エチオピア #3 日本は単一民族・単一言語でラッキーなのか

先日エチオピアに行ってきたのですが、事業地であるガンベラ州では最近セキュリティ状況がかなり不安定で、行動が制限されて予定していた活動が延期になってしまったりしました。

その原因は、複雑ではあるものの主には民族間の対立

この地域はもともとヌエル族の人が多く、州政府の役人もヌエル族が大半であるため、他の民族たち(特に二番目に多いアヌアック族)は不満を持っているという状況がずっとあり、今になって始まったことではありません。

ちなみに南スーダンから難民で入ってきてるのもヌエル族。だからガンベラではヌエル族の人口が増えていて、これまでの人口比率のバランスが崩れたのも背景にあり、そういった点では難民問題とも密接に関わっています。

 

もともと地域に根深く存在する紛争の種は、何かのきっかけで暴力を含む争いに一瞬で発展してしまいます。2016年に対立が悪化した時の最初のきっかけは、Non-profit の支援団体のドライバー("highlander"、アディスを含むいわゆるエチオピアの高地の伝統的な民族と言われる人たち)が難民キャンプ付近でヌエル族の子どもを2人ひき逃げしたことだったそうです。車の事故って本当によくあるし、ウガンダでもほぼ同じ状況で難民とホストコミュニティの対立が悪化したことが数か月前にあったし、うちの団体も無縁ではありません。(もちろんひき逃げはしないだろうけれど) 

その後報復による報復が民族間対立になり200人以上の死者が出たとか。ほんの二年前にこんなことがあったなんてこれまでよく知らなくて、驚いてしまいました。

こういう勉強してきたわりに、まだまだ自分に近いことしか知れていなくて世の中は問題がたくさん。 

Deadly Ethnic Strife Convulses Ethiopia-South Sudan Border - The New York Times

 

 

そんな風にガンベラ州はこれまでもこれからも混乱が続くと思うのですが、私がエチオピアにいる間にオロミア州の一部についても外務省の海外安全情報で危険レベルが「レベル2:不要不急の渡航は止めてください。」に引き上げられました。

※ガンベラ州はもともとレベル2、国境付近については「レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)」

海外安全ホームページ: 危険情報詳細

 

 

オロミア州の対象地域では、オロモ族とソマリ族による民族間衝突が断続的に発生していて多数の死傷者が出ているとのこと。ここでもやっぱり民族間・・・

今年の4月以降、このあたり(エチオピア南部)では約100万人もの人が避難を余儀なくされています。


 

多様な民族がいてそれぞれ別の言語や文化を持つことはすごく興味深いこと。

でもそれが対立の原因になって殺し合いに発展したりするという状況、そしてそれがアフリカの各地で起きているということには言葉を失います。

 

そういう話を同僚のムレ(前回のブログ参照)としていた流れで、

「日本は民族ほぼ1つで、みんな日本語を話してラッキーだね」

と言われました。

 

そもそも正確に言うと単一民族ではなくて、アイヌの人たちとか琉球民族とかあるし、そのトピックの複雑性、当事者のみなさんの苦労は果てしないし、そう言った意味では日本も大多数の論理に従って、ただ単に周りがほぼ同じ民族だから少数派のことを考えることが足りていないのでまだまだ問題が山積みです。

 

それが大前提としてあって、その上で一旦それを脇に置かせてもらって、民族の多様性というのをまず気にしない日本の大多数の都市で育って、かなり「みんなが同じ」という要素が強い環境下の話をさせてください。

 

・・・そういう homogenous (=同種の、均質の)な社会だからこその課題もたくさんありますよね。「こうすべき」という社会規範が強かったり、その規範が変わりにくいから性差別がなかなか是正されなかったり、マイノリティの人権に関する議論が未だ不十分だったり、島国根性が強かったり、外国人を「よそ者」と見たり、それに派生してコンビニにの外国人バイトの人の日本語が完璧でないと文句を言うようなひどい人がいたり…

 

あと、特に学生たちは「みんなと同じ」というのが、強迫観念のように押し付けられたり。一部の学校の行きすぎた校則とか、熱中症になるまで頑張るスポ魂とか、就活の時期に街に画一的なリクルートスーツ姿の学生が量産されることとか、職場でも飲みやすいように透明のコーラとかミルクティー(!)が発売されることとか。

 

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多様性を当たり前のように認め合って、みんなが好きなことを好きにできる社会であってほしい。

 

でもそういうことって、民族が違うという理由で人が殺し合ったりしなきゃいけないこととは比較にならないから、やはり「ラッキーだね」と言われたらそれは否定できないのだとも思ったのです。

いつも日本のこと「いいね」と言われると、「そんなことなくてこんな、あんな問題があって・・・」と話したくなるのですが、民族間紛争の話を前にしては何も言えなくなる。

しかし何事にもいろんな背景はあって、それを気心の知れた同僚であり友人であるムレとだから、その「100%ラッキーだと言い切れない」部分の説明も時間をかけてできるのがよいことで、いずれにせよ一言で言いきれることではなく話せば話すほどいろいろ考えさせられるトピックです。

 

 

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ご飯食べてたら飛んで来た鳥。毎年、前回のブログでも書いたマスカル祭の時期のみ現れる鳥だから、マスカル鳥というそうです。複雑に光る青みがとっても綺麗。

 

 

ちなみに上記の日本の社会規範が強いことについてはいくつか例を挙げて説明しました。

まず、これを避けては通れない、時間について。

日本は時間守ることが超重要で、ミーティング9:00に始まるって言ったら本当に9:00に始まる。そのためにみんな7:23の電車に乗ろう、とか決めてて実際その電車に乗って8:36に会社に着く、とかいうことを説明して、 It’s crazy, right? But it’s real. という感じでした。このエチオピアの中でも特にのんびりした環境で話していると本当に笑っちゃうよな、という感じです。私も日本に帰ったらちゃんと電車検索してその時間に乗るのですけどね。

そもそも時間守ることは私はまあ好きなんですが、若いうちは特にそれを守らないと叱責されたりするのがね、大変ですよね。時間守ることより大切なことはたくさんあるのに、遅れると人間性まで否定されたりするような雰囲気があると。

 

あとエスカレーターのこととか。別に法律で決まっているわけではないけど、立つ人は左側で歩く人のために右を空けるとか(しかも東日本と西日本で違う)。旅行者でそれ知らなかったりすると舌打ちされたりとか。余裕を…!という感じ。

これを話してて、「そういえばエチオピアってエスカレーターないよね!?」となっのたのですが笑、「空港にあるやつね」ということで理解を得ました。

 

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こんなことを、(セキュリティの関係でホテルから出られず、仕事関連で話し合うべきことも尽きつつ)いろいろ話していたところ、何かの話の流れでムレから

“What makes people happy in Japan?”

と聞かれました。

 

Happy とは・・・

うーん・・・

 

周りの人を見てると、happy とは、結婚とか出産とか家族のことに関わってる気がするなあ。そういう時に人はたくさん「おめでとう!」って言うしね。

私は今の生活や仕事をできていてなかなか嬉しいけど、だからって「今私は幸せだ!」と言ったり「おめでとう!」と言われる感じでもないしなあ。

みたいなことを言って、ムレは?と聞いたところ、

こういう風に他の国との違いを話すことでも happy を感じるよ、と言われた。

あと、人を呼んでコーヒー飲むこととか。そこらへんにいる人も「来て来て!一緒にコーヒー飲もう」と言うこととか。

と言われ、

おおおおお、

となりました。

私の happy の定義はなんて狭いんだろうか。そして、これほど定義を狭くすることにメリットがない言葉はない。いろんなことが happy でいいではないかー。

 

ムレと話すのは本当に楽しい。ムレが言ってること全部わかるし、私が話してることが全部ちゃんと伝わってる感じがするのです。特に後者についてはそういう気持ちになれることが、常ではないから。

「そうだよね、私もこういう話できてる今が happy だよ!」となりました。

 

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ちなみにこのブログは、アディスに戻る前、ガンベラ空港での長い待ち時間に書きました。ガンベラから帰る日もデモがあり、そうなると道路閉鎖されちゃうので早朝に移動して空港で待機していたのです。(その後いろいろ調べたり忘れたりしてたから公開まで時間かかりましたが…)

そしてネットが激弱いガンベラ。何かと内省的な時間になりましたが、ムレやフィールドで日々奮闘している同僚たちとじっくり話せてよかったです。

  

おわり