近い政策をとる軍事独裁体制を支援したりする。エジプトで民主的な選挙によってムスリム同胞団が政権を取った時も否定的な立場を取ったし(その後軍事クーデーターでつぶされてしまった)し、94年にパレスチナ自治区ハマスが選挙に勝利した時も公然と無視した。

   ⇒西洋化への絶望と欧米への不満を起点としてイスラム過激派が台頭。

  • サウジはあまり石油以外の力がなく、国民には「税金は払わなくていい代わりに政治には口を出すな」という感じの国。外交の表舞台にはずっと出てこなくて資金力で影響力を行使してきたけれど、ここ数年、若い王子が国防を担当するようになって大きな変化が出てきた。

   ⇒イエメンへの武力介入や、イランとの国交断絶など。

  • イランの核合意成立前に、国際社会がイランにやっていた経済制裁がうまくできたのは、サウジが原油安政策を行っていたから。もしサウジが増産してなかったら、欧州も日本も石油の調達先としてのイランを外したくないから、いくらアメリカが呼びかけても対イラン制裁は難しかったはず。一方で、核合意成立でイラン制裁が解除された後でも、サウジは石油のシェアを奪われたくないし、イランはもちろん売りたいし、でマーケットに石油が溢れている。

   原油市場の安値の原因。国交断絶により生産調整の協調はさらに困難。

  • 20世紀初頭にイランで石油が発見された時、イギリスがすぐのイラン原油の生産販売を独占し、莫大な利益を上げた。しかしWWII後イラン国民にその不満が広がり、その声を代表したモザデク首相が石油産業の国有化を断行。この動きが他の産油国にも広がることを懸念した欧米の石油会社はイラン原油をボイコット。こうして追い詰められた(民主的に選ばれていた)モザデク政権を、米英の諜報機関が53年にクーデターを起こさせて転覆させた。テヘランの米大使館がクーデターの実施本部だった。

   ⇒アメリカ不信の原点。

   ⇒関係改善に取り組んだハタミ政権の対米外交の終焉。

 

等々、内容が濃いけれどわかりやすい構成で、とても勉強になりました。

同時に、ややイランひいき(?)なのかな、と思い、いずれにせよイランへの認識が少し変わりました。

ペルシア人国家のイランが大国意識を持つに至る考察もおもしろかったです。

 

これがこの著者だからなのか、どうなのか、それを知る為には他にも勉強が必要で、こうしてどんどん読むべき本が増えていきます。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

ちなみに、この本の前に実は、まず現代史の基本的なところ押さえなければ、と思って買ったものの一年以上 TSUNDOKU になってしまっていた池上さんの本をやっと読みました。

積ん読、日本語がそのまま英語で使われているんですよね~。"stockpiling of books" ぷぷぷ。)

 

 

読んだらすごくわかりやすくて、ぐんぐん読めて、いろいろ復習になったものの、、、

わかりやすすぎてこんなに簡単にわかっていいのか、 いや、多分もっと複雑な部分も学ばなきゃいけない、特に中東。と思って高橋さんの本を読んだという流れでした。

 

池上さんの本も、大まかにわかりやすく把握して、そのより注目する分野を見極める為にとても良いです。