ビリギャルの小林さやかさんが、NYの大学院留学中に、一緒についてきていたパートナーさんと離婚されたことのブログを読みました。
私のXの海外組の人たちが様々な反応をされていたし、私もちょっと考えさせられた。でも140字では語れないので久しぶりにブログで書くことにしました。
読んでみて、ご自身はNYで新しい勉強して、価値観もアップデートされて、知識も視野もどんどんパワーアップして、そんな中、夫に少し物足りなさを感じる時もあったりしたのかな、とか(それ以上のものすごく多様で複雑な事情があるのはもちろんとして)、少しだけ似た立場として想像したりした。たまたま同じコロンビア大学の大学院に行っていたという親近感もあり。
NYの空気の下、とってもいろんな人がいて、今後の新しい人生をまた一人で自由に切り拓きたいという気持ちが生まれてもおかしくないだろうなと思うし。
でもそれが理由で、一部で見られるように「仕事やめてついてきてくれた配偶者を簡単に捨てた」と批判されるのも違うと思う。
だって仕事辞めてついてきた側だって、最終的にそれを選んだ本人は自分の選択に責任を持てる大人であるし、人生の一時期、配偶者のおかげで海外に住める経験をできたっていうのは、そのついてきた本人にも得るものが絶対にあったはずだし、それが今後の人生に生きてくるはずだし(生かさないとしたらそれは本人の選択)。
今後の人生に生かすというのは何も仕事についてだけじゃなくて、どう生きるか、みたいな話で、一生いわゆる賃金が発生する仕事につかなかったとしても、日本より不便な場所で工夫してなんとかするという経験や、言葉が通じない中なんとか目的を達成する経験や、様々な人の生活を見たり交流した経験の蓄積を持って、とても充実した生活を幸せに送れるかどうか、ということだと思う。
逆に、途上国とかに住んだ経験からビジネス始めたりする人ももちろんいるしね。企業でも、その人の経験にあった活躍ができる機会はきっとあると思う。現地で語学学校に通う人もいるし、オンラインで大学院やる人もいる。
次に、もちろんパートナーについていくという決心をしたことも一つ大きな決断力であってそれだけでも十分祝福の対象であることだけど、そもそもその機会を得るために努力したりさらに大きなリスクを取ったのは留学や駐在する本人の方であって、それにある意味「乗っかる」というのができるのは結構ラッキーなチャンスであるという視点は私は常にある。誰にでも訪れるチャンスではないし、特に海外にずっと出てみたかったけれど、なかなか長いこと機会を掴めなかった私としては、簡単なことじゃないと思っている。実際に留学生や駐在者になる人が、実際的な手続きの基本的にすべてをやらなきゃいけないというのもあるし。
これは、私が駐在員当事者として、夫を帯同しているからそういう風に思うのだろう、と言われたらその通り。でも逆の立場に立つことを考えても、フラットにそう思うし、そういった意味で、海外生活に限らず、配偶者のおかげで、自分一人だったら経験できなかったような経験をさせてもらえることのあらゆることに、私は感謝したい気持ちがある。
もちろん、全然生活力のない駐在員の人が、家族一緒にいたいし家事とか育児とか家の諸々大変なことをやってもらいたいから頼み込んで配偶者に一緒に来てもらうケースもあるのかもしれないけれど(私の見える範囲ではそういう例は知らないけれど。配偶者が来たくない場合は普通に単身赴任になってる)、そしてその場合は、ついてきて「もらった」駐妻/駐夫を、自分の価値観の変化を理由に切り離すなんてひどいというのはわかるのだけれど、でも、本当に嫌がる家族の首に縄つけて引っ張ってくるケースがどれだけあるだろうか?と思う。
特にこの小林さんのケースでは、お子さんがいない大人同士の夫婦で、留学についてくるというのは別に必須ではないはずなので。(別に企業の駐在と違って家族手当が出るとか金銭的メリットもないだろうし)
Xで、「僕は妻に複数国の駐在までずっとついてきてもらっているから、責任を取らなきゃいけない」みたいな意見を見たけれど、その妻って、本当にすべての選択をあなたに委ねていて、あなたに責任を持ってもらわないと自分で人生を切り拓いていけない人なの?あなたは妻をそういう人として見ているの?という気持ちにはなってしまった。そういう人ももちろんいるかもしれないし、まあいるのだろうけれど。
一方で、こういう議論の背景として、「駐妻はキャリアが断然されて家事育児で苦労しているわりに社会で評価されない」ということと、それなのに急に離婚する駐在員がいてひどい、みたいなことがあるのはわかっている。たしかにその中でひどいケースはたくさんあるのだろうしそのことは問題だと思う。配偶者ビザだと現地で働けないケースが多いだろうし、そうでなくても言葉が通じない国や日本の食材・生活用品が買えない国で生活するだけで大変だし、子どもがいたらその大変さはさらなるものなのに、その努力がキャリアや給料としては評価されないというのは残念だと思う。そして一番味方でいてほしい配偶者からも、その努力を軽視されたり、もっと言うと「もっとがんばれよ」とか言われたりしたら、本当に無念だとも。
ただ、それと、今回の小林さんのケースや、多様なケースをいっしょくたにして、「ついてきた駐妻/駐夫は弱者」みたいにくくるのは違うよなあ、と思ってしまうのよね。
何年か毎に違う国に移動して、働くのは常に夫婦のどちらかの一方、そしてもう一方は常に家事育児、というケースだと、また難しい所があるのもよくわかる。でも、国際協力業界はそういう人たち結構いるけれど、移動ごとに話し合って、場合によっては一定期間離れ離れで住む等、選べる中で最善を選んでいる人たちはたくさんいるように思う。
そして最後に少し、我が家について言えば、うちの夫も日本の仕事をやめて私の駐在についてきてくれているけれど、もちろん「何が何でもついてきてほしい」と言ったわけではないし、これは一時期のことという風にとらえているし、夫も次のステップへの助走期間としてポジティブに捉えてくれている。
そして夫は初めての海外生活で、世界の広さを感じたり、海外でしか会えない人たちと話したり、英語を使う機会が増えたり、日本を見直したり、マイペースながらも視野を広げてくれていると思う。
「せっかくの海外生活だから何かを得てほしい」みたいに強制するのは絶対に良くないけれど(健康でいることが一番大切だから)、無理のない範囲で、お互いの世界が広がっていくのはうれしいこと。
夫が一緒に来てくれて嬉しいし、楽しいし、日々支えてくれてとても感謝しているけれど、夫の人生に責任持つ、みたいな感覚はないなあ。夫はしっかりした一人の大人なので。逆に、一人で日本に先に帰りたいと言われたら、もちろんそれが実現するように手助けするし。
(ただこの考え方からすると、未成年の子どもを帯同した際には、大きな責任が発生するのはきっとあって、それは本当に大変なことと思う)
そして今後の長い人生、私が仕事しない時期だってあるかもしれないけど(今の仕事が終わったら次は決まってないし…)、それは私の選択でありリスクである。
もしそうじゃなくて、夫婦間の責任論とかになってたら結構つらかったよな…と思ったので、つらつら書きました。
まあいずれにせよ、夫婦の形は様々で、それぞれの事情はその二人にしかわからないから周りがとやかく言ってはだめだよね、という、とてもありきたりな結論、かつ唯一の真実というところにまた行きつきました。
おわり