カメルーン生活:ドゥアラの中華街、そして Lost in Translation
少し前に珍しくお腹を壊したので、よくなった後、いきなりがっつりカメルーン料理ではなく、優しいものが食べたい気持ち。
今はドゥアラで(再び)ホテル生活なのでお粥とか自炊できず。
外食で少し故郷の味に近いもの、そう、中華料理屋さんでスープとか~
と思って、ちょっとした中華街に行きました。
ここは、現地の人が中国文化を楽しむ、みたいな横浜中華街的なノリではなく、中国人の皆さんが現地向けのビジネスをしている場所で、中華食材とかでなく、日用品等のお店が軒をつらねています。
たぶんここで現地の商人さん達が珍しいものを仕入れ、路上に行って売る、という感じです。
中国人 vs カメルーン人で殴り合いの喧嘩をしていたりと、一筋縄ではいかないこの環境でもたくましくビジネスをされているのが見て取れます(?)
※もし実際に行かれる方がいる場合(いなさそう)
⇒ Finex Voyage とか、中距離バスの発着点がたくさんある Boulevard du President Ahmadou Ahidjo という通りです
このあたりにある、入口がとても怪しげな中華料理屋さんに犬にすごく吠えられながら入りました。
入ってみると中身完全に中国で、仏語も英語もほぼ通じず。
完全に「なんで来た?」と思われたと思うけれど、やさしいお店のお母さんが頑張ってGoogle 翻訳で会話をしてくれようとし、心が和みました。
でも日本語のGoogle 翻訳ってうまくいかないのですよね。(英仏でGoogle 翻訳かけるとすごくうまくいって、なんか切ないですよね・・・)
とにもかくにも、おいしい餃子スープにありつけました。
こういう時、"Lost in Translation" という映画のタイトルが頭に浮かぶ。
ところで Lost in Translation というタイトルって結局どういう意味なのかよくわからない、と前からよく思っていて、
たぶん I’m lost in translation ということで
「通訳(が必要な場所)の中で自分の居場所がわからない状態」みたいなことかな、
と勝手に思っていたのです。
でも実は、
主語は “I” ではなくて、
Some words are lost in translation.
(これは、日英で直訳できない言葉の違いや、通訳の人のスキルによって言いたいこと&言われたことすべてが通訳されるわけでなくとりこぼしがある、という意味で)
と同時に、
Some feelings are lost in translation (even if it’s a same language).
(これは、主人公たちが心に持っているモヤモヤを、たとえ母国語であってもはっきりとは伝えられずいくつかの言葉が宙ぶらりんになる、という意味で)
ということなんじゃ!と、餃子スープ食べながら悟りました。
それで調べてみたら、やはり前者が Lost in Translationの一般的な使われ方なんですね。
こういう風に突然気づくこと、ありますよね。
Lost in Translationについては、アメリカにいた時に、アメリカ男子3人に(それぞれ別の場所で)立て続けにこの映画の話をされたことがあって、それまで観たことなかったけれどさすがに観てみて、そして実は私はそんなに感銘を受けなかった…
でも、日本に行ってスカーレット・ヨハンソンと仲良くなれる、って話はアメリカ男子の心に響くというのはそりゃあとても理解できます。
私だって、男女逆だったら(例えば、主人公が日本人のおばさんで、アメリカに行って坂口健太郎と心を通わす映画だったら)惹かれるよね。(惹かれるかな)