スリランカ生活:沸点について

 

怒りが少ない日本生活?

しばらくの海外での生活およびウガンダ駐在を終えて3年ほど日本にいた時、日常生活において「腹が立つ」みたいな気持ちが結構少なかったなと。

こういうこと言うと、

うそでしょ!いまスリランカから振り返っているから思い出が良く補正されているだけでしょ!

…と言われそうですが、負の感情が全然なかったと言いたいわけではもちろんありません。

 

仕事はそれなりに疲れたり嫌だったりすることあったし、気が重すぎて涙が出てくることもあったのだけれど、なんというかプライベートの生活をしている上で「腹が立つ」ってことは本当に少なかったということで、それは当時から自覚していました。

 

というか、政治とか世界情勢とか社会のジェンダー課題とかについては怒ることはある(というかわりと毎日のように怒りを覚えている)けど、ある意味自分の手のすぐ届く範囲とか、誰か人に対して怒ることは近頃ほとんどない(ウガンダにいた時は違ったけど)という話を職場の上司としたのを覚えています。

 

もちろん、日本にいた3年の間にそれほど困難や、ややこしいことがなかったからというのもあるだろうし、それはラッキーだったと言えばそうなのですが。

(まあその間も、コロナ、転職、引越し、結婚式等、人や社会との関わりはいろいろあったけれど)

 

 

最近の怒り事情

でもそうこうしてスリランカ生活、結論から言うと最近はいろいろなことにイライラし、結果的に私はとても怒りっぽいし、あらゆる怒りの沸点が下がってる感じです。

 

この前一週間の地方出張で散々スリランカ的ないろいろを乗り越えて、あるいは流すか我慢して帰ってきた後、

この週末はなるべく外部との関わりを断ちたい…そうでないとほんとに「急にブチギレる外国人」になっちゃう恐れがある(※)という気持ちになっていたのですが、

「でもまあ、徒歩1分のスーパーでアイス買うだけなら何も起こらないだろう」

とわざわざ心を整えてから買いに出かけました。

 

※私は前から、何かの拍子で突然ブチギレちゃったらどうしようというすごい恐れを抱いているのだけれどこれってなんなんでしょうね。実際にそれが起きたことはないけれど。

 

その前に少し前置きをすると、スリランカでは電子マネーがあまり流通していないので、カードじゃない場合は基本現金決済です。でもおつりがちゃんと用意されていないことが結構多いから、特にトゥクトゥクに乗る時用と、あと仕事で業者さんに払うときにおつりがないと本当に困るから、細かいお金を常に持っておきたい私は大きなお金(5000ルピーとか)を崩せる機会に崩しておくことを常に意識しています。そのためスーパーとかで積極的に試みているのだけれど、大手スーパーですら崩すのが難しい時が結構ある、という状況があります。

 

話を戻すと、その時アイスと何か買って970ルピー(500円弱)で、普段だったら5000ルピー出して1000ルピー札の手持ちを増やしたいところだけど、ないと言われるかもしれないしその小さなやりとり一回が増えることでまたイラが溜まることを恐れた私は、「今日はいいや」と1000ルピーを出しました。

そしたら、出した瞬間、20ルピーか50ルピーない?と言われ、まずそこにうんざり。

30ルピーって15円とかなのですが。

そのほぼ最小単位くらいのおつりもないの?スーパーなのに?というかあるでしょ?

と思ったし、なんかもう、あるけど面倒くさくて「ない」と言ったら、結果本当におつりがなかったらしく、裏から出すために待たされて、その間に「イラ」が「イライライラ」くらいになってきて、

「やばい、15円のためにこのイラを増やすのは見合わなすぎる…!」

と思ってもう諦めて帰ってきて事なきを得た(?)のですが。

 

 

書いてみて改めて、読者の皆さんもお気づきだと思いますが、少しも怒るようなことではないこと…!

自分でもやばすぎる怒りの沸点…!

あ、でも、外には出していない(はず)…!

 

ただもちろん、これは一例で、仕事のことは詳しく書けないけれど毎日のすべてが大小のこんな感じなのが積もっていて、スリランカ来てから7ヶ月、これくらい時によってはイライラしてしまう状況が仕上がってきました。

 

 

忍耐について

考えてみると、日本生活で一時的に怒りの感情が少なかったのは、その前のウガンダ等での生活を経て、ある種の忍耐力がついていたのかもという気持ちにもなってきました。

忍耐… というか、信じられないことやうまくいかないこと、理不尽なことへの許容範囲が広がっていたというか。

 

よく子育てしている人から、「子育てをして得たことは、理不尽な要求に耐える忍耐力です」という経験談を聞くけれど、ある意味私も、それと少し似たような感じで、もう自分の力ではどうにもこうにもコントロールできないことに振り回されて鍛えている忍耐力があるのでは!?という。

 

一見、子育てと仕事では使う忍耐力が違うように見えるけれど、そこが「子育てでの理不尽さに比べたら…」ということで適用可能であるなら、

私も、ウガンダ生活と日本生活は単純には比べられないながら、でもやはり「こういう場面でウガンダだったらもっと大変だっただろうから…」という感覚がやはり頭の中にあると言えるような。

 

日本もいろいろ社会的な課題があって憂いまくるけれど、生活上や行政手続きは、ウガンダ 等であるようなもう考えられないような非効率とか、やってもやっても押しても引いても動かないみたいなことがないから、大抵のことは気にならないというか、日本便利だなー、と思うことが多かったかも。

 

特に、引っ越しとか海外への転居とか、役所的な手続きをいろいろやる時、「指示がほとんど文章に書かれていて、指示通りやれば基本的に大丈夫ってすごい!」という気持ちが結構ありました。そしてもちろん、それを自分の母国語でできることね。

(でもこれ、そういう文書を読むのが得意じゃない人にはとてもストレス溜まるというのはよくわかる。)

 

そして、日本にいるのは一時的なものでまた途上国駐在になるのは予期できていたから、限られた期間の日本生活がよく見えるというのはあったかもしれません。

 

だから、日本にまたずっと住むとなったらまた違うだろうし、立場や所属が変わればまた違う困難があるだろうし、そして日本の問題はその「便利すぎる」をみんなが当たり前に追求しすぎて、労働者に過度な負荷がかかってるとかがあるのはよくわかりつつ。

 

 

シニカルにはシニカルになるだけの理由がある

どこの国に行っても、そこにしばらく住んでいる人でその国の諸々にとてもシニカルだなあ、かなり毒舌だなあ、という人がいる、というか多いけれど、自分もそうなるからそりゃそうだよなあと思ってきます。

しかも元々口が悪そうとかではない人がそうだったりする(口が悪い人は言わずもがな)から、それがおもしろくもあり、よっぽど苦労が多いんだなあと思いを馳せずにはいられないというのもあり。

自分も日本にいる時より文句と不満が明らかに多いの、悲しいけど自覚しています。

 

そしてこういうことを考えていて改めて教訓として思うのは、やはり出張とかで短期間だけどこかの国に行った時に、そこに住んでいる人に「住みやすそう」とか、どの国でも言うべきではないな、ということです。

 

これは昔私がやってしまったことがありすごく反省していることで、その時は、そこの国に住めていいですね、という憧れやポジティブな気持ちを背景にしたものだったのだけれど(仕事内容含め)、たとえそうだとしても、やっぱそこで苦労してる人には「は?」と思われたと思う。(私が言った後、一瞬間があったから気がついた)

 

出張でホテル生活で、やり取りする人も限られている中で見えることって本当に限られているものね。

実際の生活の試練というのは、家を探して、その家に住んで、家の大小トラブル(隙間風や虫や騒音や砂埃やインフラの不具合等)に日々対処して、日本みたいに便利じゃないお店でいろいろな買い物して、スーパーで食材選んでご飯作って、現地の交通機関を使って、通行人や運転手に絡まれて、の連続からしか見えてこないと思います。

しかも同じ国でも、首都か地方かでも全然事情は異なるし。

 

(ただし、これは旅行で来た友だちや家族が「この国楽しい!住みたい!」と言ってくれる場合には全然そんなこと思わないけれど。だって旅行中楽しく過ごしてくれた方がうれしいし、私が元気でやってるって思ってほしいし。)

 

あと言わずもがなだけれど、こういうイライラへの対処法は、「周りを変えるのは無理なのだから、自分の気の持ちようを変えること。期待値を調整すること」であるし、「いちいちイライラしない。その方が自分にとっても楽だよ」というのも必要なことなのだけれど、そういうことは本人が一番わかっているので、その渦中でそれぞれの苦労でなんとか日々乗り越えている人に周りがアドバイスできることってないよな、とも思います。

(現地在住10年、20年とかの人からの経験に基づいた超具体的なアドバイスはもちろん別。とってもありがたいです。ただそういう方々はレベルが高すぎて私には真似はできないかもだけれど。)

 

 

おわりに

今回はこのようにとってもネガティブな内容だったのだけれど、もちろんこの仕事がやりたくて今やれてるのはうれしくて、前述の出張でも目的自体はうまくいって達成感もあったし、日々いいことと楽しいことともあるのだけれど、そのプラスとマイナスは両立するということ。というか切っても切り離せない中で、日々仕事や生活は進んでいくのだと思います。

 

そして、こういう環境への適応もこの仕事の一部なのだし、それがやりたかったのだから、と自分を奮い立たせる…!

でも、「自分がやりたかったこと」だから弱音をはいちゃいけないってことじゃない。

 

もう無理って時はぐったりするか、スリランカの綺麗なビーチに遊びに行っておいしいもの食べて、また元気になりたいと思います。

 

あと、なんかこうしてまとめたことで、気持ちがだいぶ落ち着いた気もします。

やはり私には、文章を書くことも大事なこと。

 



おわり