LGBT理解増進?トランスアライでいるために

 

トイレやお風呂の話が一人歩きしすぎ

LGBT理解増進法の成立と前後してトランスジェンダーの話題についてたくさん話されているけれど、どう考えても、トイレやお風呂のことが一人歩きしすぎであることに疑問とフラストレーションが溜まります。

 

そういうこと言っている人って、何がどうなったら(例えばどんな法案が通ったとしたら)、日本全国で性犯罪目的の男性が「トランス女性です」と言って女性トイレに入ることがOKになる、っていう認識で言っているの?と思います。

 

実態がない恐怖の一部を切り取ってそこを被害者ヅラでことさら強調するというのは、例えば関東大震災で朝鮮人が「井戸に毒を入れた」というデマを流してヘイトを煽るのと同じだと思います。そしてその結果、最悪人が亡くなってしまう。そしてそれは実際に起きている。

 

怖い怖いだけ言っている人は、社会の一員として、何が問題の本質なのか(上澄みだけすくってそこだけに脊髄反射で反応していないか)と、実はその発言が差別を煽っていて目の前にいない誰かをことを考えてから発信してほしいと思います。

 

ただこの話をする時に葛藤があるのが、私はフェミニストとして、女性の権利が(今以上に)縮小されることがないようにしたいし、性暴力への恐怖心にはいつも寄り添いたいというのがあることです。だからその不安を口に出している人、そしてその人は性暴力被害に遭ったことがあるのかもしれないしそのトラウマに今も苦しんでいるのかもしれないと思うと、その恐怖を否定することはできない。むしろ寄り添いたい。

でも、「男性がトイレに入ってくるのは怖い」というような一部だけ切り取って結果トランスジェンダー差別に加担する発言はもう見たくないのです。

 

こういうことを言うと、「怖いものは怖い」とか「怖いことを怖いって言って何が悪いの?」って言われそうだけれど、社会の一員なのだから、それが社会の中でどういう意味を持って、どのように差別を助長するのか、その点も意識する必要が大いにあると思います。

 

つまり、このトランス当事者とトイレお風呂の問題について、当事者の方達は私が到底想像もできないような葛藤と困難を持ちながら生活していると思われ、むしろ自分の身の危険を差し迫って感じたり、人の目を気にしながら生きていかないという状況なのに、それに寄り添うどおろか、巷で言われている「女性風呂にトランス女性と名乗って男性が入ってくる!」という部分にだけ反応して、それが嫌だと言うことで本当のトランス当事者を傷つけてしまうこと。

 

そういう発言をする本人にとってはもしかすると「純粋な不安」や「素朴な疑問」として発せられたものなのかもしれないけれど、結局さまざまなトランスの人々のことを想像しない身勝手な発言であって、トランスの人々の中でもものすごく生き方や選択、抱えているものに多様性があるということが無視されていたり、トランスの人の話はすぐ性器の話に結びつけて良いと考える残酷さ、そしてそういう視線に晒されて続けている当事者の人たちがそれをどのように我慢しているのか、、、そういったことがまったく見えていないのだと思います。

私だってもちろん見えているとは到底言えないけれど、トランスに限らずあらゆる人のあらゆる事情や弱さについて、想像していきたいしそれができなければ終わりだとは思っています。

 

話を戻すと、怖い怖いと言って偏見を煽る言葉を垂れ流すのは「差別」を煽っていることに等しいし、性暴力への恐怖心があろうがなかろうが、人間としてしてはならないこと。

 

そう考えると、そもそも、差別に加担しない、ということよりも優先されるようなことってそんなにあるだろうか?という気持ちになります。

 

 

「女性の安全を守る」がトランスヘイト派の格好の材料にも

私は上記のように普通にフェミニストとしての感覚で、女性の安全や権利がこれ以上脅かされてはいけないと思うけれど、そういう考えを盾にして悪用して、トランスジェンダーへのヘイトが拡大されてきたというのが事実だと理解しています。

本当は、トイレとかお風呂で性犯罪が行われることと、トランスジェンダーの人が差別されずに生きられる社会を作ることは別の話なのに、無理やりつなげて、ヘイトに活用されてしまう。

 

今回の理解増進法案成立の前から特に、この「女性の安全が脅かされる」言説をテコにトランス差別がされる動きが加速したようだけれど、法案成立してから自民党内で「全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性等を守る議員連盟」というのができて、要は自民党保守派が理解増進法案への「懸念」を示すような連盟らしく、メンバーが100人いるらしい。

 

www.sankei.com

 

杉田水脈もしっかり入ってる。(記事内に議員たちの名前あります)

こういう人たちって、、、ほんとに。

 

保守派は、「伝統的な家族観」とかあってないようなものを「守る」ことで勢力を維持したりしたい保守層(ここに統一教会とか神道連盟とかの利権がからんでくる)に寄り添うことで選挙を生き抜いてきているから、そのために人を差別することを厭わないんだな、って暗い気持ちになる。。。

ということも書き出すと終わらないので。

 

とにもかくにも、こういう議員たちとか、右派系保守派メディアとか、意識的にトランスヘイト言説を推進してきた人々は当然差別をやめてほしいといか言えないけれど、そういう人たちが垂れ流す言葉のうわずみだけみて、「え、女性トイレに男性が入ってくるの?いやだ!」という言葉を安易に広めることも、差別ですよ、と言いたいのです。

 

 

ヘイトはSNS上にとどまらず

SNSの特徴として、極端な意見が拡散されやすいというのはあり、実際の社会よりもさらに不寛容さやヘイトが目に入ってしまうというのはあるだろうかた、この件もSNSだけでここまで不安を煽られる必要はないのかもしれない。

むしろそうだといいのだけれど、ただ、今回の法案成立に先立っては、議員へのロビー活動があったり(結果法案がよりマジョリティに配慮した内容に結局なってしまったり)、渋谷マークシティのトイレにビラが貼られたり、家の郵便受けに入れられたりもあったそう。

 

www.businessinsider.jp

 

あと、女優の橋本愛さんも

「心は女性」とする男性が女性用の公衆浴場やトイレなどを利用することについて「体の性に合わせて区分する方がベターかな」

と発言したのが話題になっていたけれど(その後謝罪)、そういう影響力がある人が発言したり、そうするとそれについて「何が悪いの?」と擁護する人もいて、実際にそれは社会で起こっていることだということは認めざるを得ないとも思います。

 

www.nikkansports.com

 

 

おわりに

マジョリティの人だけにとって住みやすい社会から、もっといろんな人にとって住みやすい社会に移行する時って、そりゃあこれまで多くの恩恵を受けてきたマジョリティにとっては多少の気にすべき点やすり合わせるべき点が出てくるからちょっと手間がかかるかもしれない。これはその一つの例だと思います。

でも逆に言うと、マジョリティの人たちは、これまで逆にその苦労なく、自分に合わせてもらう社会で楽してきたでしょう?

性自認や性的指向については私もそう。

シスヘテロ女性としての特権を享受して、これまでの人生の多くの場面でトランスの人々が感じる違和感を気にせず生きてこられてしまっている。

そこの部分で大変な葛藤を抱えて苦労をして、安全や金銭面含め様々な選択において負担を強いられてきたトランスの人たちを無視して成り立ってる社会である意味楽して生きてきたんだから、これから少しくらいの手間を被ることに文句言うなんて、本当に「不寛容」の一言だと思うし私は絶対に言えない。

 

それに、これは何回も繰り返し言っちゃってることですが、あらゆる人が幸せにいられる社会、自分の能力を制限されない社会、そういう社会に移行していった方が多くの人にとって、私にとっても、、良い結果になるはずだよと思います。

 

それはもちろん、苦しむ人を無視した上で成り立つ社会なんか嫌だというのはきっと多くの人と共感できるはずだし(だと信じたいし)、あと誰だっていつ社会的弱者になるかなんて本当にわからないということ。いつ体調を崩すか、障害を持つか、働けなくなるか。自分の子どもが、生まれた時に割り当てられた性別と性自認が一致しないかもしれない。ゲイかもしれない。親である自分は受け入れると思っていても、社会にはこんなに差別があるという事実。

 

そして、もっと多くのトランスの人が自分の能力を制限されないで世の中で今以上に活躍できたら、単純に、社会にとってありがたいことがたくさんあると思います。それはこういった人権の話だけでなくて、経済活動や学問、あらゆる文明の進化において。

その属性によって差別されてる人たちがもっと活躍できれば、そりゃあ、限られた人たちだけが気持ち良い形で運営されている社会より、良くなるはず。

 

 

 

良いアライでいたいなと思いながら、全然力不足で模索ばかりだしもっと学んでもいかなくてはいけないけれど、今後も考えて、ちゃんとアライとしての自分の考えを整理して、差別には反撃できるようにしていきたいと、今回改めて強く思った末のブログでした。

 

この話に関することを、シスターフッドPODCASTでも話していますのでよろしければぜひ。

 

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