アフリカ駐在員の週末(意識高いver.)
「休日は何をしているの?」
と聞かれた時、いつも自分で何してるんだろう、と思うわけです。
本読んだり、Netflix観たり、ジム行ったり、手洗いなので時間がかかる洗濯、ヤモリの糞を拾ったり、基本インドア。
ダラダラしていることや、突然部屋に舞い込んできたコウモリとの闘いのことを書いてもどうしようもないので、週末やることで唯一の意識高い系活動である、日本人の友人たちとの勉強会のことを紹介したいと思います。
NYの大学院の同級生で、関心や立場が似てるからいろいろ仲良くさせてもらってた友達が、たまたま私とほぼ同時期に別組織の仕事でカンパラ赴任になったので引き続き仲良しなのですが、その子が提案してくれてやることになりました。
同級生が近くにいるのはとても心強い~
まだメンバー4人なのですが、UNHCR 2人、IOM 1一人、そして私で、2~3週間に一回集まって、仕事でやっていることを中心に情報シェアしています。
(ウガンダ在住で、参加したい人はぜひ声かけてください!)
こんな素敵なカフェでやったり。この Kardamom & Koffee というカフェのコーヒーが今のところ私的ウガンダ No.1コーヒーです。
※でも日月はお休みなのと、空いてる日も18時までなのでお気を付けください。そういう、のんびりした経営なのも良いですよね。
メンバーたちは、今のところ4人とも難民に関わる仕事をしていて、例えば一人は難民認定(Refugee Status Determination)の仕事をしています。政府の人たちと顔を突き合わせて一緒に実際の一つ一つの申請ケースを扱って、その認定プロセスの円滑化や、庇護者(難民認定を受けるために本国から逃げてきた人)へのインタビューの質の向上のために奔走しています。
また、CRRF(Comprehensive Refugee Response Framework)という、大規模な難民の発生に対する国際協力に関して包括的に定めたフレームワークがあり、ウガンダ政府はこれを採用することで多数のドナーを巻き込みながら緊急支援と開発を組み合わせて進めている(これがとても大事)のですが、これの普及を担い、政府や各ドナーと協力する仕事をしている人もいます。
NGOの仕事も現場が近いことがおもしろいけれど、やっぱりこういう風に政策に深く刺さりこむ仕事をしている人たちってすごいし話は面白いし、とても勉強になります。自分の仕事をしているだけではまず知ることができない内容、でも大きな視点ではすごく関りの深い内容。
そして発表者としても、自分が何やってるかをまとめて人に伝える良い機会だし、組織外の人だから着目する質問を投げかけられたりするのも勉強になります。
あと単純に、日本語で話してもらえると複雑なこともよく理解できるというのもあり。
大学院の時や今の仕事でも、時々ふと「これすべて母国でインプットできたらさらに全部よくわかってうまく反応できるのだよな。やはり英語で慣れてきたとは言え、理解度にハンデがある・・・」と思うことがあります。そういう普段のハンデを自覚するからこそ、日本語がありがたい。
あと、英語を長時間聞いてると集中切れて聞き流しちゃうことあるし。ウガンダの人たちはスピーチ上手で雄弁な人が多いから、ついつい「うんうん」と聞きながら夕飯何にしようか考えたりしていてふと我に返る。
同時に、英語で仕事する機会を持てているのは望んだことだし、嬉しいのですけどね。
それで、私からの発表としては、自分の組織の紹介、やってるプロジェクトの紹介、出張で行ったエチオピアやスーダンの報告、等をやりました。PPTが結構溜まってきています。
今後は仕事のこと以外にも、開発ワーカーとしてのジレンマやチャレンジについての議論とか、キャリア・ディベロップメントをお互いに考えるグループワークとかもやってみたいです。
同カフェのブラウニーもすごくおいしい
おわり
住む場所起因のストレス
この前、出張に夏休みを組み合わせて、しばらく日本に一時帰国していました。
本当にびっくりするほど暑くてアフリカ生活でこんなに汗かいたことない、っていうほどの汗を毎日かきました。
みんなに「アフリカより暑いの?」と聞かれるので🤤 pic.twitter.com/mI2seJIImp
— Yasuko Nakajima (@NYasukoo) July 23, 2018
いや、暑かった。
でもそれを補ってもあまり余るくらい、日本はやっぱり楽しかったです。
友達との再会、BBQ、山登り、草津温泉、いろいろおいしいものと、買い物。
(しばらくずっとしたいと思っていた山登り。大山にて。)
(母と行った草津温泉の湯畑)
(今回最大のイベントは親友の結婚式。感無量。)
そして、楽しいというのとはまた別に、日本に帰る、、、に限らなくても一度赴任国周辺を出るのは、海外駐在員が心身ともに健康でいるにあたってとても重要。リフレッシュボタンを押すことになります。
一時帰国するまでは、約半年間ウガンダに住んでいて、日本に帰る直前頃はなんか普段よりイライラの種が溜まっているというか、いろいろ起こる「なんで~~~!?」ということに関してちょっと強くまくしたてちゃうような兆候を自分の中に感じました。
例えば、
地方のホテルで夕食頼もうか迷っていて、何分かかるか聞いたら15分と言われたから頼んだのに2時間待たなきゃいけなかったり、
数回だけ会った運転手さんにある日突然、「借金返さなきゃいけないからお金貸して」って言われたり、
朝イチで始める会議、時間厳守でと言われたから渋滞見越してものすごく早く家を出てスタンバイしていたのに主催者が一時間遅れで来たり、
あとウーバーのはじめて会った運転手さんに「子どもいる?結婚してないの?なんでしないの?早くしなよ」と言われる(日に二回)、みたいな些細なこととか。
生活しているとモヤモヤの種がいろいろあって、一つ一つは全く大したことじゃないのだけれど、やっぱり蓄積してくるからどこかでプチンと爆発したらどうしよう、という不安が。キレる外国人、絶対によくない。
私は自覚していたし「もうそろそろ日本に帰ったらリフレッシュできるから大丈夫。」って思えたけれど、そういうのに気づかずにただストレス溜め続けた人が、時々爆発しちゃうのだと思います。
海外赴任すると、一般的に
移住期 → 不適応期(不満期) → 諦観期 → 適応期
というのを経るというのも聞きますよね。
解説はこちら:https://www.jpc-net.jp/paper/kaigai8/kaigai1.pdf
私は前のカメルーン生活も入れてアフリカ生活と考えれば、もう不適応期は越えたかな、という気はするものの、でもまあ引っ越しとかしたり組織が変わったりすると、波の大きさはあれこのサイクルがまたありますよね。どうしたってストレスは溜まるのだからそのマネジメントが重要。
なので、半年くらいで一回日本に一時帰国できたのはとても良いリフレッシュ。
アフリカだと、どうしたって安全対策のために日本にいるよりは気を張っていますしね。暴動に巻き込まれないようにから、病気にならないように、歩きスマホしない、とかまで。
カンパラの地獄の渋滞との関係性もかなり煮詰まってきてたから、彼としばらく距離を置けたのもありがたい…渋滞本当に本当にひどくて、これによってありとあらゆることが予定通り進まないしウーバーは30分待っても来ないし排気ガスで肺も服も薄汚れていきます。
また帰ってきたらこういうことに気を取られながらの生活だけれど、でもこれまでの溜まったポイントが一時帰国でリセットされて、再度ゼロポイントから始められる感があります。まあこれは、心の持ちようですが。
一方!
この住む場所起因のストレスというのは、何もアフリカだけではなくて、違う場所でもあるのですよね。
日本に住んでたら住んでたで日本ストレスが。もちろんあるわけで。
例えば私はものすごく寒いのが苦手なので、冬が長くて寒い、というのだってなかなか厳しいです。
それに比べ、今住んでいるカンパラは、赤道直下だけれど標高が高いので一年中「暑すぎない夏」という感じで、雨も日中はそんなに降らず、でも乾燥もしておらず、天候パーフェクト。
それ以外にも、満員電車とか、いろいろ「こうあるべき」という見えないルールとか、長時間労働とか、島国気質なところとか・・・
そこに長くいるから息詰まる、ってことあります。
ウガンダ、日本、アメリカ、どこでも、それぞれ。
だから、日本に住み続けてたらやっぱり旅行行くことはこういう視点でも重要だと思う。
ちなみに私が行きたい旅行先は、温泉か沖縄。絶対的この二択ですな!
あと桜の時期の日本(どこでも)。これっていつ達成できるのだろうか。
*****
ちなみにウガンダでは、ストハラによるストレスはほぼないです。
ゼロではないけれど。
それだけで住みやすさが全然ちがう!!
カメルーンはこの点は、やっぱりもうちょっと頑張ってほしい。
おわり
【読書】 マーティ・O・レイニー「内向型を強みにする」
内向型・・・
うん、強みにしたい!
と単純に思いKindleストアでぽちり。
最初から、内向型である著者のいろいろな言葉に同意。
外向型は、外の世界からエネルギーを得る。彼らのほとんどは、人と話したり、外のさまざまな活動に参加したり、人や活動や物に囲まれて働くことを好む。(中略)これに対して、内向型の人は、なかの世界から、つまり、アイデアや感情やイメージからエネルギーを得る。(中略)内向型には、物事をじっくり考え、自分を充電するための静かな場所が必要だ。ふうっ!久々にビルに会えてすごく楽しかったけれど、パーティが終わってくれてよかった!彼らはほっとしてそう思う。
とか。
自分は小心者で引っこみ思案なのだとわたしは考えた。ところが、あるときは気づまりで居心地が悪いのに、なんともないときもある。また、最高に楽しく過ごしている最中に、出口に目をやって、パジャマでベッドにもぐりこむ自分を想像することもあった。
とか。
内向型の人に対するもうひとつの大きな偏見―― 内向型は社交嫌いだという考えだ。 内向型の人々は、非社交的なわけではない。ただちがうかたちで人と交わっているだけなのである。内向型の人は、多くのつきあいは必要としないが、より親密な強い結びつきを好む。他者とかかわることは、わたしたち内向型から大量のエネルギーを奪い取る。そのためわたしたちは、あまり社交にエネルギーを使う気になれない。無意味なおしゃべりを喜ばないのもそのためだ。
とか。
内向型には内向型のいいところも沢山あるし、私の周りの人にだって内向的な人がたくさんいるからそれでいいのですが、問題は私もやっぱり「外交的」な性質を身に着けたいということ。というか、この社会は外交的であることが重要視されるし、今の仕事(そしてどんな仕事だって程度の差はあれ)はコミュニケーション能力がものを言うから。
私自身も、「社交的でありたい」という気持ちから発して、昔はなんとなく自分は外交的だと勘違いしていた(思い込んでいた)感があるのですが、それでかなり空回りしたことを思い出すと恥ずかしい。最近は自分の特徴も昔よりはわかってきました。
だからきっと重要なことは、自分の特徴を知った上で、それをどう強みにするかということ。内向型であることはいいのだけれど、それでも人前ではうまくしゃべりたいし、パーティで社交もしたいし、おもしろい話ができるようにもなりたいし、世界を広げたい。
そしてそれって矛盾しない、ということをこの本を読んで実感します。
外向型の人との付き合い方
そして、この本を読んでいてて、内向型について考えると同時に、外向型の人々との付き合い方についても考えられたのがよかったです。
例えば、内向型の親が外向型の子どもに接するときのアドバイスの部分から抜粋。
外向型の子供は、お天気のように、さまざまな気分を見せる。舞い上がったり、落ち込んだり。ときとして彼らは、他人の気持ちに気づかない。親の怒りを無視することもある。親が怒れば、しばらくは後悔するだろう。彼らは明るく肯定してもらうのが好きだから。しかし内向的な子供とちがって、その出来事をもう一度考えることはないのかもしれない。外交型の子供にとって、それは広がっては消えていく雷雲のようなもの――もうすんだことで、かたがついているのだ。
年齢問わず、本当にこれに当てはまる人っているよなあ!と。
同じことでも私の受け取り方と外向型の人の受け取り方は違うということ。
私がウジウジ考えることでも相手は忘れてる場合だってあるんだということ。
例えば最近、外向型の見本例のような友人に、「私がボーイフレンドと別れたこと言ったっけ?」と本気で聞かれて、数日前にわざわざ WhatsApp で言われてたし大事なことだからもちろん印象に残っていたけれど、言った友人はいろんな人にいろんなことを話すから、そこまで印象に残っていないのだな、という。私は結構、自分が話したことも人に話されたことも覚えているタイプだけれど、みんながみんなそうじゃなくて、それも性質の違い。逆に、相手が言ったことを覚えるのが得意と言うのは強みにしたらいいのかもしれないです。
自分を追い込まないこと
あと、ミーティングや学校の授業とかでガンガン話して、話すことで考えたり意見をまとめていく人はよくいるけれど、私はなかなかそれについていけなくて、自分の意見をまとめる時、特にアイディアを出さなきゃいけない時って一人で机に座って考える時間がないと難しい。
そして、もし考えながら話さなきゃいけない時はすごく喋りがゆっくりになってしまう。(というか基本的にゆっくり)
このことについて、自分は頭の回転が遅いからついていけないし、考えながら早く話せないんだ、と折に触れては思うのですが、実はこれも内向型の特徴だとこの本に書いてありました。
「頭の回転が遅い」ことがではなくて笑、自分一人でエネルギーを保存する時間が必要なこと、自分なりのペースの設定が必要なこと、周囲に邪魔されず考える時間が必要なこと。
逆に外向型の人は考えながら同時に話すし、むしろ考えや感情を整理するには、聞き手となる他者が欠かせないということ。
仕事では瞬発力が求められることも多々あるし、パッと答えられたほうが仕事できる感満載。だから自分がのろいことに引け目を感じることはあるけれど、一人で考える時間さえもらえれば、じっくり調べたり物事を深堀りすることは比較的苦ではないし、最終成果物のレベルをしっかり上げようとする力はあるんだ、だからそんなに気にしないで(でも瞬発力を高めるスキル訓練はしつつ)、自分を追い込むことなくいこうと思いました。
こういう系の本はたまに読むと、自己分析の機会になるから良いです。
終
エチオピア #1 仕事後の一杯、宗教、そして踊り
仕事でエチオピアも担当しているので、ウガンダからちょくちょく出張します。
プロジェクトを実施しているのは、南スーダンからの難民がたくさん流入しているガンベラ州という場所。大半をここで過ごします。
国際機関が集まっている首都アディスアババとは全然違う雰囲気。
地域の水衛生環境向上へも取り組む
今回の出張の最大の目的のワークショップがうまく終わって、その夜は事務所での夕食会に参加させてもらいました。事務所の中庭にプラスチックの椅子を並べて、夜空を眺めながらの宴です。
こういう難民キャンプがあるような緊急支援の分野の最前線の事務所というのもあって、スタッフは若者の単身が大部分を占めています。また周りにレストランがあるような環境でもないため、朝昼はみんな事務所内のキッチンで作ったごはんを食べるということ。それでこういう夜の会も時々あったりするから、事務所が家族みたい。
周りが暗かったのでよく見えなかったものの、用意してくれたごはんとてもおいしかったです。
テフという穀物の粉末を水とまぜて、クレープみたいに焼いたものです。
味はふかふかした酸っぱいクレープみたいな感じで、結構特殊な食べ物なので、フィールドでこれを毎日毎食食べていたらさすがに飽きるのでは、と思っていたのですが、そして本当に毎食食べたのですが、意外に飽きない。主食のパワー。
ランチの時の写真。インジェラをちぎって具を巻いて、そのまま手で食べます
あと、ビールが凍っていた。
これまでの人生でもビールは結構飲み続けてきたけれど、凍ったビールを飲むのは初めて。まだまだ初めてのことってありますね。
エチオピアもいろいろ地ビールがあるけれど、この Dashen というのが私は好きです。
この写真で何が言いたいかと言うと、とても暗かったということです。
でも夜って暗いよね、ということを思い出させてくれる。星がきれい。
こうして宴もたけなわ、他の人がスピーチしてる間に、隣に座っていた同僚に、日本ではどの宗教をみんな信じているのか?と聞かれました。
この話、海外にいるとよく聞かれるけれど、あまり単純に答えられないから長くなっちゃうのですよね。声が聞こえにくい状況でコソコソ話すの難しい・・・
(英語のコソコソ声って、本当に聞きずらいと思いませんか?たぶん日本語より英語能力の方が低いというだけでなくて、英語ってアクセントや高低が多々ある言語だから難しいのではという仮説。)
で、基本的には日本人はそんなに宗教熱心じゃない、でもいろいろなイベントで宗教は関連するし、何かに祈る気持ちはあるし、信仰心がないわけではない(すごくざっくり)という私見を述べました。
そしたら、その同僚(敬虔なキリスト教徒)が、「宗教にそこまで熱心じゃない国の方が発展しているよね」というわけです。
これは、大きなテーマ・・・(いよいよコソコソ話ではむずかしい)
国際関係学の大学院にも行ったのにまだまだ本当に、なんで途上国と先進国の発展の溝はこんなにもずっと埋まらないのか、と折に触れては思います。
子どものころ、アフリカの子供たちの窮状を知った時は、でも世界はどんどん発展しているのだからアフリカもすぐに発展するだろう、と思ったのを覚えていますが、でも差はまったく縮まらず。もちろん、最貧困ライン以下で生活する人の割合は減ってたり、健康状態的には向上したりはあるものの、持続可能な経済発展の意味では、まだ気が遠くなるほど進んでいません。
「本当になんで????」と定期的に思い、
やっぱりなにか経済発展を阻むような文化・慣習なのか、とか
それには宗教が関連しているのか、とか
地理とか気候が関係しているのか、とか
やっぱり考えるわけで、そしてこういう私でも思いつくようなことは、歴史上様々な国際関係学者も考え尽くしてきたわけです。でも明確な答えはでない。
それ系の本で最近影響力大きい(私も大学院の授業で読んだ)のは、アセモグルとロビンソンの Why Nations Fail で、私もこれからかなり影響を受けました。
その本が言うのは、上記の要素は結局関係なく、国家の盛衰を決定づけるものは政治・経済上の「制度」であるということ。国のリーダーや政治家が腐敗していたらやっぱり発展できない。
Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty
- 作者: Daron Acemoglu,James Robinson
- 出版社/メーカー: Crown Business
- 発売日: 2012/03/20
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
(この本については、また書くと長くなるのでいつかできたら別途ブログ記事にします。)
でも、「政府のせいだから」なんて言われても、その政府の下で生きている国民にとっては行き場がない切なさが募るだけですよね。それに、政府のせいでいろいろうまくいかないのはみんな気づいているし。
というわけでモヤモヤと国のことを憂う話となりました。
そうして少し憂いた後にはやっぱりダンスタイム。
エチオピアのいろいろな地域の伝統的なリズムに合わせて、みんな踊ります。私も真似して踊って(揺れて?)楽しかったです。
音楽が流れるとつい踊っちゃうこういう感じ、好きです。
こうしてエチオピアでの夜は更けていきました。
おわり
【読書】 杉江弘 「乗ってはいけない航空会社」
Kindleストアでなんかいいのないかなー、と探していたら目について読んでみた本がかなり興味深くいろいろ考えたので紹介します。
元JALパイロットの著者が、数々の航空事故の分析をして安全性を考える本で、読んでいる間、世の中、航空事故は(死亡事故には至らなくても)たくさんあるのだと思いました。
とはいえ、航空事故で死亡する可能性は、地上の交通事故で死亡する可能性より遥かに低く、何百万回に一回の確率、みたいなことはよく聞きますよね。
でも航空事故は、そして起こった時の大惨事っぷりと、乗客は座っているだけで為すすべもないっぷりがすごい。だからなんだか心霊現象を恐れるように怖がってしまいます。
それに生き残れたとしたって墜落しそうな飛行機でブンブン揺れたりする恐怖体験を絶対にしたくないですよね。そんな目にあったら、もう二度と飛行機乗れなくなりそう。そしたらまた方向転換して新たなキャリアを考えないといけなくなります。
ちなみに発着地、航空会社、機種を入力したらこれまでの統計に基づき墜落する可能性を算出するアプリがあるという記事を見つけました笑
この本を読んでわかったのは、航空機事故の原因にはパイロットや整備員の人的ミスが多々あるということ。
これだけ飛行機もハイテクになっているし、パイロットは優秀な人たちだし大丈夫、整備士だってみんな国際的基準でプロフェッショナルに働いているはずだ。
と信じているけれど主にそれは「信じたい」という希望が強いわけで、やはり人だからミスは起きるし、国やその航空局ごとの安全意識も一律じゃないことが、「まあ言われてみればそうなんだよな」と思うのですが、よくわかります。
それで、「ミスがどれだけ起こるか」(何人もの人が飛行には関わっていてミスがゼロになるようにしているけれど、それでも抜けが出ちゃうか)は、その会社の体質が強く影響していて、つまりコスト削減が最大の目標になってしまい安全第一の感覚が薄れてしまっているだとか、パイロットのトレーニング、整備等のコストまで削減してしまっているだとかが関係するので、「この航空会社は危ない」というような分析に繋がっています。
それらを読んで、やはり一括りにしてはいけないけど、でもあまりにも航空券が安いところ(LCC含む)は整備とかパイロットの訓練・人件費までコスト削減の手が及んでいることが想像されるからできるだけ避けよう、と単純に思いました。
日本についても分析があります。
日本の会社は御巣鷹山の墜落事故以降、死亡者が出る事故は起こしていないらしいですが、
やっぱり経営破綻してしまうJALの体質とか、その為パイロットの処遇が減らされてモチベーション低下、もしくは優秀な人が流出しちゃうとか、そういうことが安全に関わってくるので今後の不安要素はあるというのが著者の見解です。ANAでも事故がないわけではないようだし。
とにかく著者が強調しているのは、
「安全度を適正に評価するためには、特定の会社が近年どのような事故を起こしているか、それがさまざまな不幸な要因による偶発的なものなのか、あるいはその会社の構造的な原因によるものなのかを分析」
することの重要性で、巷によくあるエアラインランキングが重視するような、機体の経年数はあまり関係ないし、また事故だけでなく、会社の経営状態、吸収合併等も注目すべき点だということです。
こういうこと、いろいろなるほどなあ、と思わされる本です。
とはいえ、どんな航空会社でも事故は起こる時は起こるし、飛行機にはこれからも乗るし、気にしすぎてもしょうがないのです。
というかそれよりも、日々の交通事故に気をつけることと、健康的な生活をすることの方が重要。
でも少なくとも、この本を読んで、
「天候のせいで着陸できないから別の空港に着陸」とか
「今日は暴風雨で欠航」
というのはしょうがないことで、安全第一のためには無理するほうが恐ろしいのだ、という意識になりました。(今は・・・実際なったら「ぬーっ!」となっちゃうだろうけれど・・・笑)
そしてこんな本読みながら、今週はまた飛行機に乗ってエチオピアへ。
最近はアフリカ大陸内移動でエチオピア航空にたくさんお世話になっております。とても便利。
とりあえずこの本にはアフリカの航空会社については「日本人が乗る率が低いので」書かれていないので、悪いインプットもなく、一安心です。(ちがう)
。。。。。。。。。。。。。。。。。
ちなみに最後に自慢ですが、私はなんだか飛行機運は結構良い気がしています。
なにせ、まあまあ飛行機には乗っていると思うけれど、一回もロストバゲージしたことないのです。(一緒に乗ってた友人の荷物が積み残されたことはあるのに。)破損もない。
あと、乗る飛行機が欠航になったことも一回しかないです。そしてそんなに急いでなかったし、用意してもらったきれいなホテルでくつろいで次の日に普通に乗れました。目的地以外の空港に着陸もない。
しかも、これまで長距離路線でエコノミーからビジネスクラスにアップグレードしてもらったことが三回ある。
(元からビジネスクラスに乗れる仕事にはなかなかつかなそうなので、お許しください)
みんな、飛行機にはそれぞれエピソードや思いがありますよね。
飛行機との関りから垣間見える哲学や人生観。
あなたの体験もぜひご共有ください。
おわり
ウガンダ生活:マンゴー考
ウガンダ北部に移動中の車に乗っていると、小さい実がたくさんぶらさがっている木をよく見て、その木の下に黄色い実がボタボタ落ちているわけです。
「(形と色から)ちょっと小さいけどまさかマンゴー?でも、果物の王様マンゴーだったらあんなにボタボタ落ちたまま放置されるとは考えにくい・・・」
と思っていました。
特に今回の出張先のアジュマニという地域は南スーダンから難民をたくさん受け入れているし、元々現地に住む住民たちもいろいろと経済的に困難な家庭が多いから、マンゴー落ちてたら食べるだろう、と。(私なら食べる)
そんなことを考えながら立ち寄ったホテルの庭にもその木があって、同僚が「拾いたい」と言うから「やっぱ食べられるよね!?」と私もついていったら、
やっぱりマンゴー。
小さいけれどマンゴー。
私も2個拾って帰ってきました。なんというか、「ホテルの私有地にあるのだからホテルのものだ」という感じもなく、おおらかですよね。
そして食べてみたら、まあ繊維が多いし小さいから食べる部分は少ないのだけれど、すごく甘い!!すばらしい。
そういえばこの前、勤務先のみんなと大型バスで移動することがあったのですが、道端にはマンゴーを頭に乗せて売っているお姉さんがいます。
誰かがマンゴー食べたいと言ったから、停車。
バスの中からお姉さんに「マンゴーくださいな」と言うと皮もむいてくれます。
細い道に存在感ある大型バス、そのわきにマンゴーを10個以上立て続けにむきまくるお姉さん。
新しいビニール袋を手にかぶせて、直接実に触ることなくスルスルと無駄なく皮をむいている様子をずっと見ていたら、私もなんかほしくなって結局買ってしまう。
一個1000シリング(約30円)。ちょっと安すぎて申し訳なくなる値段なのに、旬の味、とてもおいしかったです。
ウガンダのまぶしい緑あふれる道でバスに揺られながら、窓ごしに受け取ったマンゴーをむしゃむしゃ食べるというのはなんとも風情があります。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
一方この前、マンゴーアレルギーを発症した友人の話を聞いて戦慄しております。
マンゴーを食べた後、急に顔がすごく腫れてしまい、お医者さんにマンゴーが原因だと言われたとのこと。
実はマンゴーアレルギーって結構あるらしいです。
https://applemango.jp/allergy/
オーストラリアのマンゴーファームで働いていてアレルギーになってしまった人のブログも。
このままマンゴーをモリモリ食べていたら、いつか私も発症するのだろうか…
でも、アレルギーになるのを恐れてマンゴーを食べる量を抑えるなんてできない。
人生ってそんなものじゃない。
そんなロックな気持ちで、首都へ帰る道すがら路上の至る所で売っているマンゴーを山盛り買いました。
中くらいの大きさ11個で3,000シリング(約90円)
しばらくマンゴー祭りです。
おわり
【読書】 プク・ダムスゴー「ISの人質」(山田美明 訳)
こういう仕事だと赴任の前にも着いてからも、そして出張に行った各地で安全管理の説明を受け、ことあるごとに「気を付けて!」リマインドされるのですが、
この前はさらにもう一歩上のレベルで実習を織り交ぜた五日間の安全管理トレーニングに参加するためにケニアに行ってきました。
Hostile Environment Awareness Training
の頭文字を取って、HEATというトレーニングです。
(ちなみにこのトレーニング、私はスーダンに時々出張に行くので受ける必要がある、となりました。でもスーダンでも特に危険そうなところ(ダルフールとか)には行かないのですが、そうかと思えばプロジェクト実施地域でも少し前にWFPの倉庫襲撃事件があったりやはり注意は必要です。)
このトレーニング、詳しくは述べませんが本当に激しく危険な状況を想定した実践的なもので、心理的・体力的に負荷がかかる実習が組み込まれています。
銃撃戦に巻き込まれたり
地雷原に放り込まれたり
人質に取られたり・・・
という時にどうするべきか、また負傷した時の応急処置の方法等、いろいろ満載でした。
激しい(執拗な?)実践トレーニングで、他の二人の女性参加者は泣いちゃうくらい。私はいろいろ驚いたものの泣きはしなかったですが、その日の夜はやっぱり殺されそうになって逃げ続ける夢を見たり。
…前置きが長くなりましたが、こうして安全意識が最高潮に高まった段階で、
前から気になっていた「ISの人質」という本を読みました。
ISに13か月の間拘束された後に解放されたデンマーク人ジャーナリストについての本です。
拘束されたダニエル・リュー氏は、元デンマーク代表体操選手で、シリアを取材旅行で訪れた時にISに拘束されてしまいました。
それからの13か月は、
拷問されたり、
逃走したけれどまた捕まったり、
不衛生な場所で十分な食事を与えられない生活が続いたり、
他の欧米人と一緒の部屋に詰め込まれたり、
いろいろ語れる友人ができたり、
厳しい中でもユーモアの心は忘れなかったり・・・
そして、家族は身代金の工面のために奔走します。
言わずもがな、ISが要求する巨額の身代金を払ってしまったら、それがISの収入源となって武力活動の拡大を支援することになってしまいます。だからデンマーク政府は身代金を払わないという確固たる方針を持っており、家族に金銭的な援助を一切しませんでした。だから家族が苦労しました。
でも家族が集められのはまだよくて、アメリカとイギリスの場合は人質の家族がテロ組織と交渉することも違法であり、身代金を自力で調達することもできないという状況でした(デンマークでも違法だったものの、当時ISISがまだテロ組織のリストに加えられていなくてグレーだった)。
だから実際に、ダニエルと同じ部屋に捕らえられていたアメリカとイギリスの人質たちはカメラの前で首を切られて殺害され、そのビデオはYouTubeで世界中に流れされてしまいました。
※ちなみにその後、2015年にオバマ大統領が法律を修正し、家族が身代金を調達しても起訴されることはなくなりました。
いずれにせよ、アメリカもイギリスもデンマークも、政府が身代金を払うことはありません。というか世界の主要国の間でも、テロリストに対する身代金は払ってはいけないというコンセンサスが2013年のG8サミットでなされているのですね。
下記コラムに紹介されています。
そして日本も、2015年に後藤健二さんと湯川遥菜 さんがISILに人質に取られ身代金を要求された際、払いませんでした。
その結果人質が殺されてしまうというのは、言葉が見つからないような恐ろしいことです。しかしテロリスト組織にお金を流入されるとさらなる暴力が生まれるし、テロリスト側も身代金が集まることがわかったらどんどん外国人を誘拐して資金源にするはず。だから実際に誘拐はまだ後を絶たないし、「身代金ビジネス」なんて言われるゆえんです。
一方、フランス政府は、公式には認めていないものの、国有企業などの営業活動による資金を利用するなどしてこれまで多額の身代金を支払っているとのこと(それが国有企業の利益にもつながる)。一説によると、2008~2013年の間にフランスはアルカイダ関連組織に5,800万ドルもの身代金を払ったとのことです。
本の中で、ダニエルと同じ部屋にいたフランス人達4人はダニエルより先に解放されて、フランスに到着すると大統領や外務大臣らの歓迎を受け、オランド大統領は
「フランス政府は、彼らを解放できたことを誇りに思う」
と記者団の前で言ったとのこと。
あーなんだか…
でも私だって誰か友人が人質に取られたらできる限りの寄付をすると思うし、
ジャーナリストたちに「危険な場所に行くな」というのも無理があると思います。
そういう人たちの報道で、何が起こっているのか世界に伝わるのだし。
でも同時に、本当に危険で人質に取られるような場所には行かないでほしいとも思うし、「伝えなきゃ」という意思の強いジャーナリストを止めるのも難しい。
しかしテロリスト組織にお金が流れるのは避けなければいけない。
でももともと、そういう憎しみが生まれる背景には、大国の思惑で大きなお金が流れたり長引かせられた紛争があったりしたわけで…
資源がある国は思惑が交差して…
みんなが他の国のことはとにかく放っておけば世の中平和になるのでは。(こんな仕事してるのに)
そういうことを悶々と考えさせられる読書でした。
ちょっと夢に出てくるかもしれないけれど、世界で起こっていることの一端を生々しく感じるのに良い本です。
ちなみにダニエルは、その後TEDでも喋っています。どんな状況でも、人はある程度適応しちゃうんだ、という内容。
あんなに極限の状況で、日々殺される恐怖と闘いながら13か月も拘束された後、(もちろん様々なPTSDは残っているのだろうけれど)一見健康そうで人前で話すことができるというのは奇跡のようだなあ、と思いました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ところで、これを書いている今まさにスーダンにいます。
首都から離れフィールドにてインターネットのない週末、窓のない薄暗いホテル、錆びたシャワーヘッドから出るのは茶色っぽい水のみ、鉄枠のベッドにペラペラのマットレスの上で、時々停電で真っ暗になりながら書いていて、雰囲気抜群です。
外に出たら出たで毎日40度超え、「ちょっと散歩に行こう」というのが命取り…(’▽’)
なんか恐ろしい内容だったので、最後はおいしかった食べ物を紹介して締めくくることとします。
①スーダン式朝ごはん。と言ってもお昼頃食べます。みんなでワイワイ食卓を囲んで、すべて指で上手にちぎって食べるのがポイント。
②ナイル川の魚をカラッと揚げたてで。ライムと比べるとわかるけれど、かなり大きいです。ほとんど砂漠地帯で砂だらけ岩だらけなのに、世界最長の川がすぐそばにあるっていうのがおもしろいです。
③美容と健康に良いデーツ。私はデーツってねちょっとしたイメージで特に好きではなかったのですが、これは固くてカリッとしててお気に入り。出してくれた所で「おいしいですね」と言ったら持って帰りなよ、と一掴み持たせてくださり、入れるところがないので服のポケットにそのまま突っ込んで、その後忘れて、ホテルに帰ってから服脱いだらこれがボトボト落ちてきてギョッとしました。なんかちょっと違うものにも見える。
おわり
私が政治家になったとしたら
政治家にはなりません(なれません)が、よく「私が政治家だったら〇〇したい」というのは妄想します。
その中で一番やりたい政策は、
「大企業や官公庁の都心のオフィスを地方へ分散させる」
というもの。
政策立案の知識がないので具体案は自分でもよくわからないけど、例えば
オフィスを都心から離したら、その距離とか社員数に応じて助成金・もしくは法人税の優遇が得られる
というような政策が思いつきます。
例)1,000人が働く丸の内のオフィス(100万ポイント)を埼玉県久喜市(5万ポイント)に移した場合、1,000 × (100万-5万)=9億5千万ポイント
とか計算して、そのポイントに応じて助成か税制優遇を受ける。
そしてこれを、大阪とか、東京以外の大都市にも適応します。
なぜかというと?
都会の通勤ラッシュと長時間通勤はたくさんの日本人を疲れさせて、幸福度を下げてると常々思うからです。
政治家としては、日本人の幸福度を上げたいです。たくさんの働く人たちが元気になれば、幸福度が上がる、経済も伸びる。
この前一時帰国した時に、実家から都心まで朝通うことがあったのですが、やっぱり通勤大変。うちの実家が横浜で典型的な「首都圏に住んで片道2時間くらいの通勤」という感じで、大変。私はまだぎゅうぎゅうの中、立ってる元気はあるけれど、妊婦さんとか体弱い人とか高齢の方とか、本当に毎朝つらいと思います。
海外に日本から駐在している人と話す時、特に日本へ帰任直前だったりする場合、「日本に帰ったらまた満員電車つらいなー」という話題になるのがあるあるだったりします。
それでつらいから、やっぱりイライラしている人を朝からたくさん見たり、ちょっとしたことで喧嘩が始まってそれを見るのも嫌だし。
あと最近、目にするだけで気持ちが暗くなるからもう見たくないようなニュースですが、女性専用車両について。
女性専用車両は男性差別だ、と言ってわざわざ乗り込み、乗っている女性とトラブルを起こして通勤ラッシュ中に電車を遅延させた人たちがいたとか。
「男性であるというだけで、痴漢を起こす人とみなしてある場所に入れなくさせるなんて何事だ!差別は許さない!」
みたいな主張をしている人がいるというツイッターやニュースの情報は、もう薄目になっちゃうくらい見たくないような話です。
でも目を背けずに反論するのなら、
「痴漢の被害件数は本当に多く、トラウマになっている人もたくさんいてその人たちが安心して乗れるための車両なんだから、『男性』という属性で差別しているわけではありません。また、女性専用車両に乗っている女性に対して主張するのではなく、本当に正式な苦情なら冷静に鉄道会社や議員さんに話したらどうでしょうか。」
ということなんだろうけど、そういう話が通じなさそうな気配です。
いずれにせよ本当に脱力するような嫌なニュースなんですが、でもどうしたらいいのかな、と考えれば考えるほどわからなくなります。
私個人的には、日本で通勤していたとして、女性専用車両がなかったら困るかなー、でも、昔学生の時とか痴漢に遭遇したことは少なくない回数あって、その後とかは本当に電車に乗るのが嫌だった。電車に乗ると嫌な思い出が蘇ってくるというのは本当にわかる。
もし私が女の子のお母さんで、その子が電車に乗らなきゃいけない場合、女性専用車両があったほうが安心だろうな、とかも思います。
同時に、既にストレス溜まっている通勤中の男性が、例えば階段降りたところから一番近い車両が女性専用車両で乗れない、いつも遠くまで歩かなきゃいけない、ということでさらにイライラしてしまうとかもあるのかな、と思います。(だからと言ってそれを女性に対する憎悪に結び付けるのは全く正当化できないですが)
あとなんとなく、これだけ混んでる通勤時間中に「男性は入れない場所」というのがあるのが、少し不自然というか、(そこまでしなきゃならないほどに痴漢犯罪が多いことの結果だけれど)残念。
じゃあ解決策はなんだろう、とそういうことを考えた時にも、やっぱり通勤電車に乗る人の数を減らすというのはかなり根本的に問題に働きかけると思います。
だから、この「通勤幸福度向上法案」(今決めた名前)が通過した際には、鉄道各社が「じゃあ電車の本数減らしましょう」としてはだめで、今よりはるかに乗車率が低くなるような本数で運行することも担保しなくてはなりません。鉄道会社は、地方の路線が活性化することになるし、毎朝のあの過酷な通勤ラッシュ時の運営労力も低減されるのだから、良い点悪い点のバランス取って、ぜひ協力していただきたいです。
起こりうる反論への回答
「毎日お客さんのとこに訪問しなきゃいけないんだから、遠くなると効率悪くなる!」
という声が聞こえてきそうですが、それを逆手に取って、対面でのミーティングは減らす方向へ。いろんなTV会議システム、スカイプあるのだし。でも本当に対面が必要な時、ここぞという時に会いに行ったら、その時の重要性・印象度・生産性は今までよりアップするのではないでしょうか。
移動が多すぎて、会社に戻ってきたらもう定時。残業が当たり前ー、というのがこれで減らせるきっかけになると思います。
逆に、個人向け営業で外回りばっかり、という仕事はそもそも地域で任されているだろうから、会社に来る回数を限定して基本的にそのエリアで活動して、社と連絡しなくてはいけないことはメールとスカイプで。
こうして移動を減らすことで、エコにもつながる施策です。
「今は世田谷に住んでるのに、会社が熊谷になっちゃって、どうしてくれるんだ!」
という声には、会社の移動によって通勤距離が〇〇km以上になってしまった人への引っ越し代金を会社が補助する。助成金から賄う。
逆に、会社に合わせて住む場所を移動したら、生活費(特に家賃)が安くなる可能性大です。無理に都心に住まなくても。
こんなに狭い日本で狭い都心にぎゅうぎゅうに住むよりも、少し郊外で大きめの家で車も保有して住む人が増えるほうが幸福度上がるような気もします。人口密度を薄く広く分散させるイメージ。
「客先との会食や、他社の友人と夜飲みに行きにくくなる!」
そうかもしれないけれど、今も飲んだ後に酔っ払いで満員電車に乗ることを考えたら、ちょっと距離あっても空いてる電車で帰れる場所で、早めに切り上げる会食にすればいいのではないでしょうか?
あと、その会食・接待は本当に必要なのか?ともう一呼吸置いて考えるきっかけにもなり、交際費削減につながるかも。そして、早く帰って家族と過ごしたり仕事以外の時間を楽しむ幅を広げたら、またそれも幸福度向上に繋がる気がします。
合コンするなら、その後の交際を考えても職場か家から近い人同士でやったほうがいいだろうし!?
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
もしかしてこういうこと進めてる政治家の人っているのでしょうか?聞いたことないけれど・・・もしいたら、すごく応援したい。働いたお金で寄付もしたい。
まあ、こういう政策をやるにあたって実際にどのような現実的な課題があるかはよくわかってないのですが…とにかく、日本の働く人たちがもっと穏やかに幸せにいられる社会になるといいなあ、といつも思ってます。
夢の政策のお話でした。
中学生の時の話(バーバリーのマフラー)
私が中学生の時はバーバリーのマフラーが全盛期で、日本全国津々浦々で女子中高生があのチェックに魅了されたものです。
年末に日本に一時帰国していた時、高校の部活の友人たちと一泊温泉旅行に行って、夜にお酒飲みながらそんな話になりました。
なんでそういう流れになったかはわからないけれど、とにかくその印象的なチェックの話になり、ある子はそのマフラーをダイクマ(地元感満載の、知る人ぞ知るディスカウントストア)で手に入れた、とかいろいろ懐かしい話。
その話の途中、バーバリーにまつわる中学生時代のある思い出が急にふとよみがえりました。
🐤 🐤 🐤
クラスの仲良かった友達の1人がバーバリーのマフラーを買ってもらって学校にしてきたのですが、たしか一週間もたたないうちに、ある日教室に置いておいたはずが無くなってしまったのです。 当時なかなか荒れていたうちの中学校では、物が盗られてしまうことが時々あって、バーバリーのマフラーみたいに特に良いものが標的となってしまいました。
せっかく買ってもらった大事なマフラーがなくなってしまって、その友達は泣いてしまい、私もなんと声をかけたらよいかわからず、悲しい気持ちに… 中学生からしたら特に高級品だし、ご両親になんて言ったらいいのかとか、悲しみが想像できます。
でもそれから数日たったある日の夜、いつもいろいろ問題を起こして目立っている「学校一のワル」みたいな人から突然電話がありました。
中学生なのに外で歩きタバコしながら登校しちゃうような子。
同じクラスではあったけれどそんなに話したこともなくて、普段何やってるのか全然わからないような人から電話があってちょっとびっくり。
(そして当時中学生で携帯なんか持っていなくて、家に電話というのがノスタルジック… )
それで電話の内容は、どうやら彼がそのマフラー盗難に関わっていたらしく、でもやっぱり返したいから、私経由で返してほしいとの話でした。 なんか想像だけど、その人自体が主犯だったというより、その仲間たちの中で何かめぼしいものを盗って売る(?)みたいなルートができてて(もしかして卒業生とかもからんで?)、その人も関わったのか、もしくはただ単に盗った人のことを知ってたのかな。
いずれにせよ、マフラーを盗られちゃった子が泣いてるのを目にして、返さなきゃ、と思ったんだと思います。 根っから悪い子じゃなかったし、その後大学生の時(?)、緩い同窓会みたいなので会った時に、やっぱり結構ちゃんとした人だったんだな、と思った記憶が。
話を中学時代に戻すと、 それで次の日、どこか物陰でマフラー返してもらって、私から友達に返しました。 その友達にはなんて言ったのかな・・・忘れちゃいましたが、でも言わなくてもなんとなくわかるとかだったのかも。
先生には特に言わなかった気がします。
というわけで、こんなことを高校の気の置けない仲間と夜も更ける中お酒を飲みつつ話しつつ思い出したんですが、その後数週間したある日、そのマフラーを返してきた男子からインスタのフォロー申請がきて、あはは、と思った流れでブログ書きました。
一回卒業後会った以外は一度も会ってなくてものすごい久しぶりなのになんの前触れもなく笑。しかしこちらからもフォローしたら一枚も写真アップしていないので結局近況わからずだけれど、元気なのかな。
中学時代は、子どもなりにいろいろとあった気がするけれど、みんな元気ですように。
ちなみに今回の帰国中には大人になってからまた会うようになった中学の友達、SちゃんとSくんと一緒にビアバーに行ったのも楽しかったです。
中学生の時は、大人になってこんな風に喋れるって思ってなかったな。
(その会でSちゃんが用意してくれたプレート。昔から変わらぬやさしさ♡)
日本に帰るといろいろなことを思い出します。
終
緩み、疲れ、無理しないこと
高校以来の友人と銀座でお茶している時に、
「日本でしたかったこととかある?」と聞かれた流れで
「日本にいると歩きスマホできるのがいいよね」
と言ったら、歩きスマホしている姿を写真に撮ってくれました。
後日、彼女が写真教室でそのことを説明したら、教室の人に
「彼女は日本では緩みを求めているんじゃないか?」
と言われたとのこと。
Photo by Mari Hamano
まさに。
要はカメルーンにいた時は、ただでさえ目立つしお金を持っていると思われる外国人は、安全面に最新の注意を払わなければならず、ダラダラ歩きスマホするなんてもっての他。どうしても外でスマホ確認した時は周囲を見渡して安全そうなところで一瞬だけカバンから出して、さっと確認してカバンに戻す、ということが必要だったわけです。
だからそんなに気を使わないで歩きスマホできるのは、緩さの象徴。
※歩いている時は周囲に注意し、スマホに集中しすぎないようにしましょう。
。。。。。。。。。。。。。。。
ところで、しばらくしたらまたアフリカ生活なのですが、この一カ月は勤務先のNGOの日本事務所に平日毎日出勤しており、日本にいます。
日本だから、緩さを求めているものの、
なんかやけに疲れる…
職場ではまだ緊張もあり、学びの連続で「疲れた」なんてもちろん思わないけれど、夜とか土日とかぐったり。
新しい勤務先だとか、毎朝のちょっと遠めの通勤だとか、長引く時差ボケとか、そういうもので疲れているのかなと思うものの、なんとも力があと一歩出ませぬ。
カメルーンで、特に首都から離れてドゥアラという都市にいた時は基本一人でやることがあまりなく、日本に帰ったらあれもこれもやりたい、いろんな人に会いたい、と思っていたのに…
できたらまる一カ月くらい家の中にいたい。
そんな感じで、体力気力がなくなってきていてどうしたものかと思っていた時に、写真を通した「緩み」という言葉を聞いて、
あー日本に帰ってきて気が緩んだから、疲れがどっと出たのかな。
と思いました。
そういえば小さいころから、幼稚園や学校が休みになった途端に水疱瘡にかかったり、風邪ひいたりしたな。
あともう一つ、落ち着かないから疲れる、というのも大きいと思います。
次新たにウガンダで仕事するけれど、また初めての場所で、初めての人たちとどんな風になるかまだ想像できず、渡航準備や日用品の買い物、コツコツと荷造り等、日本にいるというか「一時帰国」という感じ。
カメルーンでも、首都ヤウンデとドゥアラを行ったり来たりで、そのたびに荷造りしていて、その直前も日本には三週間いただけで、その前はNYから全部の荷物持って大移動でした。だから、なんかずっと荷造りしている気がする…
NY生活二年目に買った大きな青いスーツケースもだいぶ味が出てきました。ちなみにこれ、大容量なのに軽くて丈夫で気に入っているから、今回もう一つ同じのを買いました。Samsonite のアスフィアというシリーズの一番大きいやつ。ギチギチすぎないように全体に詰めて、ちょうど23㎏くらい。今後はこれ二つ体制で移動します。
つまり、動き続けているから見えない所で疲れが溜まっているのかな、と思いました。友達とか会いたい人はたくさんいるし、本当はもっと土日とか夜とか外に出てアクティブに頑張りたいという気持ちもあって、
「私はもっとできるはず。前はできたし。それにせっかく日本に帰って来てるんだし」
と思ってしかるべき。
でももはやそういう考えで頑張るタイプでは no more ないので、休みます。
今一番重要なことは新しい職場にしっかり出勤して仕事を集中して身に着けることですし。
なので連絡したいような人にもあえてこちらからがつがつ連絡していないけれど、みんなに会いたいのは事実で、何か会合がある時とかは一応声かけてもらえると嬉しいな、とか、人任せなコメント…
次はしばらく一つの所にいる予定だけれど、出張は多いし、やはりこういう仕事している以上「落ち着かない」のはつきものです。
こういうのが合っているのかどうかはまだよくわからず。
まあいずれにせよ、実際赴任したらアドレナリンが出るだろうし、仕事が忙しくなってきたら疲れていようがなんだろうが、頑張るのですが。
そんな時でも体調管理はプロとして大事で、無理し過ぎないという心がけは続けます。
これ、ウガンダでのここぞという時用に買ってみた。効くかな。
最後に、写真を撮ってくれた友人もブログをやっていて、本当に素敵な写真と情報満載なのでぜひ覗いてみてください。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
追伸:ちなみに、誰にも声かけられずに歩けるというのも日本で満喫しています。これは緩みに大きく関わります。
(参考記事)
2017年を振り返る5つのキーワード
2017年が気がついたら終わってしまっておりました。
例によって師も走る12月はバタバタしておりましたので、年明けてしまいましたが今振り返ります。
5つキーワードを選びました。
1.カメルーン
最近まで半年暮らしたカメルーン。
半年暮らすということは、肌も体質もその土地にかなり適応するということだなあ、と日本に帰ってきて思ってます。
カメルーンでは最初の方こそ、というか着いてから三か月くらい意味不明な肌荒れがゆるゆると続いたけれど、それを抜ければ肌の調子がわりとよかったのです。すごく湿気が多くて、あったかいからだと思います。だからカメルーンで過ごしていれば、皺ができにくいのでは、とすら思います。(大気汚染がひどいことはマイナス要素)
それが日本に帰ってきて、寒くて乾燥してて、早速顔に細かい小じわが…そして、大きな吹き出物も三つできました。日本の冬、厳しすぎます。というか日本の四季、厳しすぎます。こんなに気温が変わると、いくら服があってもそりゃあ足りないですよね。そしてあったかい国から帰ってくると、大量のヒートテックをどこにしまったのか、と探す羽目になる。部屋の収納は限られているのに見つからないミステリー。
(でも一昨年の夏に過ごしたカザフスタンの首都アスタナは、今マイナス30℃とかだそう。なのに短い夏の間はやっぱり30℃とかまでになるので、日本で文句言ってちゃいけないかも…)
同時に、寒暖の差がないカメルーンのような国では、一年中着るものが一緒。それだと季節感がないというか、「あの時ああいう格好だったなあ」といった、記憶と服装をむすびつける要素がなくて、なんだかいつの話だったか思い出しにくいというようなことがあると思います。
何が言いたいかというと、私は日本で生まれ育ったから日本の環境が一番合う、というわけでなく、半年も違う国にいたらその国の方に体が適応するのだな、そして環境が変わる度にまたしばらく適応期が必要なんだな、ということで、つまりこういう移動を繰り返しているとすぐ老けそう。
でも体の強さは今回も思い切り発揮して、一回だけお腹壊した(でも土日二日間寝てたら自然に治った)以外はずっと元気でした。食べ物もそこまで気を付けていたわけでなく、胃腸の強さを再確認。
予防接種も打ちまくってるから免疫力も抜群。
全然カメルーンでの生活ではないことを書きましたが、当地での生活はいくつかブログに書いたのでよかったらご覧ください。
2.KAIZEN
これも今年くりかえしくりかえし、累計 5,000回 口にした単語です。
この言葉を通して、ほんとうにたくさんのカメルーンの中小企業で働く社長さん、従業員さん達に会い、現場のリアルを学ぶことができました。
カイゼン、continuous improvement.
何事にも通ずる概念。人生だってカイゼンの連続。
私はこれからもカイゼンっ子です。
インターンの概要もブログに書きましたが、また機会があったらまとめ的なものをもうちょっと書きたいと思っています。
3.大学院卒業
ずっとカメルーンとカイゼンのことに気を取られて、本人も忘れかけていましたが、実は今年の前半はまだアメリカにいたのでした。カメルーンと環境が違い過ぎて、ニューヨークの摩天楼は物理的にも心理的にもはるか彼方。
大学院は結構苦しくて、キャパのギリギリのところ(ややオーバーしていた)で頑張る日々だったので、(白髪も増えたし)5月に卒業できた時は本当に嬉しかったです。
5月下旬に卒業して、31日にニューヨークのアパートを引き払ってそのまま日本に帰国し、三週間だけ日本で過ごした後、すぐにカメルーンに発ちました。本当は、卒業してからもちょっとニューヨークで過ごしたかった気持ちもあり、後ろ髪引かれつつも…
ところでこの水色のガウン、変な色だとみなさん思いますよね?
私も最初、幼稚園のスモックかな、と思ったのです。
でも今ではもうこの色以外ありえないと心から思ってしまう卒業生の一人。上品な水色だし。(コロンビアの人はみんなこれを言う)
4.ウガンダ
その大学院の最後の7カ月は、毎日ウガンダと言っていました。
うちの大学院で修論相当となるグループプロジェクトが、ウガンダでの「土地、コラプション、ジェンダー、ICT(情報通信テクノロジー)」 に関する調査・提言を行うものだったからです。
心血を注いだ集大成のこのプロジェクトに関しては、別途、下記リンク先の記事にまとめました。
そしてウガンダは大学院のみでなく、今後も重要な意味を持つ国になりそう!
5.フランス語
というわけで、今年は前半と後半でまったく違う一年だったわけですが、5つ目は何か前半と後半に共通するものにしよう…としばらく考えたところ、そういえばフランス語を継続して勉強した一年でした。
カメルーンでの半年間はもちろん、大学院の最後のセメスターでもフランス語の授業を取っていたからです。必修じゃないので別に履修しなくてもいいフランス語。余裕ない中でもリスクも考えたのですが(何せ、週三回授業がある)、やはりカメルーンに行くための準備としてちゃんと真剣に勉強したいと思って取りました。
語学は基本的には大学院の外で、学部生(つまり、20歳くらいのイケイケなコロンビア大学生)中心のクラスなのですが、たまたま同じ大学院で仲良しの台湾人の友達も同じクラスを取っていて、二人でアホな内容のフランス語作文を作ってクラスで発表したり、忙しいながらも楽しかったです。
と言いますか、フランス語は自分の学部生時代も第二外国語でやっていたので、実は10年以上(!)勉強歴があります。そのわりにはまだまだ。もっと頑張ろうと思えば頑張れたと思うのに、ちょっと後回しにしちゃったり怠けちゃったり。今後は仏語圏離れるのでまた継続が課題ですが、続けるということを来年の抱負の一つにしたいと思います。
というわけでみなさま、
Bonne et heureuse année 2018!
今年も、皆さんにとって楽しく幸せなことがたくさんありますように。
コロンビア大学 SIPA:修論
本当はアメリカに大学院留学している間に、ブログに書き留めておきたいようなことがたくさんあったのですが、いつも崖っぷちで書けず。
後からでも徐々に書きたいな、と思っていて、今回は卒業プロジェクトで行ったウガンダでのリサーチについて書きます。
【目次】
概要
タイトルには「修論」と書きましたが、実はコロンビア大学SIPA(School of International and Public Affairs)では、個人で書く修士論文ではなく、それに相当するものとして Capstone というグループプロジェクトを行います。
これは、おおまかにいうと、生徒たちがコンサルタントとなって、外部の組織のクライアントの為に提言等を行うものです。
※私は EPD (Economic and Political Development) の専攻で、この専攻のみCapstoneを EPD Workshop と言って少し区別しており、以下はEPDの内容です。
まず最終学期の一つ前の学期(二年目の1セメスター目)に、Methods for Development Practice、という、導入の内容の授業を受けます。このように2セメスターに渡って行うのが、 EPD Workshop と他の Capstone の大きな違いです。
授業の前半では、開発分野の実務家になる為に必要なメソッド、例えばプロジェクト立案、課題認識、評価&モニタリング等についてグループワークを行いながら進めていきます。
そして半ばになると、来学期のEPD Workshop のプロジェクト一覧が発表されます。クライアントの名前からプロジェクトの内容まで、仕事のTORみたいです。
生徒はその中から自分の興味に沿ったプロジェクトを第5希望まで提出し、EPD専攻のダイレクター(兼、Methods for Development Practiceの授業の先生)が生徒の希望やこれまでの経歴、スキル等を考慮し、各プロジェクトへ割り当てます。
クライアントは、様々な開発機関、例えばUNDP、UNICEF、世銀といった国際機関、また大小様々なNGO等の機関が名を連ね、また対象地域も、アフリカ、アジア、ラテンアメリカと様々でした。
選考結果
私は幸運にも第一希望のプロジェクトに入れました。
クライアントはTransparency International という国際NPOで、
プロジェクト内容はウガンダにてICT (Information and Communication Technology) の活用がコラプション(特に土地セクター)とジェンダーに与える影響について調査・提言するプロジェクトです。
つまりキーワードは、この5つ。
土地
コラプション(腐敗)
ICT
ウガンダでは、アフリカの他の国でも多々見られるのと同様に、政府のコラプション(腐敗、贈賄)が大きな問題となり国の発展を阻害しています。
また土地の取得にあたり、古くからの慣習法と国の法律が同時に存在している上、内容も複雑で一般の人にはわかりづらく、また政府が急に取り上げとりもするので数多くの問題が起きています。
さらに土地を買おうとするプロセスでも、村のリーダーや公的機関の職員から賄賂を求められることが横行しているし、土地関連で問題が起きたとしても警察が機能していなかったりします。
そしてその被害を女性がより強く被りやすいというのも問題です。なぜなら特に地方は父権的で女性の権利が限られており、また家事や子育ての負担をほぼ全て女性が負うことが通常である中、女性が財産を持って土地を買えるケースはほぼなく、結果戸籍の名前は夫の名前になり、離婚や死別の際には女性は土地の権利を持たないことが多いためです。
こうした状況に対して、テクノロジー(ICT)を用いて何ができるかをクライアントに提言するのがこのプロジェクトです。政府のデータをウェブ上で公開して透明性を向上したり、一般の人がスマホのアプリを利用して、賄賂を要求された等のケースを通報したりすることで、コラプションを減らしていこうという動きが世界中で活発になっています。
クライアントのTransparency International は、世界中でコラプションと戦っているNPOで、Corruption Index という国のコラプション度合いのランキングを発行していることで有名です。
(ちなみにこのランキングの2016年版で、世界1位はデンマーク、日本は20位、ウガンダは 151位でした。)
選考プロセスの性質上、仲良しグループで組むわけではないので、とはいえ何か月も一緒に行う重たいグループワークなので、実は入学する前からどんなチームになるか心配していました…
ご想像の通り、みんな忙しくてギリギリな中、7カ月くらい毎日のように協力しなくてはならない、卒業がかかったプロジェクトなので、うまくいかないチームは本当にうまくいかなくて、過去には図書館で殴り合いの喧嘩が起こったとかも聞きました。笑
そんな中、うちのグループは本当にラッキーなことに、一人一人のコミットが高くバランスもとれた良いチームになって、大学院でいろいろ辛いことはあったけれど、これだけは本当に神様ありがとう、と折に触れて感謝していました。ほんと、そうじゃなかったら心折れてた…
ちなみにEPD Workshop では他の専攻より比較的問題が少ないみたいで、EPDの人たちは「EPDを専攻するような人は(開発系で働くような人は)いい人が多いから問題が起きにくいんだよ」とか自画自賛していましたが笑、多分、他の専攻の人たちは他で自分たちに都合がいいこと言ってる…。SIPAでは、こういう専攻ごとの偏見ジョークみたいなのがよくあります。※SIPAの専攻一覧が気になる方は下記リンクご参照ください。
メンバー紹介
うちのチームのメンバー全6名を紹介します。
- すごくしっかり者のアメリカン女子がプロジェクト・マネージャー。これまであった人の中でトップレベルの几帳面さでよく気が付いて、嫌な感じじゃなく細かくオーガナイズしてくれて、それでいて自分の意見を通すのではなく、周りの意見を聞いて進めるタイプのリーダーで本当に助かりました。ムキムキの婚約者あり。
- UCLAの学部卒から直接SIPAに入った(23歳!)のアメリカン。私の方がずっと年上なのに、私よりはるかにしっかりしていて、細やかで、とても頭いい。家族がインド出身で、ボリウッドにも詳しい。
- 唯一の男子もアメリカン。カリフォルニア出身で、ピースコー経験もありたくましい。絶妙なリラックスさと頭の良さと優しさで、いろいろ見習いたい人物。
- いつも全力投球なドイツ女子。チームの中で唯一感情の起伏が激しいタイプで、でも本当に頑張り屋さん。結果いつも崖っぷちだけれど、パフォーマンス高い。
- メキシカン女子。二人で組むこともよくあったし家も近所だから、一番よく一緒に話したかも。小柄でおしゃれなシティーガールだけど、テコンドーの達人。テキーラとはショットで飲むのではなく、良いモノを味わって飲むものだと教えてくれた人。
- 私、コツコツやることだけが取り柄のBudget Officer。
リサーチ経過
グループが11月に出来上がってから、チームビルディング、各グループに一人つくアドバイザーの教授とのミーティング、クライアントとのやり取り、プロジェクト計画書の提出、予算の策定、現地でのインタビュー内容の精査、インタビュー先とのスケジュール調整等、ガンガン進めました。
これはもはや勉強というか仕事という感じです。自分の職務範囲に関する知識を深め、チームメンバーと話し合い、各々期日までに質の高いアウトプットをしていくという…
SIPAでの大学院生活は全般的に多かれ少なかれそういった性質があるのですが、EPD Workshop は特にそうです。
そしてチームの内2名が初期調査の為、1月に二週間ウガンダでフィールドワークを行いました。この最初のフィールドワークが今後のプロジェクトの方向性に関わる重要なものなので、チームとして成功させるために、私を含む残りのメンバーも各地からサポートします。つまり、冬休み中もSkypeミーティングを繰り返し、ロジを固め、インタビュー先へアポ取りし、文献を読む!読む!読む!ということをしました。
そこから年明けには中間発表をしたり、1月にしたインタビューの録音を手分けして文字起こししたり、3月のより大規模なフィールドワークの方針を固めたりしたりと、バタバタしながらあっというまに3月になりました。
ウガンダでのフィールドワーク
SIPAでは3月に一週間の春休みがあるので、その一週間にもう一週つなげて、二週間のフィールドワークをしました。1月に行かなかった残りの4人(私含む)が行きます。
主なミッションは下記二点です。
1)政府やNGOの人たちにインタビューして、ウガンダの土地のシステムやその問題、腐敗の有無と影響、ジェンダーに関する取り組み等を理解する
2)地方の村(中部1つ、北部3つ)に行き、村人たちへのフォーカスグループインタビューをして、彼らが土地関連で直面している問題、ICTの活用状況、ジェンダーによる違い等を理解する
基本二人一組で手分けして一日に複数のインタビューを行いました。最終的に、1月のフィールドワークと合わせて、インタビューは49人、フォーカスグループは15グループ(128人)行ったので、他のグループと比べてもすごく計画的に沢山できた結果となったと思います。
そしてもちろんとても疲れました。インタビューの原稿は既に準備してあるけれど、いろんな場所に行って、待って、説明して、話してメモ取って。
政府関連の皆さんはだいたい英語できるけれど、なれないアクセントに苦戦したりもしたし、村では現地語なので通訳の人を通すけど、時間がかかるし通訳の人もプロじゃないからあまりスムーズにいかなかったり。
インタビューはその後、文字起こしするために全て録音しているのですが、私が通訳さんに「今なんて言ったんですか?」「一文ずつちゃんと通訳してください」と何度も言ってる声も録音されています…
政府の人たちは、思ったより「コラプションが問題だ!」と言うけれど、実際あまりにコラプションが大きすぎて根深かったり。理論上「コラプションはだめだ」と言っていても、実際のところ本当にコラプション根絶しようとできているのか疑問だったり。
村人たちは、たいていとても貧しくて、父権的で女性は権利が限られて、コラプションのせいでお金がないと何事もうまく進められず…という。インタビューしていて、悲しい気持ちになったり怒りを感じることが多々ありました。
最終レポート
内容については書き出すときりがないのですが、フィールドワークから戻って、5月頭までの間に議論と個人作業を積み重ねて、72ページの大作のレポートができました。文献リサーチやインタビューからの分析と、それを踏まえたクライアントの Transparency International への提言をまとめたレポートです。
ICTの活用にとどまらず、ウガンダでの関連法令の成立や政府職員・警察へのトレーニングへの働きかけ、また各種アドボカシーについての提言をしました。
ご興味あれば下記リンク先、Land Portal という土地関連のガバナンス向上の為の情報提供サイトに掲載されておりPDFでダウンロードできます。
最終プレゼン
最終レポートを提出すると共に、クライアントと大学院へのプレゼンをすることが最終成果物となります。
プレゼンは代表者数名でやるのがスムーズだろうという話になった時、じゃあ私がやることはないだろうな、と最初は思いました。
なぜならはっきり言って私の英語力はまだまだだし、あとのメンバーは英語ができるってだけでなく人前で喋るのが上手な人たちだから、わざわざ私がその代表になることはないな、と思ったわけです。
でも週一回のアドバイザーの教授も参加するミーティングの時に、教授が
「もしこの中に、プレゼンに苦手意識がある人がいるなら、これはまたとない機会だから、そういう人こそ進んでやるべき」
とおっしゃいました。
その時私は「私のことだな…」と思ったし、たぶんみんなも私のことだと思ったと思います。
私もせっかくの機会だから挑戦したい気持ちはあるし、ただ一方で、これまでずっと質にこだわってこだわって頑張ってきたプロジェクト。最後の大事な場面でも最高のアウトプットを出すためには、他の人がやったほうが全体のためになるのではないか…と思い、立候補していいものか悩みました。
でも結局、立候補とかじゃなくて、なんだか自然な流れで私とメキシコ人のメンバーの二人でやることが決まりました。まわりでやんわりとそういう風に持って行ってくれた感じがあります。(アメリカ人三人はレポートの最後の文法チェックやるし、ドイツ人の子はレポートのデザインを整えるから、じゃあプレゼンは二人でやってね、みたいな感じで。)
私がプレゼン自信ないのを知っていて、それでちゃんと信頼して任せてくれたことに感謝。そしてその責任を背負って、がんばらなければ。
ということで、パワポもヴィジュアルに気を使いながら準備し、みんなの意見を聞きながら何度も練習し、発表当日の朝までリハーサルをして、無事プレゼンを終えることができました。すごく緊張したけれど、落ち着いて、メモをあんまり見ないで喋ることができたと思います。
学校でプレゼンを見る機会が多くて、パワポを含め魅せ方を学ぶ機会が多数あったけれど、これが集大成という感じ。
(パワポの例)
終わった後、校舎の外に出たらパリッとした快晴で、まだ5月にもなってないのにすごく暑くて、学校のキャンパスの中の木々の鮮やかな緑色をまぶしく感じながら歩いた時の「やったぞ!」という気持ちを今も覚えています。
おわりに
こんなに長文だけれど、まだまだ書ききれないことだらけの、とても濃密な7カ月のプロジェクトでした。
本当にこれができてよかったと思うし、教授やチームメイト達に心から感謝しています。
グループワークの中で日々学んで、自分のパワーアップも感じられたし、テーマの部分、特にコラプションとジェンダーについては、理論的な背景知識も身に着けさらに関心を持つようになりました。
しかも、来年からの仕事の面接時にこの経験をアピールしたことが大きかった気がするので、間接的にキャリアにも繋がったと思います。
大学院生活の最後に、大変だけど良い経験でき、大きな達成感がありました。
カメルーン生活:ドゥアラの中華街、そして Lost in Translation
少し前に珍しくお腹を壊したので、よくなった後、いきなりがっつりカメルーン料理ではなく、優しいものが食べたい気持ち。
今はドゥアラで(再び)ホテル生活なのでお粥とか自炊できず。
外食で少し故郷の味に近いもの、そう、中華料理屋さんでスープとか~
と思って、ちょっとした中華街に行きました。
ここは、現地の人が中国文化を楽しむ、みたいな横浜中華街的なノリではなく、中国人の皆さんが現地向けのビジネスをしている場所で、中華食材とかでなく、日用品等のお店が軒をつらねています。
たぶんここで現地の商人さん達が珍しいものを仕入れ、路上に行って売る、という感じです。
中国人 vs カメルーン人で殴り合いの喧嘩をしていたりと、一筋縄ではいかないこの環境でもたくましくビジネスをされているのが見て取れます(?)
※もし実際に行かれる方がいる場合(いなさそう)
⇒ Finex Voyage とか、中距離バスの発着点がたくさんある Boulevard du President Ahmadou Ahidjo という通りです
このあたりにある、入口がとても怪しげな中華料理屋さんに犬にすごく吠えられながら入りました。
入ってみると中身完全に中国で、仏語も英語もほぼ通じず。
完全に「なんで来た?」と思われたと思うけれど、やさしいお店のお母さんが頑張ってGoogle 翻訳で会話をしてくれようとし、心が和みました。
でも日本語のGoogle 翻訳ってうまくいかないのですよね。(英仏でGoogle 翻訳かけるとすごくうまくいって、なんか切ないですよね・・・)
とにもかくにも、おいしい餃子スープにありつけました。
こういう時、"Lost in Translation" という映画のタイトルが頭に浮かぶ。
ところで Lost in Translation というタイトルって結局どういう意味なのかよくわからない、と前からよく思っていて、
たぶん I’m lost in translation ということで
「通訳(が必要な場所)の中で自分の居場所がわからない状態」みたいなことかな、
と勝手に思っていたのです。
でも実は、
主語は “I” ではなくて、
Some words are lost in translation.
(これは、日英で直訳できない言葉の違いや、通訳の人のスキルによって言いたいこと&言われたことすべてが通訳されるわけでなくとりこぼしがある、という意味で)
と同時に、
Some feelings are lost in translation (even if it’s a same language).
(これは、主人公たちが心に持っているモヤモヤを、たとえ母国語であってもはっきりとは伝えられずいくつかの言葉が宙ぶらりんになる、という意味で)
ということなんじゃ!と、餃子スープ食べながら悟りました。
それで調べてみたら、やはり前者が Lost in Translationの一般的な使われ方なんですね。
こういう風に突然気づくこと、ありますよね。
Lost in Translationについては、アメリカにいた時に、アメリカ男子3人に(それぞれ別の場所で)立て続けにこの映画の話をされたことがあって、それまで観たことなかったけれどさすがに観てみて、そして実は私はそんなに感銘を受けなかった…
でも、日本に行ってスカーレット・ヨハンソンと仲良くなれる、って話はアメリカ男子の心に響くというのはそりゃあとても理解できます。
私だって、男女逆だったら(例えば、主人公が日本人のおばさんで、アメリカに行って坂口健太郎と心を通わす映画だったら)惹かれるよね。(惹かれるかな)
カメルーン生活:お札がくさい
カメルーンでは、CFA(セーファフラン)という通貨を使っていて、中部アフリカ六カ国(カメルーン、中央アフリカ、コンゴ共和国、赤道ギニア、ガボン、チャド)で共通の通貨です。
1EUR=655.957FCFAの固定レートなので、100cfa = 20円くらいと計算しています。
カラフルでかわいいお札なのですが、 日本やアメリカでは絶対に見ないような汚いお札によく出会います。
もちろん匂う!
六カ国共通だから、国境を越えてはるばる旅してきているお札もあるわけで。
いろいろな人の汗と涙とホコリと土と、その他いろいろなもの・・・
上の写真並みに汚いの(今私のお財布に入っている)を触った後は、とても手を洗いたい感じです。
こちら、200年前のお札です。
— 内藤俊輔@クラウドファンディング挑戦中 (@Naikel0311) 2017年11月19日
と、日本人に言っても信じる人いそう笑 https://t.co/cTEYtOfcoT
たしかに!笑
ちなみにこの内藤さんがTwitterで更新しているアフリカ漫画を読むのが最近の日課になっており、すごくおもしろいのでおすすめです。
#汚いお札選手権 へのエントリーもお待ちしています。
あと悩ましい(?) のが、両替所や、事務所から活動費等を頂く時は一番大きいお札の単位、10,000 cfa の単位で受け取るのですが(そうでないとすごい札束になってしまうし)、街中で10,000 cfa を受け取ってもらえないケースがたくさんあることです。
道端の食堂とか、タクシーの運転手さんに10,000 cfa 渡しても、まずお釣りがないと言われます。
日本だと、10,000円札崩すために数百円の買い物したりするの全然OKですが、ここだとそういうわけにもいかず…
タクシーに毎日乗って1,000とか2,000 cfa を頻繁に使うので、細かいお札を常に持っておくことが重要なミッションとなり、レストランや大きめのスーパーでは必ず10,000 cfa を出してお釣りをもらいます。
なのに、スーパーでたまたま会計が9,800 cfa とかになると「うあああ!」と残念。(1,000 cfa 札や2,000 cfa 札がほしかった・・・)
一方、例えば7,000 cfa のお釣りを 1,000 cfa × 7枚でくれたりすると、
Merci! Merci beaucoup! (大変ありがとうございます!)
という(こんなことで)一喜一憂っぷり。
お店で崩してください、と頼んでも普通してくれないのですよね。
だから、現地の人も細かいお札には困ることが多うのですが、商店の人とかタクシー運ちゃんとか、それぞれご近所同士で助け合って補っている感じです。
一日に5,000 cfa (約1,000円)も使わない人がたくさんいるのだろうから、
「なんで10,000 cfa (約2,000円)のお釣りすらもらえないのか!」
なんて怒ってはだめですね。
日々のコツコツ細かいお札をためる活動が重要です。
終
【読書】 米川正子 「あやつられる難民――政府、国連、NGOのはざまで」
難民問題、大学院の専門とはちょっと違うけど勉強しなきゃと思っており、この本を読むことにしました。
あやつられる難民 ──政府、国連、NGOのはざまで (ちくま新書)
- 作者: 米川正子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/02/24
- メディア: Kindle版
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タイトルの通り、難民が政府や国連、NGOの大きな政策・流れの中で「あやつられる」立場となり、自分の意思とは違うところで運命が決まっていってしまう、ということがよくわかりました。今の世界をとりまく難民政策と国際機関・政府・NGOの役割に対して強く警鐘を鳴らす、読み応えのある本です。
一方で、現在の体制への批判的な見方とのことなので、読んだら気が重くなるかな、と思いながら読み始めはしたのですが、そういう心構えがあってもやっぱり批判がとても大きいということに驚きました。
例えば、
残念ながら、UNHCR職員の多くは、難民保護より自身のキャリア(昇進とサバイバル)を重視していることは事実だ。
という指摘。
ただそういう要素はUNHCRに限らず国連、というかNGO等含めこの業界(他の業界も?)には沢山あると思うけれど、一人一人が結局のところ
「自分が使命としてやること・社会に貢献するつもりでやること」と
「キャリアを構築すること」
のバランスを取り、自分の中で一番のバランスの部分を探りながら仕事しているのだと思うので、「多くの人がキャリアの方を重視」という言い方は乱暴では、と思ったんですが、こういう記述が頻発し、著者によるとそれは「難民を利用してキャリアを構築する」とのことでした。
あと、UNHCRの高官が現場出張する時のことについて。
そういう出張は難民問題を肌で理解し現場の関係者とやりとりすることが目的なのに、一方で
UNHCRの現地代表や本部の地域担当者などのキャリアが評価される場でもある。なので、現地代表らはなるべく都合の悪いことを隠すようにベストを尽くす。
と書かれていて、あー、そういうことはきっとあるのだろうな、という気持ちと、逆に言うとそれはどこの組織でも(民間セクターでも)多かれ少なかれそういった側面はあるのだろうな、ということです。
それを前提として、例えば私の友達の難民の勉強してきた人たちがそういう現場に行って、そんなに自己防衛ばかりするとは思えません。むしろ志を持って働いている人は(それが何割くらいを占めるのか、私には結局はわからないのだけれど、そんなに悲観的じゃない)、そういう状況でその場の難民の状況の大変さをがんばって伝えるのではないかと思いました。
これらに限らず本全体にわたって批判が多すぎて逆に中立性を欠いているのでは、
という思いから、途中から少し内容の本筋に集中できないことが度々ありました。
同時にもちろん、いろんな場面で志をくじかされることに沢山直面してきた米川先生だから言えることが多々あるのはわかるし、もしかしたらここにも書ききれないもっとひどいこともあるのかもしれないし、現場で前線で活躍してきたから見える非常に重要な指摘が沢山あるのだと思います。
今の日本でここまで難民の現場に深く切り込める人は他にあまりいないのかもしれません。中立的な研究者の立場だから、ここまで厳しく言えるのだと。
また、これまでご自身が携わってきたこと(主にUNHCRの仕事)についてかなり自分に厳しく反省している姿勢も、なかなかできるものではないと思いました。人にも自分にも厳しいのが徹底されていることに頭が下がります。
難民支援の現場で働いている他の人の意見を聞いてみたくなりました。
また、難民について学ぶのに良い本・論文があったらぜひおすすめしてほしいです。