【読書】 前野ウルド浩太郎 「バッタを倒しにアフリカへ」

「人類を救う為、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げたし等の日々を綴った一冊」

 

という紹介を読んだだけでおもしろいし、やっぱりすごくおもしろかった本です。

  

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 

今、初めての地カメルーンで、特にドゥアラでは周りに日本人がいない状態で日々アウェー経験をしているせいもあり、異文化の場所で奮闘するこういう本にとても惹かれます。

 

(もともとそういう「アウェーで頑張る」シリーズが好きなので、今も昔も変わらぬ愛読書は、夏目漱石坊っちゃん」です。アウェーでも変わらぬ無鉄砲っぷりにスカッと。失礼すぎる言い回しにゲラゲラ。故郷に残る老人、清への想いにホロリ。)

 

モーリタニアの砂漠と、カメルーンの熱帯の気候では環境は違えど、ついつい色々と重ねて共感しながら読みました。

 

例えば、ドライバーであり頼れる相棒のティジャニさんという人がよく出てくるのですが、私もカメルーンで頼もしい同僚にお世話になっていることと重ねたり。

 

(スパゲティを大量に茹ですぎるクセがある) ティジャニさんは実は、組織から給料をもらっているのに著者からも二重で給料をもらっていたという悪さも後から発覚したのでそういう点でこちらの同僚とは違うけれど…

 

でもこんなアウェーな場所で、現地をよく知りバイタリティに溢れる力強い相棒を得られるというのは何物にも代えがたく、読みながら「ティジャニさんがいてよかった」と何度も思ったのでした。

 

そして、著者の熱意と使命感が素晴らしい。

バッタ研究所の所長が、多くの研究者はアフリカに来たがらないけれど論文ばかり増えていく、という話をため息交じりに著者に向かって言った時の、返答の言葉

 

「誰か一人くらい人生をささげて本気で研究しなければ、バッタ問題はいつまで経っても解決されないと思います。私はその一人になるつもりです。私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私は実験室の研究者たちにリアルを届けたいのです。アフリカを救いたいのです。私がこうしてアフリカに来たのは、きわめて自然なことなのです。」

 

ちょっとうるっとしました。

 

そして、博士号を取ったのにその後夢だった昆虫博士として食べていくのは非常に狭き門で、世の中「末は博士か大臣か」ともてはやされた時代とはもう程遠い、という話もこの本のもう一つの重要なテーマだと思います。

著者は、きっと持ち前のユーモアさとイノベイティブさで人との差をつけて前進しているけれど、やはり博士号取ったからと言ってそれで社会に貢献する前に、仕事がない、という苦悩は多くのポスドクが味わっているようです。

研究費削減や日本の大学のパワーが下がることで、ノーベル賞を日本はいずれ取れなくなる、という記事をこの前も見たけれど、博士になる能力とやる気がある人が夢を持てて、活躍できる社会でないといけないなあ、と(博士号を頑張って取るガッツはそもそもない私の一般人の意見として)思います。

  

とにかく勇気をもらう本。

分野が違っても、「何か自分を元気づける本がほしい 」と思うような時、自己啓発本や「成功者の秘訣」みたいな本を取ろうとしているあなたに、ぜひ今回はこちらを!とおすすめしたい本です。

【読書】 中満泉 「危機の現場に立つ」

 

今をときめく先人の自伝を読んでインスパイアされようと、中満泉さんの本を読みました。

 

危機の現場に立つ

危機の現場に立つ

 

 

最近発売された本で、著書の中満泉さんは、2017年5月に国連の軍縮担当事務次長に就任。事務総長、副事務総長に次ぐポストで、現在国連で働く日本人トップです。

個人的に、NY在住中に国連の皆さんとお話する際によくお名前を聞いた有名人だし、ちょうど私もNYにいる時にご昇進されたりと、何かとお名前を目にする機会があります。

また、NYの国連でインターンしていた際に、一度だけたまたま行った会議で中満さんがお話されているのを目にしましたが、強く上品なオーラを目の当たりにできました。

 

そして本を読んで、やっぱりすごい、どんな自己啓発本にも勝るパワーをもらいました。

中満さんが(それを直接的には書かないものの)とんでもなく頭がキレる上にコミュニケーション能力が高いこと、さらに仕事をする上で多数の素晴らしい人に出会ってきたことが読み取れます。またご自身が現在素晴らしい上司・妻・母であることが想像に難くありません。

プレッシャーもすごく辛い状況も多々あって、普通の人だったら嫌になってしまったりストレスに押しつぶされたりしてもおかしくないのに、常に前へ前へと進まれ続けたことで、国連で今の位置まで上り詰められた中満さん。

そのおかげで、多数の日本人(にとどまらず、世界中の女性・男性)は中満さんというロールモデルを心に思い描けるのです。

 

 

いろいろと印象に残るエピソード満載なのですが、特に心に残った3点について紹介します。

 

1.人道支援と開発

私が個人的に関心の高い、開発と人道支援のはざまのあたりのことに関連して興味深かった点です。

ずっとUNHCRやPKOといった人権・安全保障系だったのに、ヘレン・クラーク総裁(当時)からの引き抜きでUNDPに移った時の話がありました。

当時のUNDPは長期的な視点で開発を進める組織である分、いろいろと活動が遅いという印象があったりと、中満さんにとってはあまり働きたいと思わない組織だったとのこと。ただ、クラーク総裁が改革として「危機対応局」を新設し、開発機関として「危機」にも対応する組織にならなければならないという考えを持っていることに共感したこと、そして

「今日の紛争はなかなか終わらず、状況が安定するのを待ってから中・長期的な復興と開発支援に取り組む、という従来のアプローチは機能しなくなってしまった」

と考えたこと、によりUNDPへの異動を決心したそうです。

そうして着任してから、UNDPが危機に対応する際に「これはUNDPが必ずやってくれる」という分野(例えばUNHCRなら難民、UNICEFなら子ども、というような)を明らかにすることで人道支援機関やPKOミッションから信頼されるパートナーになるようにする必要性を感じた結果、その分野を「緊急生計支援」と「行政機構の緊急復興」として打ち出したとのことです。

 

なるほど。危機対応の状況において「ここは何ができます!」というのが必要なんだな、そういうのでパワーバランスが生まれるんだな、と納得しました。

 

 

2.教授の視点から

また、 一橋大学の大学院で教授をされた経験から、学問として様々な事象を分析して体系化・概念化することの重要性、そのための理論研究を重視しなければならないとの点も納得しました。 

国際関係論や国際政治などの理論研究にも興味を持つように(中略)。学問の中で理論研究はとても重要なことであると思っています。一見関連性のないさまざまな事象を分析して体系化・概念化し、整理して理解するためのツールが理論だからです。

いろいろなところで仕事をしてみて、国際機関でも仕事のできる人は、この概念化作業に長け、雑多な事象を体系的に捉え、一見なんの関連もないところでの教訓をほかのところでうまく応用できる人だと感じています。(中略)ですから、若い学生たちが理論研究を軽んじて、分析力を身につける以前にともかく現場へ、という風潮には若干疑問を持っています。 

  

なるほど。大学院で国際関係学を勉強したけれどまだ全然足りていないし、学問は日進月歩なので今後も勉強し続けなければ。「現場の人間だから」と割り切らないで、国際関係学をずっと学んでいこうと思いました。

 

 

3.日本について

国際社会で長年働き、でも日本人としてのアイデンティティも持っている中満さんが、日本について心配に思うことに書かれていた部分が、私がいつもモヤモヤと思いながらもうまく言語化できていなかった分、とても共感ので一段落抜粋します。

 

一方で、規律を尊ぶ私たちの社会は、時として柔軟性に欠けることにもなりかねません。規則を守ることは大切なことですが、物事の本質を見きわめて柔軟に対応することも、変化を重ねる世界では不可欠ですし、時には規則そのものを見直す必要があるかもしれません。いろいろな事態を想定して丁寧に準備を重ね、マニュアルを完備することは役に立つことも確かですが、同時に「想定できない」事態に対応する能力を育てることも大切なことです。「出る杭は打つ」のではなく、さらに活躍できるように応援するべきでしょう。また和を尊ぶ私たちの気質は、「長い物には巻かれろ」という諺のように、何か間違ったことが起こっている時であっても、声を上げてそれは間違っている、と指摘して変えていくことを私たちにためらわせることにもなりかねません。昔の日本が間違った戦争に突き進んでしまった背景には、みなが「長い物に巻かれてしまった」こともあったのだと思います。

 

私が個人的にも「日本人的で」ルールを守るのに固執して柔軟性に欠ける部分を直さなきゃ、と思っているのと、そして国としても日本社会が「長い物に巻かれ」やすくて、おかしなことを是正しにくい空気があり、しかもその傾向がどんどん強くなっているのことを心配しているので、とても共感しました。

中満さんのように海外生活がかなり長くてライフパートナーも外国の方で、という立場でも、やはり日本のことは憂うしよりよくなってほしいという願いがあるということ。世界レベルのリーダーがそうあることを心強く思うし、私も見習って常に日本のことも考えていきたい、と思いました。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

以上挙げた3つは、個人的に心に特に残った部分ですが、もちろん中満さんのキャリアの始めの頃のあたりや、旧ユーゴスラビアでの奮闘等、読んでいて顔が真っ青になるような話、私ももう少しがんばらねば、と思うような文章が満載です。

 

分野を問わず同年代の皆さんすべてにおすすめしたい本です。

 

【読書】 クリストファー・マクドゥーガル 「Born to Run」(訳:近藤隆文)

未知の世界で活躍する人のすごさに触れ、圧倒されながら、私もがんばらねば、と思わされる本を読みました。 

 

BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”

BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”

 

 

メキシコの奥地でサンダルだけで一日中駆け回るタラウマラ族と、険しい山の中や砂漠を走る信じられないようなウルトラランナー達のエピソードを通し、人類は走る為に生きていることを説くドキュメンタリーです。 

 

この本読んだら走りたくなるかな、と思ったけれど、やっぱり走り慣れていない私には(そして多分私だけじゃなくて)、この本に出てくる人たちのクレイジーさがすごく際立って真似できない!と思いました。

 

本当に、畏敬の念を込めた、クレイジーさ。

何が人をそこまで走らせるのか。ああ、それはBorn to Run だからなのか、と自然と考えさせられる本です。

 

例えば、

 

レッドウィル・トレイル100で、160kmの山道をタイヤのゴムを足の形に合わせて切って紐で足にくくりつけたサンダルで一位で完走するとか(タラウマラ族の一人、ビクトリアーノ)

 

平均気温52℃の砂漠で行われる、バッドウォーター・ウルトラマラソン200㎞以上を24時間36分で走り優勝するとか(本の中心的人物の一人、スコット)

 

ううう、つらそう。寿命が縮まりそう。

 

よって走りたいとは結局思わなかったのですが(笑)、大自然の中に行きたい、という気持ちはすごく強く持ちました。息を切らせながら山登りしたい。

 

そういえばこれ系の勇気をもらう本としては、植村直己さんの自伝も圧倒的でした。

これらも繰り返し読むかなりの愛読書なので、また機会があれば。

 

青春を山に賭けて

青春を山に賭けて

 

 

エベレストを越えて (文春文庫)

エベレストを越えて (文春文庫)

 

 

カメルーン生活:ドゥアラのレストラン

カメルーン第二の都市、商人の街、ドゥアラにしばらくいたので、レストランいくつか試しました。

どんな需要があるか見当もつきませんが、独断と偏見の食べレポです!

 

ちなみに、平日業務の合間に食べる食事は例外なくカメルーン食で、たいていちゃんとした名前のない食堂の様な所で食べます。

現地の皆さんのカメルーン食への愛はすごく、私もいつもおいしく食べているのですが、たまに違うものを食べたくなるので、下記は週末に抜け駆けして開拓したレストラン達です。

 

SAGA AFRICA

https://www.tripadvisor.fr/Restaurant_Review-g297392-d6523274-Reviews-Saga_Afrrica-Douala_Littoral_Region.html

洋食もローカル食もある、おしゃれなレストラン。

豚肉を頼んだら、なんとも気前のいい量が出てきました。間違いなくおいしいです。

ちょっとリゾート感がある開放的な空間で、オーダー後に待ちながら本を読むのも気持ちのいい時間。

ただ、お昼時に行った時、一番早そうな「今日のランチ」みたいなのを頼んだのにオーダーから45分くらい待ったので、急いでるときには向かないかも。

でも、カレーソースがかかった魚のフライ、絶品でした。

 

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別の味の豚肉を二回食べました。どちらもおいしい!付け合わせは、フライドポテトとかも選べます。

 

MEDITERRANEE

https://www.tripadvisor.fr/Restaurant_Review-g297392-d2627758-Reviews-Mediterranee_Restaurant-Douala_Littoral_Region.html

緑に囲まれた半分外の空間にテーブルが並べてあり、とても良い雰囲気のレストラン。

(虫よけスプレーは必携)

ピザ、パスタ、魚介類等、地中海料理

 

その日のおすすめの、カニグラタンのようなものにしました。

一口食べて、「うわっ!おいしい!」とつぶやくぐらい美味しかったです。

 

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カニの身と、キノコとかが入ったグラタン風

 

 

5 FOURCHETTES

https://www.tripadvisor.fr/Restaurant_Review-g297392-d5568145-Reviews-5_Fourchettes-Douala_Littoral_Region.html

JICAの所長さんがドゥアラに来られた時に、満を持して行ったTripadvisor 2位のお店。

インド風の影響が感じられるおしゃれな洋食屋さん、という感じで、 前菜に取ったエビのから揚げのインド風みたいなもの、ついてくるチーズ入りのナンも含めてとってもおいしい!

あと、ピザの種類も沢山あって、マルゲリータを頼んだのですが、これもまた絶品。 現地のお客さんも、なんだかオシャレな人が多かったです。

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もう一回一人で行った時に食べた、チキンマサラとナン。久々のカレー、Bravo!

 

メニューももらったので載せます。

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Bombey Masala

https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g297392-d2296224-Reviews-Bombay_Masala-Douala_Littoral_Region.html

これも前述の 5 Fourchettes の近く(ボナプリゾという地区)にあるインド料理屋さん。ドゥアラに出張で来た協力隊員さんと一緒に行きました。

ラムのカレーとビリヤニとナンを頼んだら、二人でお腹いっぱいになりました。

カクテルもいろいろ種類があって、ミトジュレップを飲んだらとってもおいしかったです。

高級感ある雰囲気の店内に、外国人らしきグループがいくつか入り、にぎわっていました。

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ビリヤニの下にもカレーが隠れていました

 

 OKINAWA

https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g297392-d2295823-Reviews-Restaurant_Japonais-Douala_Littoral_Region.html

なんと、ドゥアラには日本食レストランがある!

でもやっぱり、日本人ではなくカンボジア人のオーナーさんがやっているそうです。

お値段がここのスタンダードからすると(そして日本と比べても)高めです。 その割には、やっぱり期待し過ぎてはいけない感じの内容… そして、お店の名前に反して、特に沖縄料理はないです。 私はこれだったら中華を選ぶかな… でも、協力隊員さんがドゥアラに来た時に一緒に行ったから、おしゃべりがほのぼの楽しい会でした。

 

 

Le Pekin Plus

目当てのお店が閉まってたので、その近くにたまたまあった中華料理屋さんにたまたま入りました。 土曜日の16:00とか変な時間に行ったのでお客さん私一人だったけれど、嫌な顔せず、ちゃんと作ってくれました。 酸辣湯と炒飯、裏切られることがない中華料理!いつもの安心する味です。 炒飯は葱が沢山入っていてうれしかったです。

ここら辺の中華料理事情がわからないけれど、中華以外のレストランと比べるとお値段高め。

首都ヤウンデにも中華料理屋さんいくつかあってJICAのみなさん行きつけで、どこもおいしくて、本当に世界中の日本人は中華料理屋さんにお世話になっているのだろうなあ。

この場を借りて、他国で中華料理屋をやっているみなさんにお礼を言いたい!有難うございます。

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酸辣湯、確か 3,500cfa (約700円)くらい

 

WHITE HOUSE

https://fr.foursquare.com/v/white-house-restaurant/4f38b9d5e4b0b0eb8e873597

ドゥアラ内にいくつか店舗がある、カメルーン料理のビュッフェのお店です。

企業訪問時のお昼に行く機会がなぜか重なり、三店舗を制覇しました。

ンドレ、エル、マニョック、揚げプランテン、蒸しプランテン、フフ、クスクス、バトン・・・

お好きなように、お好きなだけ・・・

 

名もない魚屋

最後は超ローカル、路地裏で道の脇でおばちゃんが焼いている焼き魚のお店です。

注文したら、おばちゃんがその場でおもむろに魚を取りだし、包丁で切り込みを入れて、秘伝の(?)たれを魚にもみこみ、網の上で焼いて、焼きたてほかほかを出してくれます。

食器を洗う水もおばちゃんが手を洗う水も繰り返し使われているとか、網はいつから洗ってないのかとか、そういったことに関して「衛生面??」とか思ったら負けです。

なぜなら文句なしにおいしいから!!!

しかも大きいお魚にミョンド(キャッサバの粉を蒸したもの)がついて、約200~250円。

コスパ最高、お腹いっぱい!4~5回通いました。

 

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奥の水はフィンガーボウル的なもの。現地の人は魚は手で食べるものみたい。
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裏道に突然漂う焼き魚のいい匂い

 

やっぱり、世界中どこに行っても、みんな食べるのが大好き!

カメルーン生活:サンチュ村への旅

前に紹介した同僚(ブログ記事「イジドールさんについて」)の妹の結婚式にご招待頂き、ちょっと前にサンチュ村というところへ行ってきました。

ドゥアラから車で四時間くらい。妻と仕事仲間も一緒に楽しいドライブです。

 

路上の売り子たち

車で道を走っていると、何かのチェックポイント等、随所で道端の人たちがいろいろな物を売っています。

例えば、

果物や野菜、パン、ミョンド(キャッサバの粉を蒸したチマキみたいなもの)、

その他ドライブ中に食べられるもの(ナッツ、プランテンを揚げたもの、エスカルゴの串焼き等)、

締め上げほやほやの(?)鶏、

あとよくわからない小動物(食用)をぶら下げている人もいます。

 

車の窓の横まで来て売ってくれるのですが、気になるのは、同じところで沢山の人が同じものを売っていること…そして何kmか先に行ったら、また同じ光景が現れる。

安いのはありがたくても、この値段だとどう考えてもそんなにたくさんの収入は見込めないのでは。でも供給過剰だからこれだとどうやっても値段も上げられないだろう…

 

理想としては「道の駅」みたいに、一カ所に大きい場所を構えてそこに商品を集中させて、お客さんがみんなそこで買うようにできたら効率的なのだろうけれど、その反対を行っている。

 

なんとか、同じものを売っている近くの人たちと話し合って、供給量を少なくする、そして品数を増やす、とかしてより良い商売ができないものか。

とかつぶやいたら、イジドールさんに「カメルーン人はそういう風に大勢で話し合って解決するのが苦手」と言われた。

元も子もない…たしかにそういうところが難しいとは感じるけれど、誰か熱意ある政府の役人さんとかがバーッと改革したら簡単にすぐ変えられるのでは。

難しいことは承知で、そういう動きがあったら楽しいですね。

 

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ここはすごくパイナップルを売りつけられるポイント

 

 フードコートのB級グルメ

といったことを考えながら、長時間車に乗っているとお腹も空きます。

行きも帰りも、途中で食べ物が沢山売っている所、なんというか「薄暗くワイルドなフードコート」みたいなところで腹ごしらえしました。

カメルーンB級グルメの宝庫!

※衛生面を気にするスイッチはオフに。

 

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豪快なBBQ的なお肉を一口サイズに切ってくれます。おいしい~

 

これまでプランテンは、蒸したのか揚げたのかしか食べたことがなかったけれど、ここで焼きプランテンを食べて、なんだか焼き芋みたいにほくほくしていてとてもおいしかったです。

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焼きたて熱々、優しい甘さのプランテン

 

 

到着、村の結婚式

そしてようやく、サンチュ村に到着。イジドールさんのお母様や、大家族の皆さんに会えました。

着いた日は村での伝統的な結婚式、と言ってもイジドールさんの実家の一画が会場だし、みんなほぼ普段着です。

なんだかんだやはりのんびりしていて、21:00になってようやく始まりました。

でも、最初は家族内で話し合って新郎からのプレゼントを渡す、みたいなプロセスらしく、部外者の私は外で待つことになりました。

夜風と気温も丁度良くて、途中うとうとしたり。

こんなに蚊が沢山いるところで寝ちゃダメ、ゼッタイ。

なんですが、ちょっとした小動物の致死量くらいの虫よけスプレーを浴びているのでへっちゃらです。

 

でも、うとうともし終えて、

思索にも十分ふけって、

それでもまだ終わらない。

二時間たってる…

 

イジドールさんに「いつ終わるのかな?」と聞いたら、まだまだ話合ってるし、ホテル送っていくから帰っていいよ。と言われました。

帰っていいんだ!

なんか失礼じゃないかしら、と思いつつ一緒に来た人たちとこっそり帰ることにしたら、

親族の人たちに「ごはん食べないで帰っちゃダメ」と言われ、食事を出してもらいました。

食べていいんだ!

実は夜ご飯食べてないからお腹すいていました。もう23:00過ぎだけれど、揚げた豚肉とかプランテンとか、食べる。

無事食べ終えて、ホテルに帰りました。

 

ホテル 

ホテルは、電気もシャワーも壊れていて、トイレは流れないしお湯は出ないしタオルもトイレットペーパーもないという場所。

いろいろ大らかに生きることを心がけてはいるものの、「ホテルの定義とは??」という疑問がふと頭をよぎる。

いやいや、定義はきっと、ベッドと鍵があること!

満たされてるーー

疲れていたしグースカ寝ました。

 

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しかもイジドールさんが、リュックの中からおもむろにUSBライトを取り出しつけてくれました

 

公式な結婚式 

そして次の日は村長の前での公式な結婚式。

公式と言っても、やっぱり時間通りには始まらない!二時間後にようやく始まりました。

あまり何が話されているのかよくわからなかったけれど、村長さんはユーモアを交えながら新郎新婦とやりとしていて、楽しそう。

「monogamie(一夫多妻制)にします!」と宣言したら、みんながイェーイ!!ドンチャンドンチャン、ピューピュー、と盛り上がってたのが印象的でした。

(イジドールさんのお父様はたくさん妻がいるけれど…)

 

終了後は幸せそうな新郎新婦を眺めて、良い時間でした。

 

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白いお揃いの服の二人が新郎新婦。カメラがありすぎてみんな違う方向を見ています。


ちなみに、結婚式の時は親族がお揃いの布で思い思いのドレスやシャツを着るのが伝統らしく、街でも時々お揃いの服の集団を見るのですが、それがとても素敵。

一体感あるし、布買ってテーラーメイドで仕立てるのが一般的なカメルーンだからこその、楽しい習慣だと思います。

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ここでもオフショルダーは流行中

 

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大人も子どもも思い思いのデザイン。素敵すぎて見るだけで楽しい。

 

 

普段は訪れることのない村での生活を垣間見て、こういうところで活動している協力隊員さん達の苦労にも思いを馳せつつ、よい週末となりました。

 

路上で受けるハラスメント

 

カメルーンで道を一人で歩いていると、そこら辺にいる男性たちにすごく声をかけられます。

シノワ(=中国人)とか、ニーハオとか、チェンチャンチョン(?)とか、

もしくは、(フランス語で)笑って!とか、俺の恋人!とか。

無視して歩くと、腕とか肩に触れてくる人もいて本当にびっくり(怒)します。

 

「ただ気にしなきゃいいじゃないか」って思う人もいるかもしれないけれど、嫌な気持ちが塵も積もれば山となっていくし、このせいで外に出るのには毎回結構な決意が必要になります。

「外にごはん食べに行こうかな…でも、外出て道を歩いたら、また超声かけられるからな」という。

(というか、歩いている時だけでなく、タクシーに乗っていても路上の人々やバイクに乗ってる人たちからガンガン言われるのですが。)

 

 

この件、自分でもなんでこんなにひっかかるのかな、とも思う。一朝一夕で変わる様なことではないし、気にしないようにできたらそれが一番楽です。

 

「カメルーンはそういう国なんだから、しょうがないよ。途上国あるあるだよ。たくましくなりなよ。」

と言われればそれまで。

 

しかし・・・なんかこの件は「気にしない」で終われない。

「そういう国だから」で片づけたくない。

 

ここには、カメルーンだけでなく国境を超えて、大きく分けて二つの、不快感・問題意識が絡んでいるのだと思います。

 

 

一つ目の不快感・問題意識 

 

それは、女性であるとかの理由で「弱い」立場として下に見て冷やかしで声をかけられるということに関係しています。

(女性でなくても、体格とか性的マイノリティとかさらにはアジア人ということで「弱いとみなされて」というのもこのケースに当てはまります)

 

これは欧米を中心に他国でもよく問題視されていて、catcall とか street harassment (ストハラ)という言葉でググるとどんどん出てきます。

 

最近も、オランダのアムステルダムに住むジャンスマさんという女性が、一カ月間に自分にcatcall(セクハラやじ)をしてきた男性と自撮りしてインスタにアップするというプロジェクト(@dearcatcallers)を行ったのが話題になりました。


 

また、2014年に、この件について多くの人に問題提起したのは、ニューヨークを10時間歩いていかに多くのストハラを受けるか撮った動画です。


こういう記事のコメント欄を見たりすると、

これまで一度もそういう経験がなく、そういうことで不安を感じる必要がない人たちの中には、本気で、

例えば You are beautiful. とか Hey sexy. とか I love you. とかなら無害だし、

むしろ「いいこと」言われてるんだから別にいいじゃないか、

褒められて喜んだら、

と言う人がいることがわかります。

 

また、「道でナンパしちゃいけないのか!昔はよかったのに。生きづらい世の中になったな!」というようなことを言う人もいるようですが、、、

とにかく一つ思うこと。それは、

そういうハラスメントする人たちは、別にその対象の女性を必ずしも美しいとかセクシーとか思っているわけではなく、いわんや実際その声かけた女性が笑顔で振り向いてデートすることにつながる、なんてことは思ってないはずだということです。

 

ただただ、自分には安全な範囲で、

(だって相手は一人で歩いている女性、もしくは小さい子供と二人きり、もしくはなんか「弱そう」)

自分の快楽の為に言いたいことを言う、ただでセクハラする、ということをしているだけです。

(だから、「ナンパ」の正確な定義はわからないけれど、個人的にはナンパとストハラは違うと思います)

 

一人の人間として毎日悩みながら働いたり学んだり遊んだりして生きているのに、路上に出た途端、そういうのの対象にされなきゃいけない、という理不尽さに気持ちが暗くなります。

 

ちなみにカメルーンにて、私が声をかけられるのは決まって一人の時で、男性の同僚と一緒の時は絶対に言われません。さらには、同僚と一緒だけどちょっと距離が空いてる時とか、私だけに聞こえる声で言ってくる。だから、同僚は私がこういう言葉を言われ続けてるの、実感としてはわかりにくいと思います。

 

さらに、前述のアムステルダムのジャンスマさんが自撮りを頼んだ時に、驚いたことにcatcall してきた人たちは誰も断らず、大抵笑顔で一緒に写ったということ。つまり、悪いことしているって気持ちがないのだと思います。

(ちなみにオランダでは2018年から、ストハラ行為に対して190ユーロの罰金が課せられるようになるとのこと。)

 

彼らの内、何人が妻や彼女がいて、娘や姉妹を持っているんだろうか…と思わずにいられません。

 

 

こうしたストハラは、ただ単に煩わしいというだけでなく、精神的ダメージや行動の阻害につながる、ということが以下のコラムにわかりやすく書かれています。


ストハラを避けるために通勤ルートを変えたり、夜の移動は公共機関を避けてタクシーに乗ることを選ばざるを得なくなるといった実際の経済的損害がある他、

ストハラによって精神が不安定になったり、特に性暴力被害者がストハラに遭うことでトラウマが蘇ったりという影響も見られるとの内容です。

また、ストハラが最初はただ声をかけるだけだったのが、だんだんストーカーや性暴力へとエスカレートするケースも問題となっています。

さらにレイプの問題でもよくあるように、「露出が多い服装だったから」とか「夜なのに一人で歩いていたから」といった、被害者が逆に非難される(セカンドレイプならぬ、セカンドストハラ?)という現象がストハラでも起きていて、それがさらに深い精神的ダメージを与えることになります。

 

 

二つ目の不快感・問題意識

 

そして二つ目は、人の国籍を外見で勝手に判断して、それによって人をカテゴライズすることに関連します。

 

この関連でまず最初に触れておきたいのは、ネット上では、こういう時に「中国人って言われ嫌がるなんて差別だ!(日本人が特別だと思っているのか、的な)」とか全く見当違いなことを言う人が結構いて、そんな意見に反論するのも馬鹿らしいと思うほど見当違いなのですが、説明不足は思考停止にも繋がるので、ここではそんな誤解を1ミリも与えないように最初からそれは違うということを言っておきます。

 

問題は、見た目で決めつけてその分類、さらにはステレオタイプを相手に投げつけることであり、だから「アジア人!」って言われるんだったらOK、とか「日本人!」って言われたら「正解!」って、ことではないです。

 

なんで?アジア人の顔なのは事実じゃない?

と思われるかもしれないけれど、例えばアメリカで、例えばアジア人の顔つきだけれど、アメリカで生まれてアメリカで育ったアメリカ人達が、いろいろとアイデンティティのトピックについて発信しているのを見ていて、他人に見た目でカテゴライズされることのフラストレーションを感じている世の中では、「アジア人として見えるんだからアジア人、っていきなり知らない人に言われてOK!」なんて言えないです。

 

たとえばこの、あるAsian Americanの、ニーハオと言われることへのフラストレーションの記事。

 

アメリカで生まれ育ったアメリカ人なのに、いきなり「ニーハオ」と言われ、言った人はその後、‟stands there looking like he expects an award.” と書いてあり、そのなんとも言えない気持ちが容易に想像できます。

筆者の "Saying "ni hao" to anyone who looks vaguely East Asian is a great way to show off your ignorance." という言葉が印象的。

 

  

また、世の中もちろん、中国人以外にも私たちに顔の作りが似ている人たちがいることは考えるべきで、もちろんそれは韓国、日本にだけは留まりません。

私が去年三か月過ごしたカザフスタンとか、日本人と見分けがつかない顔つきの人たちだらけでした。(それにアジアと言っても日本からネパールからインドまで様々だし)

カメルーンの人たちがそれを知らないことについて非難はもちろんできないけれども、それが「アジア人の顔を見る=中国人と決めつけてニーハオと言っていい」とはならないはずです。

これは本当に、大人がやるから子どもやっていいと思う、の連鎖なので、悪気はない場合が多く難しいのは本当にわかっているのですが…

 

一方で、路上で「ニーハオ」と言う人が、本当に私に挨拶する気持ちで言っているのは稀で、基本的には気を引くためのかけ声です。

路上じゃなくて普通に自己紹介して挨拶する、というシチュエーションで相手が私の顔を見て「ニーハオ」と言う場合は、(ため息が出ないと言うとウソになりますが、)悪気は完全にないとわかるので「ボンジュール」と返すか、「日本語ではコンニチハですよ~」と説明しています。

 

 

そういえば、道で「チェンチャンチョン」みたいに、「中国語っぽい」という言葉もかけられますが、これもつい最近もニューヨークで、ある店員がアジア人の客の名前をレシートに「チン・チョン」と記載したのが大炎上して、その店員は解雇になったという話がありました。2017年のニューヨークででも、未だにこういうことが起こっています。


 

一方で、日本でもこれに通ずるものがあると思うのです。

例えば、日本在住が長い人でも、

「見た目が外国人」という理由でいつまでも「ガイジン」扱いをされる

「見た目が外国人」だと即座に「英語話者」であると思われる

といったフラストレーションの話はよく聞きます。

 

最近こんなツイートを見ました。 

 

旅行業の友人からも修学旅行で「外国人に話しかける」という課題が出てこういうことする学校が沢山あるという話を聞いたし、このツイートに連なっている回答からも読み取れるように、かなりよくある話のようです。

 

言わずもがな、「外国人に見える人」の中にも日本人はいるし、「外国人に見える人」の中でも英語話者じゃない人はたくさんいます。

日本に住んでる外国人の方がこういった突然の有無を言わさぬ「国際交流」の相手にされることにうんざりしていることは容易に想像できると共に、日本にはるばる来た観光客の方々が、これで嫌な印象を持つことがあるのでは、と心配になります。(もちろん楽しんでくれる人も中にはいると思いますが。)

 

私がここにいて、「シノワ(=中国人)」という言葉に耳の反応が敏感になっていることから考えると、日本に住む外国人や観光で来ている皆さんが「ガイジン」という言葉に敏感になっているのは容易に想像できます。

 

だから、例えば地方から来ているかわいいおばあちゃんが渋谷あたりを歩いて、「ガイジンさんがたくさんいるねえ」ってニコニコしながら言ったとしても、すれ違う外国人に見える人(もしかしたら在日20年かもしれない、むしろ日本国籍かもしれない)は、「何か自分のこと言われてる」、と思ったりすると思います。

 

悪気はないのは重々承知です。

私だってやっちゃったことあるかもしれないし、本当に悪気ないって知っているのです。

それにこっちで「ニーハオ」って言ってくる子どもたち、普通にかわいいのです。

 

でも、悪気があろうがなかろうが、人に不快感を与えてはいけない。だから、気づいてほしいとただただ願うし、私もこれからも気を付けていくし、カメルーンでも機会があればこういう問題意識を発信していきたいな、と思っています。

 

「見た目がガイジン=日本人じゃない、日本語話せない」というステレオタイプの動画

 

 

おわりに

すごく長文になりました…

この長文を読んで、

「そんなに深く考えるなよ…もっとリラックスしろよ…」と思われるのもわかります。

 

実際の生活上では、上記の様な人権・ダイバーシティに及ぶグルグルとした思考と、実際の生活で出くわす頻度の高さの中で折り合いをつけて、なるべく鈍感力を発揮し、目を合わさず、時には「ボンジュール」とか言いながらズンズン歩き去って忘れていきます。

 

あと、カメルーンに来る直前まで、アメリカで、かつ多様性の街ニューヨークで、その中でも超リベラルな大学院に二年間いたせいで私の見方もやや極端なのかな、という自覚もあります。

私がいた大学院の環境は、例えば新しい授業でで南アジア系の顔の友達と知り合ったとして、「インド出身?」とかいきなり聞くのはかなり良くない…

かく言う私も最初の方、結構いろんな友達に「どこ出身?」と聞いてしまって(本当にいろんな国出身の人がいあるから)、でもみんながみんな私みたいに簡単な(?)出自じゃないことがわかってきたし、人によっては会話の流れで嫌な気持ちになる場合があることも知り、その後反省したり方向転換したりしました。

 

(その中でよく聞いた、アジア系の見た目の人が "Where are you from?" って聞かれて、例えばCalifornia で生まれたからそう答えたのに、"(でも本当は中国系とか韓国系とか、そういう意味で)Where are you really from?" って聞かれるのがすごく典型的で苛立たしい、という話もあります。この動画が秀逸。)

 

 

 

 

いずれにせよ、最初に聞かなきゃいけないほど重要なことじゃないな、と思って私は最初の会話でいきなり出身を聞くのはやめるようになりました。

 

 

一方、そういう「ポリコレ」的なこと、気にしすぎるのも息苦しい、という意見もよく聞きますよね…

 

しかも、それをカメルーンで求めていいのか。

 

たぶん、「中国人」とか「ニーハオ」って言われるのは気にならないよ、という人たちは、カメルーンとかそれに似た文化の国の人たちへの愛情と優しさを持って、

「(教育の機会だって、外国人と触れる機会だって、我々よりは限られている)彼らにそこまで求められない」

とか

「興味を持ってフレンドリーに接しているだけだから、悪気はない。外国人に興味を持つ人に話す機会を与えることも重要。」

という気持ちがあるんだろうな、と想像します。

 

本当にそれはよくわかるし、優しい気持ちだし、私もそんな100%ひねくれているわけではないので上記のような気持ちも持っています。

 

だから、私も日常生活でどんどん声をかけてくる人にいちいち怒っているわけではないし、「中国人」とか「ニーハオ」って言われても気にしないよ、って人に、「気にしなよ!」とか言ったりはしないのです。

 

その上で、でも、私は「カメルーンだからしょうがない」とは言いたくないです。

 

話し上手で、おしゃれで、プライドが高いカメルーン人。

これからもっともっと市場も開かれて経済発展していって、もっとたくさん外国人も入ってきて、世界でも影響力を強く発揮していくんだって期待しています。だからこのままでOK、だとは思わないのです。

「カメルーンだからしょうがないよ」では片づけないで、内側から変わっていってほしいから、私も機会があれば周りの人たちとこういう話をするようにしたいです。

 

まあ、割と前からこのことが話されている国でだって、まだなかなか人々の態度が変わらなくて大変だ、というのがこの話のポイントだったのですが。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

基本的に元気に楽しいカメルーン生活、あまりネガティブな部分に注目しないようにしたいとは思っているのですが、今回はカメルーンから海を越えて、日々モヤモヤと思っている内容になりました。

次はほのぼの記事(?)に戻ります。

 

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本文とは関係ありませんが、行きつけの食堂に入っていく同僚の写真

【読書】 服部正也 「ルワンダ中央銀行総裁日記」

学生時代の先輩で今は開発コンサルで活躍されているRさんより「開発分野の本なら!」とオススメ頂いて読みました。 

 

著者の服部さんは、戦後日銀に入り、米国留学、パリ駐在を経て、1964年、46歳の時にIMFの依頼を受けルワンダ中央銀行総裁として出向。最終的に6年間もルワンダにて経済再建を担ったという人物。

途上国側の人の話をよく聞く姿勢、既存の外国人主義の思い込みに疑問を投げかける姿勢等、国際協力に携わる人がインスパイアされる要素が満載です。

 

そして、経済発展、特に産業振興や輸出入と関税、為替、インフラ整備に至るまで、国の発展の為には必要な様々な取り組みについてかなり詳しく書かれていて、とても勉強になります。

何よりも、バイタリティと意思の強さがすごすぎる…ちょっと怖いくらい。外国人と言うだけでえらそうにしている人々や、既得権益にしがみついて利権をむさぼる外国商人たちへの手厳しい意見。ルワンダ唯一の商業銀行のベルギー人へビシッという場面等、ドラマ化したらかなりスカッとする場面だろう、と思わされるほどです。

 

1972年に書かれた本(その後、ルワンダ内戦に関連した章が追加された増補版は2009年に発行)だけれど、時代を越えて、ユニバーサルに学べる本で、かなりおすすめです。

 

薦めてくださったRさん、有難うございました!

A Story of M. Isidore

To meet a high demand (?), I translated my blog post "イジドールさんについて" into English.

 

。。。。。。。。。。。。 

Isidore is a person with amazing vitality.

Let’s say, if a boat was wrecked and we reached to a small uninhabited island where life is so hard that people can easily die in three days.

 

Isidore would;

calm himself down immediately,

go to find foods,

create tools,

go hunting,

build a house with driftwood,

create rice fields and irrigate there,

and finally start some business…

He is a kind of man I surely say that he would do all of that.

Isidore is a Cameroonian who has terrific capacities mentally, physically, and intellectually.

 

By the way, did I mention who is Isidore?

He is my colleague during the internship at JICA (Japanese International Cooperate Agency). Both of us are working for the monitoring an following-up of “KAIZEN” project. This is a JICA’s project of private sector development, especially for SMEs (Small and Medium Enterprises) in case of Cameroon. KAIZEN is a Japanese word meaning continuous improvement of quality and productivity. This idea was originally developed by TOYOTA in its production and quality control process.

Isidore was trained as a KAIZEN consultant during the 1st phase of the project which trained 40 Cameroonian consultants to be able to work individually for installing KAIZEN in local SMEs. Although the 1st phase was finished and the expert team left Cameroon this summer, he has been hired by JICA because of his significant performance during the project.

Also, I luckily got an internship position for private sector development in Cameroon as I wished. So two of us started working together during the transitional period between the end of the 1st phase and the beginning of the 2nd phase. 

We are visiting each SME which participated to KAIZEN project, and doing follow-up activities including the meeting with the CEO and quality managers, conducting monitoring questionnaire, giving presentation, observing production line, and meeting with KAIZEN committee etc.

 

Three months have passed since I met Isidore, and I have been continuously impressed by his performance.

 

Powerful presentation skills

Especially, his powerful presentation is amazing and it changes many employees’ mind.

In each company, we take time to make a presentation to remind the idea of KAIZEN and “positive attitude” which is also a critical factor to achieve a successful KAIZEN.

In the presentation, he strongly persuades and motivates employees, by encouraging them to speak and think. Since he makes every effort to make the audience to understand, sometimes he can be very strict. After the presentation, I heard many of employees said, “there are still many things we can do” or “I am just very motivated.” Also, since many CEOs of the SMEs are struggling to motivate their staff, they appreciate to Isidore very much for helping that.

He is so energetic while he keeps speaking without drinking water!

He never compromises!

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Powerful presentation

 

Gratitude for KAIZEN

Isidore often tell me that

“I truly thank Japanese government, JICA and KAIZEN expert team who introduced KAIZEN to Cameroon which changes the country. Since I was hired as a consultant, I can support my family’s living.”

Even if he didn’t have this job, I am sure he can find a great position in another company. In fact, he was working for a private company for seven years and promoted to a quality manager which is the second highest position in the company. The job was secured and it provided good insurance. But he resigned the job when he decided to take the KAIZEN training, while no job contract was expected as a KAIZEN consultant at that time. Since he has family with small kids, the decision was not very easy to made. But he wanted to do something which can have impacts on the society.

I also know he was recently offered some other jobs which can pay higher salary than current contract.

But he is so modest that he says “I got those kind of offers because I was involved to the KAIZEN project. So I want to work for this project for longer period to learn as much as possible.”

 

Fifty-Four Siblings

Let me tell you about some of the Isidore’s background.

He is from a village in Western Cameroon. His father has huge area around the village including a mountain with coffee trees. He got married with many women and has 55 children including Isidore. Moreover, Isidore is the biggest brother among all the siblings. Isidore became independent from his parents when he was only eleven, but he has been relied by many of his family members.

On the other hand, he loves his only wife forever. He has four children between him and his wife, and two  adopted children.

I was invited to his house with a big yard, and had a great time with his family.

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Meeting with employees

Gentleness

Isidore is also very gentle.

Since his ability is extremely high, I often think my contribution to our activities is too small.

However, he always respects my opinion, and cares if my life in Cameroon is going well. He carefully looks the situation around him and notice small changes. I guess one of the reason is the fact that he is the biggest brother of 55 children and cares how everyone is doing…

He also helps me to practice French conversation. He nicely corrects my grammar and I’m learning a lot every day.

 

Patience

Isidore is also extremely patient even when the situation is a bit frustrating.

For example, we face a lot of challenges of punctuality.

We usually schedule an appointment 1-2 weeks before the visit, and on the day before the visit, a phone call to remind the visit is made too. However, we often have to wait for a while when we arrived at the companies on time. Sometimes we arrive at 9:00 and are told that the CEO would come around noon.

I’m trying not to be discouraged too much for these things, but sometimes it continuously happens and I can be frustrated, thinking “should we really wait for him/her?”

But Isidore is so patient that he waits for them because he knows anyway we need to talk to the CEOs to achieve the objectives of KAIZEN.

On the other hand, he is not just like “no problem!” to the non-punctual company when the CEO appears, but he makes it clear that this is not acceptable if the company really wants KAIZEN.

This comes from his gentleness and passion to train and improve the company.

 

So, these are some of the introductions of Isidore.

Of course, we have different background, experience, gender, age, and many others. So naturally we have different perspectives on many things. But we can always discuss anything.

He is a person I respect from the bottom of my heart.

 

I am really grateful to JICA for giving me this fantastic opportunity to work with Isidore, and

to KAIZEN expert team for training Isidore to be an outstanding consultant.

(although it was not for me, obviously…)

And above all,

Merci beaucoup Isidore!

(and for allowing me to publish this blog post!)

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(From the left) Isidore, his wife, his mom, me, his best friend

 

イジドールさんについて

イジドールさんのバイタリティはものすごいです。

例えば、

漂流して無人島に打ち上げられて、

普通の人なら三日ももたないような環境だったとして、

イジドールさんならきっと…

気持ちを即座に適応させて、すぐ食料を探しに行って、武器作って、狩りに出て、流木でちゃんとした家を作って、同時に稲作も始めてしまいそうな…、しかも最終的にはビジネスまで始めてしまいそうな、

そんな気力・体力・知力を持ち合わせたスーパーなカメルーン男児です。

 

 

イジドールさんが誰なのかというと、インターン期間中に一緒にカイゼンプロジェクトのフォローアップ活動をしている現地コンサルタントです。

今年夏に終了したプロジェクトの第一フェーズにて養成されたカイゼンコンサルタントで、優秀さを買われてプロジェクト後もJCIAからのコンサル契約をオファーされ継続して働いているという人物。

私より歳は10歳ちょっと上で、背は30㎝くらい高いです。

 

そんなイジドールさんと出会って三か月、二人でカイゼンプロジェクトの参加企業に毎日一社ずつ訪問しているのですが、イジドールさんのパフォーマンスには圧倒され続けています。

 

特にすごいのはパワフルなプレゼン

各社で、イジドールさんがカイゼンの基礎のリマインドと、ポジティブ・アティチュード(何事もポジティブな発想であることで業務を改善するための考え方)についてプレゼンするのですが、オーディエンスをがんがん巻き込みながら、従業員一人一人のやる気を引き出すべく一生懸命説得します。終わった後、従業員たちから「自分にもやれることがまだまだあったな」とか「今日からがんばろう」という気になった、という感想を得られます。

もう30社くらい訪問したのですが、その勢いは衰えるどころかパワーアップしているようです。

プレゼン以外も、かなり親身に、時に(頻繁に)厳しく、社長や従業員を説得しながらやる気を引き出します。

水も飲まないでずっと喋りっぱなしだけれど元気!

妥協しない!

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いろいろな会社でプレゼンするイジドールさん

 

 

イジドールさんはよく語ります。

カイゼンプロジェクトをカメルーンにもたらしてくれた日本政府・JICAと専門家達に本当に感謝しているし、JICAがこのために雇ってくれたから今生活できている。」と。

たとえこのコンサル契約が無くても絶対に良い会社には務められているに違いないし、もともとカイゼンプロジェクトのコンサルタント研修を受ける為に応募する前は、7年間民間企業で良いポジションまで昇進していたし、安定と保険がある職場で働いていました。それに最近も、他の団体や会社から、給料だけで言えばこのコンサル契約より高い額を提示されて最近誘いがあったりしたというのも知っています。

「でも、そういう話があったのも、カイゼンプロジェクトに携わったおかげなんだから、行けるところまでカイゼンの為に働きたいし、まだまだ学ぶことがたくさんある」

とスーパー謙虚です。

 

 

そんなイジドールさんの出自について。

お父さんがある村でコーヒーの山を含むかなり広い土地を持っている実業家らしく、そのおかげかなんなのか奥さんが歴代沢山いて、イジドールさんの兄弟は54人いるらしいんですが、なんとその長男。沢山の兄弟から頼られる存在です。

 

一方でイジドールさんは、一人の奥さんへの愛を貫いており、6人の子供がいます。

休みの日に遊びに行かせてもらったら、ドゥアラ郊外の広い庭付きの大きな家で温かいおもてなしをしてもらい、優しい奥さんとかわいい子ども達と一緒に私も良い時間を過ごさせてもらいました。

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その上、とてもやさしい

イジドールさんがすごすぎて、私あんまり役に立ててないとよく思うのですが、なのにいつも意見を聞いてくれるし、尊重してくれるし、カメルーン生活を快適に送れているかもよく気遣ってくれます。視野が広く周りへの配慮がすごいのは、やはり54人兄弟の長男だからなのか…

あと、私の拙いフランス語も練習にも付き合ってくれ、訂正もしてくれます。

 

あと、辛抱強い

ご想像の通り、カメルーンはみんながみんなイジドールさんのようにちゃんとしていなくて、

というか失礼ながら、イジドールさんが完全に飛びぬけすぎています。

例えば時間。

企業に訪問する際、結構な確率で待たされます。しかも1~2週間前にアポ取って、前日にもリマインドの電話入れてるにもかかわらず!9:00に行って、「社長は12:00に来ます」とか言われる。

しょうがないとも思いつつも、そういうのが数日続くと私はやっぱりイライラしてしまって、「こんな態度の社長を果たして待つ必要があるのか?」とか言っちゃうんですが、イジドールさんは、「まずは会って話さないことには始まらないから、待とう」と言い、辛抱強い優しさです。

でも、遅れて来た社長に万事「OK! OK!」というわけでもなく、ちゃんと苦言も呈するところが、本当にその企業をカイゼンしようという優しさです。

 

 

そりゃあ育ってきた環境が違うし、意見が合わないときももちろんあるし(毎日一緒に仕事していれば当然)、議論にもなるけれど、とにかく熱心で心から尊敬する相棒です。

 

イジドールさんと一緒に活動する機会をくださったJICAに、そしてイジドールさんを素晴らしいカイゼンコンサルタントに育ててくださった専門家チームの皆様に、(私のためではないけれど…)とても感謝しています。

 

そして何よりも、イジドールさん、いつも本当にありがとう!

(このブログの投稿を快諾してくれたことも!)

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左から、イジドールさん、その妻、その母、私、その親友

カメルーン生活:バス移動

ドゥアラから首都ヤウンデに行く用事があって、バスに乗りました。

 

この区間のバスはいろいろな会社・種類があるようですが、FINEXという会社のVIPクラスで、片道 5,000 cfa(約1,000円)というのに乗りました。

4時間半の距離と思うと、とてもお買い得と思います。でもこれでも高い方とのこと。

クーラーもついてて、水 or ジュースとパンももらえます。

Wifiもあったけれど、これはとても遅くて実質は使えず。

ヤウンデまで四時間半。

 

指定席で番号通りの窓側に座っていたら、隣にはマダムが。

座った瞬間から、太もも密着はまあ、しょうがない(?)として、腕が最初から私の腕(私のスペースにある)にしっかりと乗せられました。

おおお

でもあまりにも普通な感じだし、こういう時私はよっぽどでないと何か言えない派なのでどうしようか…と思いつつ、

あ、そうだ、真ん中のひじ掛けを下ろさせてもらおう、と気づき、

「エクスキュゼー、デゾレー(すみませんねー、ごめんなさいねー)ホホホ」

と言いつつ下ろしたら

その上にどん、とハンドバックを置きその上に肘を置いたので、更に私のスペースは縮小となったのでした。

…ははは、そうですよね!!

 

:::::

話変わるけれど、ここの生活では、人との接触度、密着度が高いと常々思います。

乗り合いのタクシーでは、狭い後部座席に三人座るとぎゅうぎゅうで、太ももから腕からぴったりくっついちゃうのですが、なんとなく現地の皆さん、それを意に介してないような。私ばかりもぞもぞ動いてなんとかずらそうとするし。あと隣の人の腕がわき腹をつつき続けるとなんとも落ち着かないです。

そして、ずっと太もものあたりが密着しているから、離れたら汗かいているというあの感覚。

そしてまだそれはいいとして、前の座席には二人(!)、つまり助手席に二人(ちょっと運転席側にはみ出して)座るので、わりと大の大人の男性、知らない人同士二人がぴったり密着して座ることが日常茶飯事です。そういうのもあって、接触・密着に結構リラックスした感覚なのかな、と思います。

 

 ニューヨークではその対極を感じて、電車とかでもぶつからないように、というかちょっとぶつかったら “You are pushing me!” とか大声で言ってる人がよくいました。すごい満員電車で、もうちょっと詰めたらもっと乗れるし乗り降りもスムーズになるのに・・・と思うほど。

スーパーとかですれ違う時も、必ず “Excuse me” と言ってぶつからないようにしている感じです。お互いすれ違いたいのに、相手が強気で(?)”Excuse me.” と言うと、気弱な私はこちらがゆずるしかなくて言ったもん勝ちです。

そのいわゆる「パーソナルスペース」を大事にするからこそ、友達や家族には思いっきりハグする、というのが信頼の表現としてよく機能する、ということと聞いたことがあります。

 

日本はある意味中間なのかな、と思っていて、電車の例だと、詰めて詰めて乗るのが普通だからどうしてもくっつくし、降車時もニューヨークみたいに “Excuse me!” と言わなくてもふんわり押すことで降りる合意、みたいのありますよね。

(それでも私は無言で押されることは、慣習もあるから「絶対に失礼だ! 」とかは思わないものの、できることならされない方が好ましいから、自分では降りる時は小さな声で「すみません~~」と言うようにしています。)

同時にNYから一時帰国の時、何も言わずに(強くじゃないけど)押されることにびっくりするようにもなったり。

 

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関係ないけど道路に停まっていた車、むつびし

 

すごく話がそれましたが、バスの話。

 

隣のマダムの立派な腕に押されながら、4時間半の行程を順調に進み、ヤウンデに到着しました。

到着してすぐJICAの担当職員さんから電話があり

「エデア(途中で通ったドウァラ寄りの地域)で道路が陥没したらしいんですが、何も問題なかったですか?」

と聞かれました。

大丈夫だったけれど…と思ってたら、

「その区間乗客を降ろして、歩かせて、バスも無事通過した後に再度乗客を乗せる、みたいなこともあるみたいなんですが」

と言われ、

そういえば途中そういうことがありました!

突然全員降り、5分くらいただただ道路上を歩かされ、その後また同じバスに乗るという。

不可解だなあ、と思ったけれど、不可解なことは沢山起こるから、特に気にしていなかった…

 

何はともあれ到着できたのですが、その時は完全なる陥没じゃなくて、でもその後本当の陥没が起こり(?)、帰りは通れないとのこと。

 

ヤウンデ―ドゥアラ間は鉄道もあるのですが(飛行機も)、

前にも一度そういうことがあって、みんなが鉄道に殺到した結果、(重量オーバーなのか?)その列車が脱線事故になってしまったケースがあったそうです。

そんなこともあるし、詳細わからないまま帰って途中でやっぱりドゥアラまで着けなくて変な町(?)で降ろされたりしてもいけないので、急いで帰らずにもう一泊することになりました。

 

翌日は無事帰れたんですが、でもやっぱり、「一度降ろされてしばらく歩いてまた乗る」という事態はありました。しかも陥没した場所とは関係ない場所で。

 

不可解なことだらけだけれど、すべてに理由を求めることはせず、今日も元気にやっています。

【読書】  高橋和夫「中東から世界が崩れる」

中東関係、未だに難しくてよくわからない…

とはいえ、国際関係の修士号取ったのにずっとそう言っているわけにもいかないので、カメルーンでの「読書の夏」を存分に楽しんでいるこの機会に、読みました。

 

 

著者の高橋和夫さんは、コロンビア大学の先輩のようです。

中東研究者。

 

もともとあんまり知識がないから、学ぶことばっかりだったのですが、 特にふむふむ、と理解が進んだのは

   ⇒教義の上では大きな差はない。お家騒動。

  • 欧米は、中東の政治体制について「西洋的価値観では民主的な選挙が望ましいが、実際に選挙が行われるが班西洋的なイスラム主義が政権を取ってしまう」ので、民主的ではないが世俗的で欧米に近い政策をとる軍事独裁体制を支援したりする。エジプトで民主的な選挙によってムスリム同胞団が政権を取った時も否定的な立場を取ったし(その後軍事クーデーターでつぶされてしまった)し、94年にパレスチナ自治区ハマスが選挙に勝利した時も公然と無視した。

   ⇒西洋化への絶望と欧米への不満を起点としてイスラム過激派が台頭。

  • サウジはあまり石油以外の力がなく、国民には「税金は払わなくていい代わりに政治には口を出すな」という感じの国。外交の表舞台にはずっと出てこなくて資金力で影響力を行使してきたけれど、ここ数年、若い王子が国防を担当するようになって大きな変化が出てきた。

   ⇒イエメンへの武力介入や、イランとの国交断絶など。

  • イランの核合意成立前に、国際社会がイランにやっていた経済制裁がうまくできたのは、サウジが原油安政策を行っていたから。もしサウジが増産してなかったら、欧州も日本も石油の調達先としてのイランを外したくないから、いくらアメリカが呼びかけても対イラン制裁は難しかったはず。一方で、核合意成立でイラン制裁が解除された後でも、サウジは石油のシェアを奪われたくないし、イランはもちろん売りたいし、でマーケットに石油が溢れている。

   原油市場の安値の原因。国交断絶により生産調整の協調はさらに困難。

  • 20世紀初頭にイランで石油が発見された時、イギリスがすぐのイラン原油の生産販売を独占し、莫大な利益を上げた。しかしWWII後イラン国民にその不満が広がり、その声を代表したモザデク首相が石油産業の国有化を断行。この動きが他の産油国にも広がることを懸念した欧米の石油会社はイラン原油をボイコット。こうして追い詰められた(民主的に選ばれていた)モザデク政権を、米英の諜報機関が53年にクーデターを起こさせて転覆させた。テヘランの米大使館がクーデターの実施本部だった。

   ⇒アメリカ不信の原点。

   ⇒関係改善に取り組んだハタミ政権の対米外交の終焉。

 

等々、内容が濃いけれどわかりやすい構成で、とても勉強になりました。

同時に、ややイランひいき(?)なのかな、と思い、いずれにせよイランへの認識が少し変わりました。

ペルシア人国家のイランが大国意識を持つに至る考察もおもしろかったです。

 

これがこの著者だからなのか、どうなのか、それを知る為には他にも勉強が必要で、こうしてどんどん読むべき本が増えていきます。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

ちなみに、この本の前に実は、まず現代史の基本的なところ押さえなければ、と思って買ったものの一年以上 TSUNDOKU になってしまっていた池上さんの本をやっと読みました。

積ん読、日本語がそのまま英語で使われているんですよね~。"stockpiling of books" ぷぷぷ。)

 

 

読んだらすごくわかりやすくて、ぐんぐん読めて、いろいろ復習になったものの、、、

わかりやすすぎてこんなに簡単にわかっていいのか、 いや、多分もっと複雑な部分も学ばなきゃいけない、特に中東。と思って高橋さんの本を読んだという流れでした。

 

池上さんの本も、大まかにわかりやすく把握して、そのより注目する分野を見極める為にとても良いです。

英語とともに歩む果てしない道のり

アメリカの大学院という、英語から絶対に逃げられない場所から離れて早三か月ちょっと、今はどうしてもぬるま湯だな、英語力が落ちるだろうな、という危機感があります。

そもそも大学院に行く前は、留学経験どころか海外に住んだことが一度もないドメスティックな生活だったので、アメリカ生活で急速に伸びた英語能力は、落ちる時は急速に縮んでしまうのでは…という心配です。

普段、現地の同僚と話すのは英語なので、丸一日、英語とちょびっとの仏語で生きていて、むしろ米国時代よりも日本語は使ってないのですが、自分で発信するのと(英語ネイティブでない)人から聞くのだけではやっぱり英語能力上がることはないな、という感じがします。

 

大学院時代、英語について何がプレッシャーだったかと言うと、

  • 授業の前には鬼の様な量のリーディングをしなくてはいけない。
  • 授業や説明会で、何言ってるかわからないとやっていけない。
  • 授業で発言しなくてはいけない。発言するには自分の考えをまとめ、前の人たちが何言ったかも理解できてないといけない。
  • グループワークでは聞きながら考えながら発言しなきゃいけない。
  • 英語で面接受けなくてはいけない。
  • 社交の場に行っても、全て英語。友達作りも英語。(集まりに顔を出したら、音楽が大きすぎるバーだったりすると絶望的な気持ちに。)
  • ネイティブの人たちすごく早口。そして知らない単語使う。カジュアルな会話であればあるほど難しかったりする。etc.

 

そしてもちろん、これ全部はうまくできず、毎日ストレスはたまるし授業の前は胃が痛いし幾度となく恥ずかしい思いをします。

英語がだめなせいで勉強にかけた時間に対して成果がイマイチだとか、会話がうまくできず友達が少ないんだ、と暗くなったりしたことも数知れず。

ネイティブ同士が速いテンポで話しているののリズムに乗れず、よくわからないけどみんなが笑うから笑ったり。 急に話振られて、うまく答えられずに恥ずかしかったり。 電話で何か手続きしなきゃいけない時とか、相手が聞き取る優しさを見せてくれず、雑に扱われたりも。

 

ここまで来たら、英語のレベルがどうか、なんて二の次三の次の話なはずで、重要なのは何を学んでいるか、そして何を自分が発信できるかなんだ、と考えるべきとは重々わかっているのに、だからこそ一日最低一回は 「英語がもっとできれば…」 とか 「全ての内容が日本語だったらどのくらいうまくできてたのか…」 とか、もっと言うと 「帰国子女に生まれたかった…(安易すぎる考え方)」 ということに捉われてくよくよする自分に自己嫌悪にもなる連続でした。

でもそのつらさを乗り越えて(というか逃げられず)、できないことの量が少しずつ減ってきて、英語のみのコミュニケーションで仲良くなれる友達も増えてきて、やはり英語能力が目に見えて上がったと思います。

 

なので絶対に後退したくない!むしろまだまだ前進したい!

ので、下記のことを心がけています。

【Reading】

英語の文章になるべく触れる。(ただReadingはもうそもそも英語の文章への苦手意識がだいぶ減ったので、そこまで強くは意識しないです。FacebookのTLに流れる記事等どうしても読むし。ただ、論文系は最近読んでいない...)

【Listening】

重要。移動中にポッドキャスト(NPRラジオやTED Talkがお気に入り)を聴いたり、Netflixで英語のドラマ観たり。

【Writing】

就活の応募書類でよく書いていますが、他のトピックでも書かないと。ブログも英語の日を作ろうかな…

【Speaking】

同僚や周りの英語話者と話す時に、単純すぎる言い方ばかりにならないように、バリエーションを拡げる。ポッドキャスト聞きながらシャドウィングする。大学院時代の友達とのスカイプチャットも重要。この前、NYとカザフスタンカメルーン(三大陸!)でうまく繋げました。やればできる。

 

他にも皆さんオススメの勉強法があったら、ぜひ教えてください!

 

 

これからも英語自体をを「武器」にすることはないだろうし、

英語へのコンプレックスとはずっと向き合わないといけないと思うものの、

少なくとも英語が何かやる時のハードルにならないように。

腐敗

今、二か月弱の出張でホテル住まいです。

が、ホテルの無料Wifiが驚くべき遅さで実質ほぼ使えず、追加料金を払えばより良い回線を使えるとのことだったので、そのシステムをホテルの人に聞いてみました。

そこで現れたのがIT担当のAさん。

二人きりになったところで説明を聞くと、

 

A :「俺に直接払えば、滞在期間中ずっとハイスピードのWifiに繋げられる。」

私:「え、フロントに普通に払うのではないの?」

A :「フロントの正規料金は高い。俺に払うなら10,000 cfa でOK」

 

…正直なことを言うと、一瞬、払っちゃおうかという考えも頭をよぎってしまいました…

なにしろ今現在PCで作業するのにも支障があるし、友達が一人もいない都市で、そんなに気楽には一人で出歩けず、娯楽もない状態、ネットが使えないと気分転換が…

というかNetflix 観たい…

(今はOrange is the New Black という、超アメリカンでありえない展開のドラマにはまっています)

 

そして、10,000 cfa って、約2,000円!

たった2,000円で、二か月間のネットが保障されるなら…

 

でも、だめだめ。ガバナンス分野に興味を持って勉強してきて、修論プロジェクトではウガンダの腐敗に切り込んだ私がそれをしてしまっては、と思うし、しかも私は今インターンとは言え国の機関の立場で来ているのだし。

ということでお断りしました。

 

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(ホテルの窓からの風景)

 

私はこれ書くことで、自分の正義感を振りかざしたいとか、こういう時にお金を払ってしまう人を批判したいわけではなくて、、

…いや、後者はあるかもしれないです。

というのは、腐敗や贈賄が機能してしまうのは、払ってしまう人がいるからですよね。 政府の腐敗の問題を勉強していても、「お金を要求する役人が悪い!」ってなりがちで、それはもちろん大前提として、でも「払わない」って選択を取る正義も同時に求めるべきだな、ととても思います。

もちろん、生活かかっている人はワイロを払ってでも目的を達成しなければならなかったり、むしろワイロを払う以外でプロセスを進める方法がなかったりする場合はあるのですが。

そういう弱い立場の人たちに、えらそうに「絶対払うな」なんて言えないのですが。

でも、「ワイロは正しくない。払わない!」って決意を持つ人が増えればそれは確実に状況を変えるパワーとなるし、少なくともお金に困窮しているわけではない私とかは、払わない強い決意が必要だと思います。

今回のケースは、政府役人がやるようないわゆる腐敗とは少し違うけれど、「腐敗的スピリット」だし、まあ、業務上横領。それに手を貸すわけにはいかない。

 

そして、コラプション(腐敗)に遭遇した時の次の一手、レポーティング(通報)についてですが、自分の仕事内容を考えると、言った方が多分ホテルのためになるし、ホテルの人は毎日よく話している人だから、言おうと思うとすぐ言えるんですが、今のところ言っていません。

いろいろある理由の一つは、言いつけて、Aさんが解雇になったりしたら人生を変えてしまうというリスクを今引き受けられない、というものです。たぶんこういうことはよくあって、これだけじゃ解雇になったりはしないかもしれませんが…さっきフロント言ったら普通に気軽に話しかけられたし…

あと、逆恨みされたりしたら怖い、という完全に自分の保身の理由も大いにあり。 ITの人は一人しかいないみたいだから匿名で報告することは実質できず。

そういうわけで、ホテルの人に伝えていないから、そのAさんは別の人にまたその取引(?)を続けるだろうから私は状況を変えていなくて、結局ずるいし、Justiceをもたらしていないのだ、と思います。

これはこれで腐敗に加担しているのかもしれない、と悩まされる、本当に良いことが何もない出来事でした。

 

アフリカあるあるとはいえ、小心者の私は心がちょびっとすり減りました。

(すぐ戻るけど)

みなさんならどうするでしょうか。


【後日談】

この出来事の一週間後くらいに、イジドールさん(同僚のカメルーンコンサルタント)が「あのIT担当はよくない!」と朝一番で言うので、

「(そうそう!)なんで?」

と聞いたら、10,000 CFA で繋いであげるって言ってるのに、私が払わないから、私のことを説得するようにイジドールさんに言ってきたとのこと。


な、なんて大胆なんだ!

(イジドールさんもホテルの人と友達だから筒抜けになってもおかしくない)


イジドールさんは、

カメルーン人だったらすぐ払っちゃうし、フランス人でも払うよ(←偏見?)。結果、みんなが彼の方法で繋いだら結局その回線も遅くなるし、ホテルへの損害が甚大。はっきり彼を名指ししないまでも、ホテルに伝えなくては」と言っていて、

私:「でもITの人、一人だからまあわかっちゃうよね」

イ:「まあ、解雇にはならないと思うよ…」

という会話をしたのでした。

カメルーン生活:ドゥアラで買い物・タクシー

スーパーなスーパーマーケット Super U

 

休みの日に、フランスの大手スーパーマーケットチェーン、Super U に行ってきました。

話には聞いていたけれど、首都ヤウンデにはない規模の大きなスーパー。食べ物から生活用品まで、海外からの製品を含め多種多様にあります。

とはいってもただの大きめのスーパーなだけですが、買い物の楽しさがほぼない生活の中ではちょっとうきうき。

 

カメルーンはやっぱり物が少なくて、ヤウンデでは大きなスーパーに行っても、何か特定のものを大量に仕入れた時はそれで溢れかえっているけれど、ない時は全然ない。ヤウンデ市内で鶏肉が大幅に不足!みたいなこともあったそうです。

そして、チョコとかアイスとか、基本一度溶けたものが固まっている…の割に、輸入品だからとても高いです。

だから普段、必要な物のみ、数少ない選択肢から買う、という感じなので、沢山の選択肢があるスーパーが楽しいのです。

 

ただ問題は、ホテル暮らしだから、料理ができないこと。だからあまり食材も買えず・・・せっかく時間あるから気分転換も兼ねてお料理したいんだけどなあ。

それと、また二か月弱でヤウンデに引越し、そして二か月後には帰国なので、そもそも物を増やしたくないというのもあり。ミニマリスト志向であります。

そんなわけであまり思い切った買い物はできず。でも、ちょっと良い洗剤とか、フランスのクッキーとか買うだけで楽しかったです。

 

脇にあるパン屋さんで、パンオレザンも買いました。1,000 cfa (約200円)だから、カメルーンの他のパン屋さんの基準からすると高めだけれど、ぎっしりおいしい。

レーズン入りのパンって好きです。

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カメルーンでタクシーに乗る

 

ちなみに行き帰りはタクシーに乗ります。

カメルーンでは乗り合いタクシーがそこら辺をビュンビュン走っていて、でも「デポ」と言えば貸し切りで乗ることもできます。

しかし私は近くて知ってる場所にいる場合は、もうデポにせず乗り合いで乗っちゃって、その場合の基本料金は250 cfa (約50円)で済みます。でも外国人だからか、運転手さんに場所を告げると、近いのに「Combien? (いくら?)」とか聞かれ、「いや、普通の値段でしょ」と言うと走り去られたりするのはよくあり、世の中厳しいですが、まあ気にしない。待ってれば普通の値段でちゃんと連れて行ってくれる運転手さんに会えます。

逆に、250 cfa では遠い場所では、道でタクシー拾う時に「〇〇(場所の名前)、500 cfa」とか値段もつけて言います。

 

ぎゅうぎゅうに詰め込まれても(前二人、後ろ三人とか)、日本の満員電車に慣れてるから大丈夫~

(身の回りのものには注意。窓の外からすられることもあるらしいので、荷物はがっちり抱えます)

 

 

 

(後日談)

その後も何度かSuper U には行ったのですが、なんと、以下の物を見つけました。

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竹鶴ウィスキーと、出前一丁

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みんな大好き、消せるボールペン、フリクション!フランスからの輸入。

 

ここ以外では、カメルーンではなかなか買えないラインナップ…

シャンプーや化粧品のラインナップも充実しているし、なんと水着も売っていました。

あと、フランスから輸入したハムとかいろんなチーズ、パテ等も売っていて、「調理しなくても食べられるちょっとおしゃれなもの」という選択肢も広がり有難かったです。

 

本気でこういう品ぞろえに興奮してしまうぐらいには、カメルーンは物がまだまだ限られているのです。

 

※ちなみにカメルーンでは、あんまり一定の商品の安定供給という概念はなさそうで、バーッと仕入れてそれが売切れたら再入荷なし、という雰囲気です。なので、Super U であっても、上記のような定番でない商品は店頭には一時的にしか並ばないと思います。

 

 

一方、 2017年12月に、また別のフランス大手スーパーマーケットチェーン、カルフールがドゥアラにオープンします。

これも巨大なスーパーで、Super U のライバルになること必至。

首都のヤウンデを横目で見ながら、ドゥアラで仏大手スーパーの熾烈な戦いが始まりそうです。(消費者的にはただただ有難いですね)

 

 

カメルーンでのインターン

5月にコロンビア大学SIPAを卒業して、ちょっとだけ日本に一時帰国し、6月からJICAのカメルーン事務所でインターンをしています。

 

応募時に書いた、カメルーンの中小企業振興に携わりたいという希望が通り、

カイゼンプロジェクトに関わっています。

カイゼンとは、JICAの技術協力プロジェクトの一つで、トヨタカイゼン方式を元にした、企業の継続的な品質・生産性向上を目指した民間セクター開発の技法です。その中で有名なものに5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)の徹底があります。

私はこのプロジェクトのパイロットフェーズが終了する頃の2017年6月に着任し、年末までの間、現地で活動します。第2フェーズが2018年1月に始まる予定なので、ちょうどそのプロジェクトの空白期間に、現地コンサルタントのイジドールさんと共にフォローアップ活動として、プロジェクトに参加した40社の中小企業を一社一社訪問しています。

企業訪問時は二人きり、また事務所で働く場合も我々はカンターパートの中小企業庁のビルの中のスペースで働くので、基本的にはJICA事務所にいることはあまりありません。

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(従業員の皆さんと一緒に5S活動。一番右は私。)

 

特に、最初二か月は首都ヤウンデにて活動で、JICA関連の皆さんと沢山お知り合いになれましたが、次の二か月はドゥアラという、産業の中心都市に現地コンサルタントと二人で移動です。ドゥアラにはJICA関係者が一人もいません。

というわけで、インターンにしてはかなり自主性を持つ形でやらせていただいていて、私の年齢とか職務経験を考慮してフレキシブルに受け入れて頂いているのかな、という感じがします。

もちろん放置されているわけではなく笑、すばらしく優秀な受入れ担当の職員さんと連絡取りつつ、そして驚くべき気さくさで優しい所長が公私にわたりいろいろと気をかけてくださりつつ、カメルーン生活をスタートできました。

また、到着して二週間の間は、カイゼンプロジェクトの実施を行う専門家チームがカメルーンに駐在しており、その二週間で沢山のことを教えて頂きました。

専門家の方々が非常に苦労してパイロットフェーズを開始し実施していること、またその思い入れの強さに触れて、最初その専門家の皆さん無しでフォローアップをできるのかかなり不安に感じたのですが、プロジェクトで養成された現地コンサルタントの内、特に優秀なイジドールさんがJICAと契約を結び一緒にフォローアップ活動をできることになっていたので、彼にいろいろ教わりながら進めています。 

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(アクションプランを従業員主導で作るのをサポート)

 

商社での経験を活かせ、そして国の持続的な経済発展に寄与できる、民間セクター開発。ずっと興味を持っていたことで、半年間JICAでそれを学べるのは本当に良い機会なのでがんばります。

 

 

ちなみにカメルーンでは、パイロットフェーズ中にKAIZENソングが作られました。JICAの指導担当の方や、プロジェクトの専門家も出ていて、頭に残るダンスソングです。

 

(French ver.)


KAIZEN RHYTHM by LARO, FR-EN subs, JICA CAMEROON PROJECTカメルーン カイゼン プロジェクト『カイゼン・リズム』仏英テロップ版(歌い手:LARO)

(English ver.)


KAIZEN RHYTHM by LARO, EN英 subs, JICA CAMEROON PROJECTカメルーン カイゼン プロジェクト『カイゼンリズム』英語テロップ版-歌い手LARO