ウガンダ生活:マンゴー考

ウガンダ北部に移動中の車に乗っていると、小さい実がたくさんぶらさがっている木をよく見て、その木の下に黄色い実がボタボタ落ちているわけです。

 

「(形と色から)ちょっと小さいけどまさかマンゴー?でも、果物の王様マンゴーだったらあんなにボタボタ落ちたまま放置されるとは考えにくい・・・」

 

と思っていました。

特に今回の出張先のアジュマニという地域は南スーダンから難民をたくさん受け入れているし、元々現地に住む住民たちもいろいろと経済的に困難な家庭が多いから、マンゴー落ちてたら食べるだろう、と。(私なら食べる)

 

そんなことを考えながら立ち寄ったホテルの庭にもその木があって、同僚が「拾いたい」と言うから「やっぱ食べられるよね!?」と私もついていったら、

やっぱりマンゴー。

小さいけれどマンゴー。

 

私も2個拾って帰ってきました。なんというか、「ホテルの私有地にあるのだからホテルのものだ」という感じもなく、おおらかですよね。

そして食べてみたら、まあ繊維が多いし小さいから食べる部分は少ないのだけれど、すごく甘い!!すばらしい。

 

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そういえばこの前、勤務先のみんなと大型バスで移動することがあったのですが、道端にはマンゴーを頭に乗せて売っているお姉さんがいます。

 

誰かがマンゴー食べたいと言ったから、停車。

 

バスの中からお姉さんに「マンゴーくださいな」と言うと皮もむいてくれます。

細い道に存在感ある大型バス、そのわきにマンゴーを10個以上立て続けにむきまくるお姉さん。

 

 

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新しいビニール袋を手にかぶせて、直接実に触ることなくスルスルと無駄なく皮をむいている様子をずっと見ていたら、私もなんかほしくなって結局買ってしまう。

 

一個1000シリング(約30円)。ちょっと安すぎて申し訳なくなる値段なのに、旬の味、とてもおいしかったです。

 

ウガンダのまぶしい緑あふれる道でバスに揺られながら、窓ごしに受け取ったマンゴーをむしゃむしゃ食べるというのはなんとも風情があります。

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 

一方この前、マンゴーアレルギーを発症した友人の話を聞いて戦慄しております。

マンゴーを食べた後、急に顔がすごく腫れてしまい、お医者さんにマンゴーが原因だと言われたとのこと。

 

実はマンゴーアレルギーって結構あるらしいです。

https://applemango.jp/allergy/

 

オーストラリアのマンゴーファームで働いていてアレルギーになってしまった人のブログも。

 

 

このままマンゴーをモリモリ食べていたら、いつか私も発症するのだろうか…

でも、アレルギーになるのを恐れてマンゴーを食べる量を抑えるなんてできない。

人生ってそんなものじゃない。

 

そんなロックな気持ちで、首都へ帰る道すがら路上の至る所で売っているマンゴーを山盛り買いました。

中くらいの大きさ11個で3,000シリング(約90円)

 

 

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しばらくマンゴー祭りです。

 

おわり

 

【読書】 プク・ダムスゴー「ISの人質」(山田美明 訳)

 

こういう仕事だと赴任の前にも着いてからも、そして出張に行った各地で安全管理の説明を受け、ことあるごとに「気を付けて!」リマインドされるのですが、

この前はさらにもう一歩上のレベルで実習を織り交ぜた五日間の安全管理トレーニングに参加するためにケニアに行ってきました。

Hostile Environment Awareness Training

の頭文字を取って、HEATというトレーニングです。

(ちなみにこのトレーニング、私はスーダンに時々出張に行くので受ける必要がある、となりました。でもスーダンでも特に危険そうなところ(ダルフールとか)には行かないのですが、そうかと思えばプロジェクト実施地域でも少し前にWFPの倉庫襲撃事件があったりやはり注意は必要です。)

 

このトレーニング、詳しくは述べませんが本当に激しく危険な状況を想定した実践的なもので、心理的・体力的に負荷がかかる実習が組み込まれています。

銃撃戦に巻き込まれたり

地雷原に放り込まれたり

人質に取られたり・・・

という時にどうするべきか、また負傷した時の応急処置の方法等、いろいろ満載でした。

激しい(執拗な?)実践トレーニングで、他の二人の女性参加者は泣いちゃうくらい。私はいろいろ驚いたものの泣きはしなかったですが、その日の夜はやっぱり殺されそうになって逃げ続ける夢を見たり。

 

…前置きが長くなりましたが、こうして安全意識が最高潮に高まった段階で、

前から気になっていた「ISの人質」という本を読みました。

ISに13か月の間拘束された後に解放されたデンマーク人ジャーナリストについての本です。

 

ISの人質?13カ月の拘束、そして生還? (光文社新書)

ISの人質?13カ月の拘束、そして生還? (光文社新書)

 

 

  

拘束されたダニエル・リュー氏は、元デンマーク代表体操選手で、シリアを取材旅行で訪れた時にISに拘束されてしまいました。

 

それからの13か月は、

拷問されたり、

逃走したけれどまた捕まったり、

不衛生な場所で十分な食事を与えられない生活が続いたり、

他の欧米人と一緒の部屋に詰め込まれたり、

いろいろ語れる友人ができたり、

厳しい中でもユーモアの心は忘れなかったり・・・

 

 

そして、家族は身代金の工面のために奔走します。

言わずもがな、ISが要求する巨額の身代金を払ってしまったら、それがISの収入源となって武力活動の拡大を支援することになってしまいます。だからデンマーク政府は身代金を払わないという確固たる方針を持っており、家族に金銭的な援助を一切しませんでした。だから家族が苦労しました。

 

でも家族が集められのはまだよくて、アメリカとイギリスの場合は人質の家族がテロ組織と交渉することも違法であり、身代金を自力で調達することもできないという状況でした(デンマークでも違法だったものの、当時ISISがまだテロ組織のリストに加えられていなくてグレーだった)。

だから実際に、ダニエルと同じ部屋に捕らえられていたアメリカとイギリスの人質たちはカメラの前で首を切られて殺害され、そのビデオはYouTubeで世界中に流れされてしまいました。

※ちなみにその後、2015年にオバマ大統領が法律を修正し、家族が身代金を調達しても起訴されることはなくなりました。

 

いずれにせよ、アメリカもイギリスもデンマークも、政府が身代金を払うことはありません。というか世界の主要国の間でも、テロリストに対する身代金は払ってはいけないというコンセンサスが2013年のG8サミットでなされているのですね。

下記コラムに紹介されています。

 

そして日本も、2015年に後藤健二さんと湯川遥菜 さんがISILに人質に取られ身代金を要求された際、払いませんでした。

 

その結果人質が殺されてしまうというのは、言葉が見つからないような恐ろしいことです。しかしテロリスト組織にお金を流入されるとさらなる暴力が生まれるし、テロリスト側も身代金が集まることがわかったらどんどん外国人を誘拐して資金源にするはず。だから実際に誘拐はまだ後を絶たないし、「身代金ビジネス」なんて言われるゆえんです。

 

一方、フランス政府は、公式には認めていないものの、国有企業などの営業活動による資金を利用するなどしてこれまで多額の身代金を支払っているとのこと(それが国有企業の利益にもつながる)。一説によると、2008~2013年の間にフランスはアルカイダ関連組織に5,800万ドルもの身代金を払ったとのことです。

本の中で、ダニエルと同じ部屋にいたフランス人達4人はダニエルより先に解放されて、フランスに到着すると大統領や外務大臣らの歓迎を受け、オランド大統領は

「フランス政府は、彼らを解放できたことを誇りに思う」

と記者団の前で言ったとのこと。

あーなんだか…

 


 

 

でも私だって誰か友人が人質に取られたらできる限りの寄付をすると思うし、

ジャーナリストたちに「危険な場所に行くな」というのも無理があると思います。

そういう人たちの報道で、何が起こっているのか世界に伝わるのだし。

でも同時に、本当に危険で人質に取られるような場所には行かないでほしいとも思うし、「伝えなきゃ」という意思の強いジャーナリストを止めるのも難しい。

しかしテロリスト組織にお金が流れるのは避けなければいけない。

でももともと、そういう憎しみが生まれる背景には、大国の思惑で大きなお金が流れたり長引かせられた紛争があったりしたわけで…

資源がある国は思惑が交差して…

みんなが他の国のことはとにかく放っておけば世の中平和になるのでは。(こんな仕事してるのに)

 

そういうことを悶々と考えさせられる読書でした。

 

ちょっと夢に出てくるかもしれないけれど、世界で起こっていることの一端を生々しく感じるのに良い本です。

 

 

ちなみにダニエルは、その後TEDでも喋っています。どんな状況でも、人はある程度適応しちゃうんだ、という内容。

あんなに極限の状況で、日々殺される恐怖と闘いながら13か月も拘束された後、(もちろん様々なPTSDは残っているのだろうけれど)一見健康そうで人前で話すことができるというのは奇跡のようだなあ、と思いました。

 

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

ところで、これを書いている今まさにスーダンにいます。

首都から離れフィールドにてインターネットのない週末、窓のない薄暗いホテル、錆びたシャワーヘッドから出るのは茶色っぽい水のみ、鉄枠のベッドにペラペラのマットレスの上で、時々停電で真っ暗になりながら書いていて、雰囲気抜群です。

外に出たら出たで毎日40度超え、「ちょっと散歩に行こう」というのが命取り…(’▽’)

 

なんか恐ろしい内容だったので、最後はおいしかった食べ物を紹介して締めくくることとします。

 

 

スーダン式朝ごはん。と言ってもお昼頃食べます。みんなでワイワイ食卓を囲んで、すべて指で上手にちぎって食べるのがポイント。

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ナイル川の魚をカラッと揚げたてで。ライムと比べるとわかるけれど、かなり大きいです。ほとんど砂漠地帯で砂だらけ岩だらけなのに、世界最長の川がすぐそばにあるっていうのがおもしろいです。

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③美容と健康に良いデーツ。私はデーツってねちょっとしたイメージで特に好きではなかったのですが、これは固くてカリッとしててお気に入り。出してくれた所で「おいしいですね」と言ったら持って帰りなよ、と一掴み持たせてくださり、入れるところがないので服のポケットにそのまま突っ込んで、その後忘れて、ホテルに帰ってから服脱いだらこれがボトボト落ちてきてギョッとしました。なんかちょっと違うものにも見える。

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おわり

私が政治家になったとしたら

政治家にはなりません(なれません)が、よく「私が政治家だったら〇〇したい」というのは妄想します。

 

その中で一番やりたい政策は、

「大企業や官公庁の都心のオフィスを地方へ分散させる」

というもの。

 

政策立案の知識がないので具体案は自分でもよくわからないけど、例えば

オフィスを都心から離したら、その距離とか社員数に応じて助成金・もしくは法人税の優遇が得られる

というような政策が思いつきます。

 

例)1,000人が働く丸の内のオフィス(100万ポイント)を埼玉県久喜市(5万ポイント)に移した場合、1,000 × (100万-5万)=9億5千万ポイント

とか計算して、そのポイントに応じて助成か税制優遇を受ける。

 

そしてこれを、大阪とか、東京以外の大都市にも適応します。

 

なぜかというと?

都会の通勤ラッシュと長時間通勤はたくさんの日本人を疲れさせて、幸福度を下げてると常々思うからです。

政治家としては、日本人の幸福度を上げたいです。たくさんの働く人たちが元気になれば、幸福度が上がる、経済も伸びる。

 

この前一時帰国した時に、実家から都心まで朝通うことがあったのですが、やっぱり通勤大変。うちの実家が横浜で典型的な「首都圏に住んで片道2時間くらいの通勤」という感じで、大変。私はまだぎゅうぎゅうの中、立ってる元気はあるけれど、妊婦さんとか体弱い人とか高齢の方とか、本当に毎朝つらいと思います。

海外に日本から駐在している人と話す時、特に日本へ帰任直前だったりする場合、「日本に帰ったらまた満員電車つらいなー」という話題になるのがあるあるだったりします。

それでつらいから、やっぱりイライラしている人を朝からたくさん見たり、ちょっとしたことで喧嘩が始まってそれを見るのも嫌だし。

 

あと最近、目にするだけで気持ちが暗くなるからもう見たくないようなニュースですが、女性専用車両について。

女性専用車両男性差別だ、と言ってわざわざ乗り込み、乗っている女性とトラブルを起こして通勤ラッシュ中に電車を遅延させた人たちがいたとか。

lite-ra.com

 

「男性であるというだけで、痴漢を起こす人とみなしてある場所に入れなくさせるなんて何事だ!差別は許さない!」

みたいな主張をしている人がいるというツイッターやニュースの情報は、もう薄目になっちゃうくらい見たくないような話です。

 

でも目を背けずに反論するのなら、

「痴漢の被害件数は本当に多く、トラウマになっている人もたくさんいてその人たちが安心して乗れるための車両なんだから、『男性』という属性で差別しているわけではありません。また、女性専用車両に乗っている女性に対して主張するのではなく、本当に正式な苦情なら冷静に鉄道会社や議員さんに話したらどうでしょうか。」

ということなんだろうけど、そういう話が通じなさそうな気配です。

 

いずれにせよ本当に脱力するような嫌なニュースなんですが、でもどうしたらいいのかな、と考えれば考えるほどわからなくなります。

私個人的には、日本で通勤していたとして、女性専用車両がなかったら困るかなー、でも、昔学生の時とか痴漢に遭遇したことは少なくない回数あって、その後とかは本当に電車に乗るのが嫌だった。電車に乗ると嫌な思い出が蘇ってくるというのは本当にわかる。

#MeToo

 

もし私が女の子のお母さんで、その子が電車に乗らなきゃいけない場合、女性専用車両があったほうが安心だろうな、とかも思います。

 

同時に、既にストレス溜まっている通勤中の男性が、例えば階段降りたところから一番近い車両が女性専用車両で乗れない、いつも遠くまで歩かなきゃいけない、ということでさらにイライラしてしまうとかもあるのかな、と思います。(だからと言ってそれを女性に対する憎悪に結び付けるのは全く正当化できないですが)

 

あとなんとなく、これだけ混んでる通勤時間中に「男性は入れない場所」というのがあるのが、少し不自然というか、(そこまでしなきゃならないほどに痴漢犯罪が多いことの結果だけれど)残念。

 

じゃあ解決策はなんだろう、とそういうことを考えた時にも、やっぱり通勤電車に乗る人の数を減らすというのはかなり根本的に問題に働きかけると思います。

 

だから、この「通勤幸福度向上法案」(今決めた名前)が通過した際には、鉄道各社が「じゃあ電車の本数減らしましょう」としてはだめで、今よりはるかに乗車率が低くなるような本数で運行することも担保しなくてはなりません。鉄道会社は、地方の路線が活性化することになるし、毎朝のあの過酷な通勤ラッシュ時の運営労力も低減されるのだから、良い点悪い点のバランス取って、ぜひ協力していただきたいです。

 

 

起こりうる反論への回答

 

「毎日お客さんのとこに訪問しなきゃいけないんだから、遠くなると効率悪くなる!」

という声が聞こえてきそうですが、それを逆手に取って、対面でのミーティングは減らす方向へ。いろんなTV会議システム、スカイプあるのだし。でも本当に対面が必要な時、ここぞという時に会いに行ったら、その時の重要性・印象度・生産性は今までよりアップするのではないでしょうか。

移動が多すぎて、会社に戻ってきたらもう定時。残業が当たり前ー、というのがこれで減らせるきっかけになると思います。

逆に、個人向け営業で外回りばっかり、という仕事はそもそも地域で任されているだろうから、会社に来る回数を限定して基本的にそのエリアで活動して、社と連絡しなくてはいけないことはメールとスカイプで。

こうして移動を減らすことで、エコにもつながる施策です。

 

 

「今は世田谷に住んでるのに、会社が熊谷になっちゃって、どうしてくれるんだ!」

という声には、会社の移動によって通勤距離が〇〇km以上になってしまった人への引っ越し代金を会社が補助する。助成金から賄う。

逆に、会社に合わせて住む場所を移動したら、生活費(特に家賃)が安くなる可能性大です。無理に都心に住まなくても。

こんなに狭い日本で狭い都心にぎゅうぎゅうに住むよりも、少し郊外で大きめの家で車も保有して住む人が増えるほうが幸福度上がるような気もします。人口密度を薄く広く分散させるイメージ。

 

 

「客先との会食や、他社の友人と夜飲みに行きにくくなる!」

そうかもしれないけれど、今も飲んだ後に酔っ払いで満員電車に乗ることを考えたら、ちょっと距離あっても空いてる電車で帰れる場所で、早めに切り上げる会食にすればいいのではないでしょうか?

あと、その会食・接待は本当に必要なのか?ともう一呼吸置いて考えるきっかけにもなり、交際費削減につながるかも。そして、早く帰って家族と過ごしたり仕事以外の時間を楽しむ幅を広げたら、またそれも幸福度向上に繋がる気がします。

合コンするなら、その後の交際を考えても職場か家から近い人同士でやったほうがいいだろうし!?

 

 

 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

もしかしてこういうこと進めてる政治家の人っているのでしょうか?聞いたことないけれど・・・もしいたら、すごく応援したい。働いたお金で寄付もしたい。

 

まあ、こういう政策をやるにあたって実際にどのような現実的な課題があるかはよくわかってないのですが…とにかく、日本の働く人たちがもっと穏やかに幸せにいられる社会になるといいなあ、といつも思ってます。

 

 

夢の政策のお話でした。

中学生の時の話(バーバリーのマフラー)

私が中学生の時はバーバリーのマフラーが全盛期で、日本全国津々浦々で女子中高生があのチェックに魅了されたものです。

年末に日本に一時帰国していた時、高校の部活の友人たちと一泊温泉旅行に行って、夜にお酒飲みながらそんな話になりました。

なんでそういう流れになったかはわからないけれど、とにかくその印象的なチェックの話になり、ある子はそのマフラーをダイクマ(地元感満載の、知る人ぞ知るディスカウントストア)で手に入れた、とかいろいろ懐かしい話。

その話の途中、バーバリーにまつわる中学生時代のある思い出が急にふとよみがえりました。

 

🐤 🐤 🐤 

クラスの仲良かった友達の1人がバーバリーのマフラーを買ってもらって学校にしてきたのですが、たしか一週間もたたないうちに、ある日教室に置いておいたはずが無くなってしまったのです。 当時なかなか荒れていたうちの中学校では、物が盗られてしまうことが時々あって、バーバリーのマフラーみたいに特に良いものが標的となってしまいました。

せっかく買ってもらった大事なマフラーがなくなってしまって、その友達は泣いてしまい、私もなんと声をかけたらよいかわからず、悲しい気持ちに… 中学生からしたら特に高級品だし、ご両親になんて言ったらいいのかとか、悲しみが想像できます。

 

でもそれから数日たったある日の夜、いつもいろいろ問題を起こして目立っている「学校一のワル」みたいな人から突然電話がありました。

中学生なのに外で歩きタバコしながら登校しちゃうような子。

同じクラスではあったけれどそんなに話したこともなくて、普段何やってるのか全然わからないような人から電話があってちょっとびっくり。

(そして当時中学生で携帯なんか持っていなくて、家に電話というのがノスタルジック… )

 

それで電話の内容は、どうやら彼がそのマフラー盗難に関わっていたらしく、でもやっぱり返したいから、私経由で返してほしいとの話でした。 なんか想像だけど、その人自体が主犯だったというより、その仲間たちの中で何かめぼしいものを盗って売る(?)みたいなルートができてて(もしかして卒業生とかもからんで?)、その人も関わったのか、もしくはただ単に盗った人のことを知ってたのかな。

いずれにせよ、マフラーを盗られちゃった子が泣いてるのを目にして、返さなきゃ、と思ったんだと思います。 根っから悪い子じゃなかったし、その後大学生の時(?)、緩い同窓会みたいなので会った時に、やっぱり結構ちゃんとした人だったんだな、と思った記憶が。

 

話を中学時代に戻すと、 それで次の日、どこか物陰でマフラー返してもらって、私から友達に返しました。 その友達にはなんて言ったのかな・・・忘れちゃいましたが、でも言わなくてもなんとなくわかるとかだったのかも。

先生には特に言わなかった気がします。

 

というわけで、こんなことを高校の気の置けない仲間と夜も更ける中お酒を飲みつつ話しつつ思い出したんですが、その後数週間したある日、そのマフラーを返してきた男子からインスタのフォロー申請がきて、あはは、と思った流れでブログ書きました。

一回卒業後会った以外は一度も会ってなくてものすごい久しぶりなのになんの前触れもなく笑。しかしこちらからもフォローしたら一枚も写真アップしていないので結局近況わからずだけれど、元気なのかな。

 

中学時代は、子どもなりにいろいろとあった気がするけれど、みんな元気ですように。

 

ちなみに今回の帰国中には大人になってからまた会うようになった中学の友達、SちゃんとSくんと一緒にビアバーに行ったのも楽しかったです。

中学生の時は、大人になってこんな風に喋れるって思ってなかったな。

 

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 (その会でSちゃんが用意してくれたプレート。昔から変わらぬやさしさ♡)

 

 

日本に帰るといろいろなことを思い出します。

 

緩み、疲れ、無理しないこと

 

高校以来の友人と銀座でお茶している時に、

「日本でしたかったこととかある?」と聞かれた流れで

「日本にいると歩きスマホできるのがいいよね」

と言ったら、歩きスマホしている姿を写真に撮ってくれました。

 

後日、彼女が写真教室でそのことを説明したら、教室の人に

「彼女は日本では緩みを求めているんじゃないか?」

と言われたとのこと。

 

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Photo by Mari Hamano

 

 

まさに。

要はカメルーンにいた時は、ただでさえ目立つしお金を持っていると思われる外国人は、安全面に最新の注意を払わなければならず、ダラダラ歩きスマホするなんてもっての他。どうしても外でスマホ確認した時は周囲を見渡して安全そうなところで一瞬だけカバンから出して、さっと確認してカバンに戻す、ということが必要だったわけです。

だからそんなに気を使わないで歩きスマホできるのは、緩さの象徴。

 

※歩いている時は周囲に注意し、スマホに集中しすぎないようにしましょう。

 

。。。。。。。。。。。。。。。

 

ところで、しばらくしたらまたアフリカ生活なのですが、この一カ月は勤務先のNGOの日本事務所に平日毎日出勤しており、日本にいます。

 

日本だから、緩さを求めているものの、

 

なんかやけに疲れる…

 

職場ではまだ緊張もあり、学びの連続で「疲れた」なんてもちろん思わないけれど、夜とか土日とかぐったり。

新しい勤務先だとか、毎朝のちょっと遠めの通勤だとか、長引く時差ボケとか、そういうもので疲れているのかなと思うものの、なんとも力があと一歩出ませぬ。

 

カメルーンで、特に首都から離れてドゥアラという都市にいた時は基本一人でやることがあまりなく、日本に帰ったらあれもこれもやりたい、いろんな人に会いたい、と思っていたのに…

できたらまる一カ月くらい家の中にいたい。

 

そんな感じで、体力気力がなくなってきていてどうしたものかと思っていた時に、写真を通した「緩み」という言葉を聞いて、

あー日本に帰ってきて気が緩んだから、疲れがどっと出たのかな。

と思いました。

そういえば小さいころから、幼稚園や学校が休みになった途端に水疱瘡にかかったり、風邪ひいたりしたな。

 

あともう一つ、落ち着かないから疲れる、というのも大きいと思います。

次新たにウガンダで仕事するけれど、また初めての場所で、初めての人たちとどんな風になるかまだ想像できず、渡航準備や日用品の買い物、コツコツと荷造り等、日本にいるというか「一時帰国」という感じ。

 

カメルーンでも、首都ヤウンデとドゥアラを行ったり来たりで、そのたびに荷造りしていて、その直前も日本には三週間いただけで、その前はNYから全部の荷物持って大移動でした。だから、なんかずっと荷造りしている気がする… 

 

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NY生活二年目に買った大きな青いスーツケースもだいぶ味が出てきました。ちなみにこれ、大容量なのに軽くて丈夫で気に入っているから、今回もう一つ同じのを買いました。Samsonite のアスフィアというシリーズの一番大きいやつ。ギチギチすぎないように全体に詰めて、ちょうど23㎏くらい。今後はこれ二つ体制で移動します。

 

 

つまり、動き続けているから見えない所で疲れが溜まっているのかな、と思いました。友達とか会いたい人はたくさんいるし、本当はもっと土日とか夜とか外に出てアクティブに頑張りたいという気持ちもあって、

「私はもっとできるはず。前はできたし。それにせっかく日本に帰って来てるんだし」

と思ってしかるべき。

でももはやそういう考えで頑張るタイプでは no more ないので、休みます。

今一番重要なことは新しい職場にしっかり出勤して仕事を集中して身に着けることですし。 

 

なので連絡したいような人にもあえてこちらからがつがつ連絡していないけれど、みんなに会いたいのは事実で、何か会合がある時とかは一応声かけてもらえると嬉しいな、とか、人任せなコメント…

 

次はしばらく一つの所にいる予定だけれど、出張は多いし、やはりこういう仕事している以上「落ち着かない」のはつきものです。

こういうのが合っているのかどうかはまだよくわからず。

 

まあいずれにせよ、実際赴任したらアドレナリンが出るだろうし、仕事が忙しくなってきたら疲れていようがなんだろうが、頑張るのですが。

そんな時でも体調管理はプロとして大事で、無理し過ぎないという心がけは続けます。

 

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これ、ウガンダでのここぞという時用に買ってみた。効くかな。

 

 

最後に、写真を撮ってくれた友人もブログをやっていて、本当に素敵な写真と情報満載なのでぜひ覗いてみてください。

Mari Hamano Photography

 

 

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追伸:ちなみに、誰にも声かけられずに歩けるというのも日本で満喫しています。これは緩みに大きく関わります。

(参考記事)

2017年を振り返る5つのキーワード

 

2017年が気がついたら終わってしまっておりました。

例によって師も走る12月はバタバタしておりましたので、年明けてしまいましたが今振り返ります。

5つキーワードを選びました。

 

 

1.カメルーン

 

最近まで半年暮らしたカメルーン

半年暮らすということは、肌も体質もその土地にかなり適応するということだなあ、と日本に帰ってきて思ってます。

 カメルーンでは最初の方こそ、というか着いてから三か月くらい意味不明な肌荒れがゆるゆると続いたけれど、それを抜ければ肌の調子がわりとよかったのです。すごく湿気が多くて、あったかいからだと思います。だからカメルーンで過ごしていれば、皺ができにくいのでは、とすら思います。(大気汚染がひどいことはマイナス要素)

 

それが日本に帰ってきて、寒くて乾燥してて、早速顔に細かい小じわが…そして、大きな吹き出物も三つできました。日本の冬、厳しすぎます。というか日本の四季、厳しすぎます。こんなに気温が変わると、いくら服があってもそりゃあ足りないですよね。そしてあったかい国から帰ってくると、大量のヒートテックをどこにしまったのか、と探す羽目になる。部屋の収納は限られているのに見つからないミステリー。

(でも一昨年の夏に過ごしたカザフスタンの首都アスタナは、今マイナス30℃とかだそう。なのに短い夏の間はやっぱり30℃とかまでになるので、日本で文句言ってちゃいけないかも…)

 

同時に、寒暖の差がないカメルーンのような国では、一年中着るものが一緒。それだと季節感がないというか、「あの時ああいう格好だったなあ」といった、記憶と服装をむすびつける要素がなくて、なんだかいつの話だったか思い出しにくいというようなことがあると思います。

 

何が言いたいかというと、私は日本で生まれ育ったから日本の環境が一番合う、というわけでなく、半年も違う国にいたらその国の方に体が適応するのだな、そして環境が変わる度にまたしばらく適応期が必要なんだな、ということで、つまりこういう移動を繰り返しているとすぐ老けそう。

 

でも体の強さは今回も思い切り発揮して、一回だけお腹壊した(でも土日二日間寝てたら自然に治った)以外はずっと元気でした。食べ物もそこまで気を付けていたわけでなく、胃腸の強さを再確認。

予防接種も打ちまくってるから免疫力も抜群。

 

全然カメルーンでの生活ではないことを書きましたが、当地での生活はいくつかブログに書いたのでよかったらご覧ください。

 


 

2.KAIZEN

これも今年くりかえしくりかえし、累計 5,000回 口にした単語です。

この言葉を通して、ほんとうにたくさんのカメルーンの中小企業で働く社長さん、従業員さん達に会い、現場のリアルを学ぶことができました。

 

カイゼン、continuous improvement.

何事にも通ずる概念。人生だってカイゼンの連続。

私はこれからもカイゼンっ子です。

 

インターンの概要もブログに書きましたが、また機会があったらまとめ的なものをもうちょっと書きたいと思っています。

 

 

3.大学院卒業

ずっとカメルーンカイゼンのことに気を取られて、本人も忘れかけていましたが、実は今年の前半はまだアメリカにいたのでした。カメルーンと環境が違い過ぎて、ニューヨークの摩天楼は物理的にも心理的にもはるか彼方。

 

大学院は結構苦しくて、キャパのギリギリのところ(ややオーバーしていた)で頑張る日々だったので、(白髪も増えたし)5月に卒業できた時は本当に嬉しかったです。

 

5月下旬に卒業して、31日にニューヨークのアパートを引き払ってそのまま日本に帰国し、三週間だけ日本で過ごした後、すぐにカメルーンに発ちました。本当は、卒業してからもちょっとニューヨークで過ごしたかった気持ちもあり、後ろ髪引かれつつも…

 

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ところでこの水色のガウン、変な色だとみなさん思いますよね?

私も最初、幼稚園のスモックかな、と思ったのです。

でも今ではもうこの色以外ありえないと心から思ってしまう卒業生の一人。上品な水色だし。(コロンビアの人はみんなこれを言う)

 

 

4.ウガンダ

その大学院の最後の7カ月は、毎日ウガンダと言っていました。

うちの大学院で修論相当となるグループプロジェクトが、ウガンダでの「土地、コラプション、ジェンダー、ICT(情報通信テクノロジー)」 に関する調査・提言を行うものだったからです。

心血を注いだ集大成のこのプロジェクトに関しては、別途、下記リンク先の記事にまとめました。

 


そしてウガンダは大学院のみでなく、今後も重要な意味を持つ国になりそう!

 

 

5.フランス語

というわけで、今年は前半と後半でまったく違う一年だったわけですが、5つ目は何か前半と後半に共通するものにしよう…としばらく考えたところ、そういえばフランス語を継続して勉強した一年でした。

 

カメルーンでの半年間はもちろん、大学院の最後のセメスターでもフランス語の授業を取っていたからです。必修じゃないので別に履修しなくてもいいフランス語。余裕ない中でもリスクも考えたのですが(何せ、週三回授業がある)、やはりカメルーンに行くための準備としてちゃんと真剣に勉強したいと思って取りました。

 

語学は基本的には大学院の外で、学部生(つまり、20歳くらいのイケイケなコロンビア大学生)中心のクラスなのですが、たまたま同じ大学院で仲良しの台湾人の友達も同じクラスを取っていて、二人でアホな内容のフランス語作文を作ってクラスで発表したり、忙しいながらも楽しかったです。

 

と言いますか、フランス語は自分の学部生時代も第二外国語でやっていたので、実は10年以上(!)勉強歴があります。そのわりにはまだまだ。もっと頑張ろうと思えば頑張れたと思うのに、ちょっと後回しにしちゃったり怠けちゃったり。今後は仏語圏離れるのでまた継続が課題ですが、続けるということを来年の抱負の一つにしたいと思います。

 

というわけでみなさま、 

Bonne et heureuse année 2018!

今年も、皆さんにとって楽しく幸せなことがたくさんありますように。

コロンビア大学 SIPA:修論

 

 

本当はアメリカに大学院留学している間に、ブログに書き留めておきたいようなことがたくさんあったのですが、いつも崖っぷちで書けず。

後からでも徐々に書きたいな、と思っていて、今回は卒業プロジェクトで行ったウガンダでのリサーチについて書きます。

 

 【目次】 

 

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概要

タイトルには「修論」と書きましたが、実はコロンビア大学SIPA(School of International and Public Affairs)では、個人で書く修士論文ではなく、それに相当するものとして Capstone というグループプロジェクトを行います。

これは、おおまかにいうと、生徒たちがコンサルタントとなって、外部の組織のクライアントの為に提言等を行うものです。

 

※私は EPD (Economic and Political Development) の専攻で、この専攻のみCapstoneを EPD Workshop と言って少し区別しており、以下はEPDの内容です。

 

www.sipa.columbia.edu

 

まず最終学期の一つ前の学期(二年目の1セメスター目)に、Methods for Development Practice、という、導入の内容の授業を受けます。このように2セメスターに渡って行うのが、 EPD Workshop と他の Capstone の大きな違いです。

 

授業の前半では、開発分野の実務家になる為に必要なメソッド、例えばプロジェクト立案、課題認識、評価&モニタリング等についてグループワークを行いながら進めていきます。

そして半ばになると、来学期のEPD Workshop のプロジェクト一覧が発表されます。クライアントの名前からプロジェクトの内容まで、仕事のTORみたいです。

生徒はその中から自分の興味に沿ったプロジェクトを第5希望まで提出し、EPD専攻のダイレクター(兼、Methods for Development Practiceの授業の先生)が生徒の希望やこれまでの経歴、スキル等を考慮し、各プロジェクトへ割り当てます。

 

クライアントは、様々な開発機関、例えばUNDP、UNICEF、世銀といった国際機関、また大小様々なNGO等の機関が名を連ね、また対象地域も、アフリカ、アジア、ラテンアメリカと様々でした。

 

 

選考結果

私は幸運にも第一希望のプロジェクトに入れました。

クライアントはTransparency International という国際NPOで、

プロジェクト内容はウガンダにてICT (Information and Communication Technology) の活用がコラプション(特に土地セクター)とジェンダーに与える影響について調査・提言するプロジェクトです。

 

つまりキーワードは、この5つ。

 ウガンダ

 土地

 コラプション(腐敗)

 ジェンダー

 ICT

 

ウガンダでは、アフリカの他の国でも多々見られるのと同様に、政府のコラプション(腐敗、贈賄)が大きな問題となり国の発展を阻害しています。

また土地の取得にあたり、古くからの慣習法と国の法律が同時に存在している上、内容も複雑で一般の人にはわかりづらく、また政府が急に取り上げとりもするので数多くの問題が起きています。

さらに土地を買おうとするプロセスでも、村のリーダーや公的機関の職員から賄賂を求められることが横行しているし、土地関連で問題が起きたとしても警察が機能していなかったりします。

そしてその被害を女性がより強く被りやすいというのも問題です。なぜなら特に地方は父権的で女性の権利が限られており、また家事や子育ての負担をほぼ全て女性が負うことが通常である中、女性が財産を持って土地を買えるケースはほぼなく、結果戸籍の名前は夫の名前になり、離婚や死別の際には女性は土地の権利を持たないことが多いためです。

 

こうした状況に対して、テクノロジー(ICT)を用いて何ができるかをクライアントに提言するのがこのプロジェクトです。政府のデータをウェブ上で公開して透明性を向上したり、一般の人がスマホのアプリを利用して、賄賂を要求された等のケースを通報したりすることで、コラプションを減らしていこうという動きが世界中で活発になっています。

 

クライアントのTransparency International は、世界中でコラプションと戦っているNPOで、Corruption Index という国のコラプション度合いのランキングを発行していることで有名です。

(ちなみにこのランキングの2016年版で、世界1位はデンマーク、日本は20位、ウガンダは 151位でした。)


 

選考プロセスの性質上、仲良しグループで組むわけではないので、とはいえ何か月も一緒に行う重たいグループワークなので、実は入学する前からどんなチームになるか心配していました…

ご想像の通り、みんな忙しくてギリギリな中、7カ月くらい毎日のように協力しなくてはならない、卒業がかかったプロジェクトなので、うまくいかないチームは本当にうまくいかなくて、過去には図書館で殴り合いの喧嘩が起こったとかも聞きました。笑

 

そんな中、うちのグループは本当にラッキーなことに、一人一人のコミットが高くバランスもとれた良いチームになって、大学院でいろいろ辛いことはあったけれど、これだけは本当に神様ありがとう、と折に触れて感謝していました。ほんと、そうじゃなかったら心折れてた…

 

ちなみにEPD Workshop では他の専攻より比較的問題が少ないみたいで、EPDの人たちは「EPDを専攻するような人は(開発系で働くような人は)いい人が多いから問題が起きにくいんだよ」とか自画自賛していましたが笑、多分、他の専攻の人たちは他で自分たちに都合がいいこと言ってる…。SIPAでは、こういう専攻ごとの偏見ジョークみたいなのがよくあります。※SIPAの専攻一覧が気になる方は下記リンクご参照ください。

 

 

メンバー紹介

うちのチームのメンバー全6名を紹介します。

  • すごくしっかり者のアメリカン女子がプロジェクト・マネージャー。これまであった人の中でトップレベルの几帳面さでよく気が付いて、嫌な感じじゃなく細かくオーガナイズしてくれて、それでいて自分の意見を通すのではなく、周りの意見を聞いて進めるタイプのリーダーで本当に助かりました。ムキムキの婚約者あり。
  • UCLAの学部卒から直接SIPAに入った(23歳!)のアメリカン。私の方がずっと年上なのに、私よりはるかにしっかりしていて、細やかで、とても頭いい。家族がインド出身で、ボリウッドにも詳しい。
  • 唯一の男子もアメリカン。カリフォルニア出身で、ピースコー経験もありたくましい。絶妙なリラックスさと頭の良さと優しさで、いろいろ見習いたい人物。
  • いつも全力投球なドイツ女子。チームの中で唯一感情の起伏が激しいタイプで、でも本当に頑張り屋さん。結果いつも崖っぷちだけれど、パフォーマンス高い。
  • メキシカン女子。二人で組むこともよくあったし家も近所だから、一番よく一緒に話したかも。小柄でおしゃれなシティーガールだけど、テコンドーの達人。テキーラとはショットで飲むのではなく、良いモノを味わって飲むものだと教えてくれた人。
  • 私、コツコツやることだけが取り柄のBudget Officer。

 

 

リサーチ経過

グループが11月に出来上がってから、チームビルディング、各グループに一人つくアドバイザーの教授とのミーティング、クライアントとのやり取り、プロジェクト計画書の提出、予算の策定、現地でのインタビュー内容の精査、インタビュー先とのスケジュール調整等、ガンガン進めました。

これはもはや勉強というか仕事という感じです。自分の職務範囲に関する知識を深め、チームメンバーと話し合い、各々期日までに質の高いアウトプットをしていくという…

SIPAでの大学院生活は全般的に多かれ少なかれそういった性質があるのですが、EPD Workshop は特にそうです。

 

そしてチームの内2名が初期調査の為、1月に二週間ウガンダでフィールドワークを行いました。この最初のフィールドワークが今後のプロジェクトの方向性に関わる重要なものなので、チームとして成功させるために、私を含む残りのメンバーも各地からサポートします。つまり、冬休み中もSkypeミーティングを繰り返し、ロジを固め、インタビュー先へアポ取りし、文献を読む!読む!読む!ということをしました。

 

そこから年明けには中間発表をしたり、1月にしたインタビューの録音を手分けして文字起こししたり、3月のより大規模なフィールドワークの方針を固めたりしたりと、バタバタしながらあっというまに3月になりました。

 

 

ウガンダでのフィールドワーク

SIPAでは3月に一週間の春休みがあるので、その一週間にもう一週つなげて、二週間のフィールドワークをしました。1月に行かなかった残りの4人(私含む)が行きます。

 

主なミッションは下記二点です。

1)政府やNGOの人たちにインタビューして、ウガンダの土地のシステムやその問題、腐敗の有無と影響、ジェンダーに関する取り組み等を理解する

2)地方の村(中部1つ、北部3つ)に行き、村人たちへのフォーカスグループインタビューをして、彼らが土地関連で直面している問題、ICTの活用状況、ジェンダーによる違い等を理解する

 

基本二人一組で手分けして一日に複数のインタビューを行いました。最終的に、1月のフィールドワークと合わせて、インタビューは49人、フォーカスグループは15グループ(128人)行ったので、他のグループと比べてもすごく計画的に沢山できた結果となったと思います。

 

そしてもちろんとても疲れました。インタビューの原稿は既に準備してあるけれど、いろんな場所に行って、待って、説明して、話してメモ取って。

政府関連の皆さんはだいたい英語できるけれど、なれないアクセントに苦戦したりもしたし、村では現地語なので通訳の人を通すけど、時間がかかるし通訳の人もプロじゃないからあまりスムーズにいかなかったり。

インタビューはその後、文字起こしするために全て録音しているのですが、私が通訳さんに「今なんて言ったんですか?」「一文ずつちゃんと通訳してください」と何度も言ってる声も録音されています…

 

政府の人たちは、思ったより「コラプションが問題だ!」と言うけれど、実際あまりにコラプションが大きすぎて根深かったり。理論上「コラプションはだめだ」と言っていても、実際のところ本当にコラプション根絶しようとできているのか疑問だったり。

村人たちは、たいていとても貧しくて、父権的で女性は権利が限られて、コラプションのせいでお金がないと何事もうまく進められず…という。インタビューしていて、悲しい気持ちになったり怒りを感じることが多々ありました。

 

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最終レポート

内容については書き出すときりがないのですが、フィールドワークから戻って、5月頭までの間に議論と個人作業を積み重ねて、72ページの大作のレポートができました。文献リサーチやインタビューからの分析と、それを踏まえたクライアントの Transparency International への提言をまとめたレポートです。

ICTの活用にとどまらず、ウガンダでの関連法令の成立や政府職員・警察へのトレーニングへの働きかけ、また各種アドボカシーについての提言をしました。

 

ご興味あれば下記リンク先、Land Portal という土地関連のガバナンス向上の為の情報提供サイトに掲載されておりPDFでダウンロードできます。

 

 

最終プレゼン

最終レポートを提出すると共に、クライアントと大学院へのプレゼンをすることが最終成果物となります。

プレゼンは代表者数名でやるのがスムーズだろうという話になった時、じゃあ私がやることはないだろうな、と最初は思いました。

なぜならはっきり言って私の英語力はまだまだだし、あとのメンバーは英語ができるってだけでなく人前で喋るのが上手な人たちだから、わざわざ私がその代表になることはないな、と思ったわけです。

 

でも週一回のアドバイザーの教授も参加するミーティングの時に、教授が

「もしこの中に、プレゼンに苦手意識がある人がいるなら、これはまたとない機会だから、そういう人こそ進んでやるべき」

とおっしゃいました。

 

その時私は「私のことだな…」と思ったし、たぶんみんなも私のことだと思ったと思います。

 

私もせっかくの機会だから挑戦したい気持ちはあるし、ただ一方で、これまでずっと質にこだわってこだわって頑張ってきたプロジェクト。最後の大事な場面でも最高のアウトプットを出すためには、他の人がやったほうが全体のためになるのではないか…と思い、立候補していいものか悩みました。

 

でも結局、立候補とかじゃなくて、なんだか自然な流れで私とメキシコ人のメンバーの二人でやることが決まりました。まわりでやんわりとそういう風に持って行ってくれた感じがあります。(アメリカ人三人はレポートの最後の文法チェックやるし、ドイツ人の子はレポートのデザインを整えるから、じゃあプレゼンは二人でやってね、みたいな感じで。)

私がプレゼン自信ないのを知っていて、それでちゃんと信頼して任せてくれたことに感謝。そしてその責任を背負って、がんばらなければ。

 

ということで、パワポもヴィジュアルに気を使いながら準備し、みんなの意見を聞きながら何度も練習し、発表当日の朝までリハーサルをして、無事プレゼンを終えることができました。すごく緊張したけれど、落ち着いて、メモをあんまり見ないで喋ることができたと思います。

学校でプレゼンを見る機会が多くて、パワポを含め魅せ方を学ぶ機会が多数あったけれど、これが集大成という感じ。

 

パワポの例)

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終わった後、校舎の外に出たらパリッとした快晴で、まだ5月にもなってないのにすごく暑くて、学校のキャンパスの中の木々の鮮やかな緑色をまぶしく感じながら歩いた時の「やったぞ!」という気持ちを今も覚えています。

 

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おわりに

こんなに長文だけれど、まだまだ書ききれないことだらけの、とても濃密な7カ月のプロジェクトでした。

本当にこれができてよかったと思うし、教授やチームメイト達に心から感謝しています。

グループワークの中で日々学んで、自分のパワーアップも感じられたし、テーマの部分、特にコラプションとジェンダーについては、理論的な背景知識も身に着けさらに関心を持つようになりました。

しかも、来年からの仕事の面接時にこの経験をアピールしたことが大きかった気がするので、間接的にキャリアにも繋がったと思います。

大学院生活の最後に、大変だけど良い経験でき、大きな達成感がありました。

カメルーン生活:ドゥアラの中華街、そして Lost in Translation


少し前に珍しくお腹を壊したので、よくなった後、いきなりがっつりカメルーン料理ではなく、優しいものが食べたい気持ち。

 

今はドゥアラで(再び)ホテル生活なのでお粥とか自炊できず。

外食で少し故郷の味に近いもの、そう、中華料理屋さんでスープとか~

と思って、ちょっとした中華街に行きました。

 

ここは、現地の人が中国文化を楽しむ、みたいな横浜中華街的なノリではなく、中国人の皆さんが現地向けのビジネスをしている場所で、中華食材とかでなく、日用品等のお店が軒をつらねています。

たぶんここで現地の商人さん達が珍しいものを仕入れ、路上に行って売る、という感じです。

中国人 vs カメルーン人で殴り合いの喧嘩をしていたりと、一筋縄ではいかないこの環境でもたくましくビジネスをされているのが見て取れます(?)

 

※もし実際に行かれる方がいる場合(いなさそう)

  ⇒ Finex Voyage とか、中距離バスの発着点がたくさんある Boulevard du President Ahmadou Ahidjo という通りです

 

 

このあたりにある、入口がとても怪しげな中華料理屋さんに犬にすごく吠えられながら入りました。

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大通り向きに大きな看板があるけれど入口はなく、その脇の細い道に入るとこの看板があります。

 

入ってみると中身完全に中国で、仏語も英語もほぼ通じず。

 

完全に「なんで来た?」と思われたと思うけれど、やさしいお店のお母さんが頑張ってGoogle 翻訳で会話をしてくれようとし、心が和みました。

でも日本語のGoogle 翻訳ってうまくいかないのですよね。(英仏でGoogle 翻訳かけるとすごくうまくいって、なんか切ないですよね・・・)

 

とにもかくにも、おいしい餃子スープにありつけました。

 

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やさしい味

 

 

 

 こういう時、"Lost in Translation" という映画のタイトルが頭に浮かぶ

 

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‪ところで Lost in Translation というタイトルって結局どういう意味なのかよくわからない、と前からよく思っていて、

たぶん I’m lost in translation ということで

「通訳(が必要な場所)の中で自分の居場所がわからない状態」みたいなことかな、

と勝手に思っていたのです。

 

でも実は、

主語は “I” ではなくて、

Some words are lost in translation.

‪(これは、日英で直訳できない言葉の違いや、通訳の人のスキルによって言いたいこと&言われたことすべてが通訳されるわけでなくとりこぼしがある、という意味で)

 

と同時に、

Some feelings are lost in translation (even if it’s a same language).

(これは、主人公たちが心に持っているモヤモヤを、たとえ母国語であってもはっきりとは伝えられずいくつかの言葉が宙ぶらりんになる、という意味で)

 

ということなんじゃ!と、餃子スープ食べながら悟りました。

それで調べてみたら、やはり前者が Lost in Translationの一般的な使われ方なんですね。

 

こういう風に突然気づくこと、ありますよね。

 

 

Lost in Translationについては、アメリカにいた時に、アメリカ男子3人に(それぞれ別の場所で)立て続けにこの映画の話をされたことがあって、それまで観たことなかったけれどさすがに観てみて、そして実は私はそんなに感銘を受けなかった…

 

でも、日本に行ってスカーレット・ヨハンソンと仲良くなれる、って話はアメリカ男子の心に響くというのはそりゃあとても理解できます。

 

私だって、男女逆だったら(例えば、主人公が日本人のおばさんで、アメリカに行って坂口健太郎と心を通わす映画だったら)惹かれるよね。(惹かれるかな)

 

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お店に猫がいました

 

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二回目行った時、隣に座ってくれた

 

 

ロスト・イン・トランスレーション [DVD]

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カメルーン生活:お札がくさい

 

カメルーンでは、CFA(セーファフラン)という通貨を使っていて、中部アフリカ六カ国(カメルーン中央アフリカコンゴ共和国赤道ギニアガボン、チャド)で共通の通貨です。

1EUR=655.957FCFAの固定レートなので、100cfa = 20円くらいと計算しています。

  

カラフルでかわいいお札なのですが、 日本やアメリカでは絶対に見ないような汚いお札によく出会います。

もちろん匂う!

 

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3メートルくらい離れていても、風下にいればプーンと匂ってきます。

 

六カ国共通だから、国境を越えてはるばる旅してきているお札もあるわけで。

いろいろな人の汗と涙とホコリと土と、その他いろいろなもの・・・

上の写真並みに汚いの(今私のお財布に入っている)を触った後は、とても手を洗いたい感じです。

 

Twitter上記の写真を載せた反応:

 

たしかに!笑

ちなみにこの内藤さんがTwitterで更新しているアフリカ漫画を読むのが最近の日課になっており、すごくおもしろいのでおすすめです。 

 

#汚いお札選手権 へのエントリーもお待ちしています。

 

 

あと悩ましい(?) のが、両替所や、事務所から活動費等を頂く時は一番大きいお札の単位、10,000 cfa の単位で受け取るのですが(そうでないとすごい札束になってしまうし)、街中で10,000 cfa を受け取ってもらえないケースがたくさんあることです。

 

道端の食堂とか、タクシーの運転手さんに10,000 cfa 渡しても、まずお釣りがないと言われます。

日本だと、10,000円札崩すために数百円の買い物したりするの全然OKですが、ここだとそういうわけにもいかず…

 

タクシーに毎日乗って1,000とか2,000 cfa を頻繁に使うので、細かいお札を常に持っておくことが重要なミッションとなり、レストランや大きめのスーパーでは必ず10,000 cfa を出してお釣りをもらいます。

なのに、スーパーでたまたま会計が9,800 cfa とかになると「うあああ!」と残念。(1,000 cfa 札や2,000 cfa 札がほしかった・・・)

 

一方、例えば7,000 cfa のお釣りを 1,000 cfa × 7枚でくれたりすると、

Merci! Merci beaucoup! (大変ありがとうございます!)

という(こんなことで)一喜一憂っぷり。

 

お店で崩してください、と頼んでも普通してくれないのですよね。

だから、現地の人も細かいお札には困ることが多うのですが、商店の人とかタクシー運ちゃんとか、それぞれご近所同士で助け合って補っている感じです。

 

一日に5,000 cfa (約1,000円)も使わない人がたくさんいるのだろうから、

「なんで10,000 cfa (約2,000円)のお釣りすらもらえないのか!」

なんて怒ってはだめですね。

 

日々のコツコツ細かいお札をためる活動が重要です。

 

 

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カメルーン布で作ってもらったお財布も薄汚れてきた…でもかわいいお気に入り (^.^)

 

【読書】 米川正子 「あやつられる難民――政府、国連、NGOのはざまで」

難民問題、大学院の専門とはちょっと違うけど勉強しなきゃと思っており、この本を読むことにしました。

 

あやつられる難民 ──政府、国連、NGOのはざまで (ちくま新書)

あやつられる難民 ──政府、国連、NGOのはざまで (ちくま新書)

 

 

タイトルの通り、難民が政府や国連、NGOの大きな政策・流れの中で「あやつられる」立場となり、自分の意思とは違うところで運命が決まっていってしまう、ということがよくわかりました。今の世界をとりまく難民政策と国際機関・政府・NGOの役割に対して強く警鐘を鳴らす、読み応えのある本です。

 

一方で、現在の体制への批判的な見方とのことなので、読んだら気が重くなるかな、と思いながら読み始めはしたのですが、そういう心構えがあってもやっぱり批判がとても大きいということに驚きました。

 

例えば、

残念ながら、UNHCR職員の多くは、難民保護より自身のキャリア(昇進とサバイバル)を重視していることは事実だ。

という指摘。

ただそういう要素はUNHCRに限らず国連、というかNGO等含めこの業界(他の業界も?)には沢山あると思うけれど、一人一人が結局のところ

「自分が使命としてやること・社会に貢献するつもりでやること」と

「キャリアを構築すること」

のバランスを取り、自分の中で一番のバランスの部分を探りながら仕事しているのだと思うので、「多くの人がキャリアの方を重視」という言い方は乱暴では、と思ったんですが、こういう記述が頻発し、著者によるとそれは「難民を利用してキャリアを構築する」とのことでした。

 

あと、UNHCRの高官が現場出張する時のことについて。

そういう出張は難民問題を肌で理解し現場の関係者とやりとりすることが目的なのに、一方で

UNHCRの現地代表や本部の地域担当者などのキャリアが評価される場でもある。なので、現地代表らはなるべく都合の悪いことを隠すようにベストを尽くす

と書かれていて、あー、そういうことはきっとあるのだろうな、という気持ちと、逆に言うとそれはどこの組織でも(民間セクターでも)多かれ少なかれそういった側面はあるのだろうな、ということです。

それを前提として、例えば私の友達の難民の勉強してきた人たちがそういう現場に行って、そんなに自己防衛ばかりするとは思えません。むしろ志を持って働いている人は(それが何割くらいを占めるのか、私には結局はわからないのだけれど、そんなに悲観的じゃない)、そういう状況でその場の難民の状況の大変さをがんばって伝えるのではないかと思いました。

 

 

これらに限らず本全体にわたって批判が多すぎて逆に中立性を欠いているのでは、

という思いから、途中から少し内容の本筋に集中できないことが度々ありました。

 

同時にもちろん、いろんな場面で志をくじかされることに沢山直面してきた米川先生だから言えることが多々あるのはわかるし、もしかしたらここにも書ききれないもっとひどいこともあるのかもしれないし、現場で前線で活躍してきたから見える非常に重要な指摘が沢山あるのだと思います。

今の日本でここまで難民の現場に深く切り込める人は他にあまりいないのかもしれません。中立的な研究者の立場だから、ここまで厳しく言えるのだと。

また、これまでご自身が携わってきたこと(主にUNHCRの仕事)についてかなり自分に厳しく反省している姿勢も、なかなかできるものではないと思いました。人にも自分にも厳しいのが徹底されていることに頭が下がります。

 

難民支援の現場で働いている他の人の意見を聞いてみたくなりました。

また、難民について学ぶのに良い本・論文があったらぜひおすすめしてほしいです。

【読書】 伊藤詩織 「Black Box」

伊藤詩織さんによる、元TBS記者の山口敬之氏から受けた強姦被害の前後についてと、

こういったことが「どう起こらないようにするか」

「起こってしまった場合、どうしたら助けを得ることができるのか」

を語った手記、Black Boxを読みました。

 

Black Box (文春e-book)

Black Box (文春e-book)

 

 

著者の伊藤詩織さんは、2015年4月に元TBS記者の山口敬之氏からレイプ被害を受け、警察に告訴し、準強姦容疑で捜査されたものの嫌疑不十分で不起訴処分に。今年5月に検察審査会に不服の申し立てをしましたが、9月に「不起訴相当」の議決が出たところでした。

詩織さんは、警察が「よくあることで捜査するのは難しい」となかなか被害届を出させてくれなかったこと等から、「警察にも検察にもたくさんのブラックボックスがあることがわかった」とのコメントをしました。

 


 

普段お酒に強い詩織さんが、意識を失うはずのない酒量で意識を失い完全に記憶が抜け落ちるという状況から、デートレイプドラッグを盛られたのではないかという疑念があります。 

 

詩織さんを糾弾する目的で冤罪だ、という人がいたり、中にはハニートラップとか美人局だとか言う人もいるそうです。

でももし仮にデートレイプドラッグ使ってなかったとしたって、お酒飲んで意識ない人に勝手に性交渉を強いたらレイプ以外の何物でもない。

(状況からそういう風には考えにくいけど、)百歩譲って自分で沢山飲んで泥酔したとしても、誰からも「レイプされていい」理由にはなりえません。

 

いずれにせよ、このような公表することは詩織さんにとって、つらく苦しく恥ずかしいことだらけであり、しかも昔からの夢であったジャーナリストの仕事を日本ですることが困難になるリスクにも直面しながら、詩織さんは顔と名前と共に公表しました。

このように真実を求め正義の為に信じられないような勇気を出したその彼女を更に叩こうとする人たちがいることにひどく悲しくなります。 

 

政権批判と密接に繋がりすぎてしまった 

さらに、この件、政治的なポジションから詩織さんを一生懸命叩く人たちがいるのも気になりました。

なぜなら山口氏が安倍総理に近いところにいて、安倍総理の「御用記者」と呼ばれているような立場の人だから。

 

でも、詩織さん自身は別に政権批判とか本の中でもしていない。

周りに勝手に現政権批判の構図を形作られて、そのせいで問題なことに、詩織さんを擁護することが政権批判とごっちゃになって必要以上に政治的な話になってしまう。

もちろんそういう要素はあるのかもしれないし(逮捕直前まで行ったのに警察の「上からストップがかかった」せいで取りやめになったこととか)、政治と繋げる人の考え方も人それぞれだし、司法の機能に何か後ろ暗そうなところがある部分は徹底的に究明が必要だと思うけれど、

 

なんとなく

 

詩織さんを応援する人=政権批判

逆に

現政権を一生懸命応援したい人⇒詩織さんを叩く

 

となっているせいで、普通にレイプ被害を受けた人の側に立つことがそれ以上のイデオロギーを帯びてしまうおかしな雰囲気があるような。

 

何が言いたいかというと、レイプ被害を受けた人を応援するというのは普通のことなのに、なんとなく政権に楯突きたくない人にとっては自重するような力が目に見えないレベルで働いているとしたらすごくおかしなことだ、ということです。

 

そしてそれが、メディアもそういうとこありそう、と思って暗くなるのです。

 

いずれにせよ、繰り返すけれど、この本を読むと詩織さんの目的は政権批判ではないとわかります。

司法の在り方と、おそらくメディアの在り方にも疑問は投げられてると思うけれど、必要以上に政治的なポジションを述べる為の道具にしたのは、完全に詩織さんとは関係ない人たちなんだとわかりました。

 

「未来について」の本 

話は変わって、 他に読んでて思ったのは、

山口氏がこれまでの社会生活を送ってきた過程で、彼の周りの人は、この人がそういう人だとわかる言動・エピソードを持っている人がいると思うんだけれど、でも誰も声を上げないなあ、ということ。

 

こういうこと言うと「冤罪の可能性は考えないのか!」とまた言われそうだけれど、

事実だけで考えたとして、

  • 一人で歩けない状態の女性(しかもタクシーの運転手の証言では何度も「駅で降ろしてください」と言った)を病院じゃなくてホテルに連れ込んだ(防犯カメラの映像)
  • その上で避妊具無しで、無意識の間(ここは山口氏は否定)に性交渉した
  • 後日、詩織さんが無意識の時に嘔吐したことを指して「ゲロ」という言葉を必要以上に連発する下品で相手を貶めるメールを送った(メールが証拠。そしてホテルのハウスキーパーの日誌に、部屋に吐しゃ物に対する特別な清掃をしていないという記録が残っている。)

 

というようなことをする人柄であることを、「うんうん、そうだよね」と思う人は身近にいたんじゃないかと思うけれど、それを口に出して詩織さんの側に立つ人がいない。そいうこと含め、本当に無念だな、と思います。

 

この事件は今後進展するのだろうか。すごく暗い気持ちになります。

 

同時に、「はじめに」にあるように、

 

私が本当に話したいのは、「起こったこと」そのものではない。

「どう起こらないようにするか」

「起こってしまった場合、どうしたら助けを得ることができるのか」

という未来の話である。それを話すために、あえて「過去に起こったこと」を話しているだけなのだ。 

 

と、この本は未来についての本。

 

今回いろいろと無念なことが多いけれど、事件後から警察への相談~逮捕状~不起訴まで、彼女が体験した不条理さ、セカンドレイプ、感じたつらさ、恥ずかしさ、絶望がこの本を通して社会に共有されたことの意義は計り知れないと思います。 

 

考えたくないけれど、もしも本件がこのまま闇に葬られたとしても、この本は日本の性犯罪に対する深刻な状況を改善する足がかかりとなる、大きなステップだと思います。

 

例えば、詩織さんが深い後悔をしながら綴っている、被害後すぐの行動のこと。

 

詩織さんが最初に行った先は婦人科だったけれど、開業医の婦人科にレイプキットが置いてあることはまずなく、レイプとデートレイプドラッグの両方の検査を行うには、救急外来に行くべきとのこと。それでドラッグが盛られていたか、すぐに検査してわかれば、かなりの証拠になるはず。

 

とはいえ被害にあったらものすごい混乱状態になるから、警察に届ける等の判断はすぐにはできないものだけれど、この点、本の中でも紹介されているように、例えばスウェーデンではレイプ緊急センターという24時間365日レイプ不会社を受け入れるセンターセンターがあり、被害者はまずはここで検査や治療、カウンセリングを受けられるとのこと。レイプきっとによる検査は被害後10日間まで可能で、結果は六カ月保管。そして被害者は、一連の処置の後に警察へ届を出すかどうか考えることができるそう。

「この制度のおかげで事件に事件に遭った人は、すぐに警察に行かなかった自分を責めたり、どうしてすぐに警察に届け出なかったのかと周囲から攻められたり、これおでは何もできないと当局から突き放されたりしなくて済む。」

とのこと。

 

あと、加害者のDNAが付着している可能性のある衣服はすぐに洗わないことも重要。

 

こうしたことを、きっと小・中・高・大の学校の場で教育される、ということも重要だと個人的に思いました。

もちろん、男女共に対象に。

  

男性も被害に遭うケースは沢山あるし(そしてその大部分が闇に葬られているのでは)、最近は House of Cards のケビン・スペンシーが男の子の子役にセクハラした件も大きく報道されました。


 同時に、どうしても様々な理由から女性の方が被害を受けやすい状況にあること、そして一度受けた被害が人生に及ぼす、あまりにも大きい打撃のこと、男女共に知っておくことが大切だと思いました。

 

キャリア構築の努力への裏切り 

あとまた少し話変わりますが、キャリア構築途上の人間として、一歩一歩ステップアップしていきたいとの気持ちから、キャリアの相談をしたことに付け込んで利用されたこともとても腹立たしく思います。

事件当日に会ったのも、TBSワシントン支局のプロデューサーのポストを検討できるとメールで発言し、その具体的な話を進めようとするような流れからだったようですが、その前後の状況を見ても、山口氏が本気で仕事のポストを本気でアレンジしようとしていたのか、できたのか強く疑問に感じます。 

こうした流れから、詩織さんが「キャリアの為に利用しようとした」とか「コネで仕事取ろうと色仕掛け図々しい」などと批判する人もいるみたいですが、最初に詩織さんが山口氏に聞いたのはインターンのポストだし、そういうことをネットワーキングで知り合った人に伺う、というのは王道の方法(私もこの方法で、インターンを獲得したことがあります)、特にアメリカという要素も加わり言わずもがな、と思います。

それを逆手に取って、必死でキャリア構築しようとしている人の気持ちをズタズタに踏みにじる行為は果てしなく卑劣だと、やるせない気持ちになりました。

 

世の男性への言われなき中傷

 

Amazon のレビューや Twitter での意見を読んでいると、たまに

「男性と二人で飲みに行ったんだから、そこから先は自己責任」

みたいなのを目にします。

なんてことだろうか・・・

 

キャリアの相談を受け、それに親身に対応してくれる人の大多数は、性別問わず、それを利用して人に性的暴行を働こうなんて思っていないはずです。

私や私の友人たちがキャリアの相談、またそれに限らず一緒に飲食を共にした尊敬すべき先輩たちがみんな、男性であるというだけで「一緒に飲みに行った女性が、本来『気を付ければならない』相手である」なんて決めつける発言は、失礼極まりないことだと思います。

こういう批判をする人が社会にいるという事実が、今後キャリアの為に誰かに相談しようとする若者や、またその相談を受けたいと連絡を受けた男性の行動を制限するものに決してなってほしくない、と思います。

 

ウェブ上の匿名の意見にあまりイライラする意味はないとはわかっているものの、そういう発言をする人は、これまでの社会生活でどういう人間関係を築いてきたのかな、と思わずにはいられません。

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 

 

とりとめもなく書いたけれど、まだまだ書ききれない重要なポイントが沢山あります。

  • 警察の取り調べで、「よくあることだから立件が難しい」と言われたり、示談を進められる
  • 取り調べや法廷でのセカンドレイプの問題
  • レイプ事件の大部分を占めるのは、顔見知りの犯行
  • 被害者は、おとなしくて泣いていて怒っていて弱いという「被害者らしい」イメージを求められる
  • 被害者は「死ぬ気で抵抗する」ことも求められがちだけれど、多くの被害者は被害の最中に体が動かなくなる擬死症状が出る
  • 「Noと言わなければNoではない」ではなく、「Yesがなければ同意ではない」という社会に対する教育が必要
  • メディアの報道の公正さ。報道自粛の真相

等々

 

衝撃を受け、深い怒りと悲しみを感じるので読むのはつらいけれど、

著者の勇気に答えるために、明日の日本の安全のために、

多くの人に読んでほしいと思いました。

 

 

(後日記)

日本の大手メディアでの報道が十分でないと指摘されている中、2017年12月29日、ニューヨークタイムス紙に踏み込んだ記事が掲載されました。

www.nytimes.com

カメルーン生活:お米プロジェクト体験

普段はカイゼンっ子の私ですが(詳細 ‟カメルーンでのインターン”)

一週間だけ、カメルーンでJICAが行っているお米のプロジェクト(PRODERIP:コメ振興プロジェクト)に体験入学する機会を頂き、とても興味深い体験をしました。

 

 

陸稲の衝撃

一日目は、エボロアという地域で支援している農家の視察に同行しました。

カメルーンでJICAは、我々日本人がよく知っている水稲(水田での稲作)ではなく、陸稲(土に植える稲作)での技術支援を行っています。

なので稲が土から生えている様子を初めて見て、これまでの「稲は水田に生えるもの」という常識が覆されました。

 

整然と並んでいてきれいだなあ、と思ったのですが、専門家の方によると、育ち方が均等じゃないとのこと。

 

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言われてみると、高さが違います

 

これだと、稲穂が実る時期に差が出てしまうので(稲穂が収穫に一番適した状態であるのは約二週間しかない)、収穫が難しくなってしまうとのことでした。

 

また、日当で雇われて雑草を抜いている人たちがいました。

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暑い中せっせと

 

さすが、雨が多くて晴れる時は思い切って晴れる、熱帯気候のカメルーン

雑草の育ちっぷりもなんともすばらしいのです。

でも稲にとっては栄養が吸い取られる問題になるので、抜かざるを得ません。

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ぐんぐん育つ雑草、放っておくと稲を追い越してしまいそう

 

また、鳥がお米を狙ってくる被害が大きいので、その対策の為の人を立てたり、虫対策もしたり、肥料も適切なタイミングで撒く等と、いろいろと手間をかけておいしいお米が育つようです。

 

もちろん、稲を畑で管理するのはプロジェクトの一部で、種子の改良から農機具の使い方まで、JICA専門家の方々が稲作普及の為に心血を注いで行っている活動は専門的で多岐に亘ります。

 

 

ジャングル内の稲作の衝撃

次の日からは、マケネネという地域への一泊二日のミッションに同行しました。

 

稲作を行っている場所、10箇所以上に農業省のカウンターパートの案内で行くのですが、その場所の把握っぷりが驚きです。

なんでもない道路のなんの標識もないところで突然止まり、そのわき道からグネグネ道なき道を草をかき分けて進み、この先で本当に稲作をしているのか?と思ったところで、突然稲を育てている場所に行きつく・・・まさに人間GPSです。

 

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道なき道をゆく

 

普段、カメルーンのみなさんは歩くのがゆっくりだな、と思っていたのですが(というか東京やニューヨークが速すぎ?)、ジャングルの中ではとっても速い。

坂道でも身体能力の差をありありと見せつけられ、必死についていきます。

 

そうこうしている間に、お米の畑(つまり田んぼなのですが、なんとなく「畑」という言葉の方が合いそう)が、時にジャングルの中に出現します。

 

沢山の他の植物や野菜の中に稲が生えてる、みたいな畑もあり、これまでの稲作の概念が変わりました。

 

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トウモロコシやトマトと同じ場所から稲が生えている

 

一応、雨季が二回あるとはされているものの、そこまではっきりとした季節ではないので、同じ時期でも種をまいた時期次第で多様な生育状況が一度に見られます。

 

そんなわけで中には綺麗に育ちもうすぐ収穫、という畑もあり、例の句が頭をよぎります。

 

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実るほど 頭を垂れる 稲穂かな

 

 

各地域にて、このプロジェクトでトレーニングした地元の稲作普及員が日々の管理・監督をしているのですが、やはり日本人専門家が現地に来るとなると農家の皆さんは張り切り(?)、沢山の畑に案内してくれ、本当に沢山歩きました。

 

疲れたけれど、普段ヤウンデやドゥアラで排気ガスと大気汚染の空気の中にいるので、綺麗な空気をいっぱい吸えて良かったです。

(歩き方と服の選択の下手さにより、草で傷だらけになったのが反省)

 

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地元の農家のみなさんと

 

 

カカオ体験

そして、この地域では、稲作の周りにカカオの木を大量に見ました。

初めて木になっているカカオを見た時はとても興奮!

うわー、こういうふうになるのかー

(しかしその後、もう風景の一部と化してしまうくらい大量のカカオに遭遇したのでした…)

 

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木にゴロゴロなっている

 

 

農家の方の一人が、果実を割って食べさせてくださいました。

この中身の果肉をカカオ農家の方は収穫しながらしゃぶる、というのを他の方のFacebookで見てから、いつか試してみたい、と思っていた念願が叶いました。

 

甘酸っぱくて爽やかなヨーグルトのような味。

すごく好きな味で、しかもなんだか元気が出ます。

スプーンですくってモリモリ食べたいけれど、種の周りに薄くついているだけなのでしゃぶるのみです。 

 

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収穫しまとめておいてあるカカオと、それを割った中身

 

 

たゆまぬ研究と発展

最終日は、首都ヤウンデにある、稲作の試験と研究を行っている場所に連れて行って頂きました。

 

その前の数日間で、農地をたくさん見学し、たくさんのワイルドな衝撃を受けたのですが、ここでは非常に細やかな研究の一端を垣間見ました。

 

例えば、鳥に食べられるのを防ぐネットに囲まれた田んぼの中に、種まきの時期をずらした1m×1mくらいのゾーンを並べ、

発芽したて→葉が長く少しずつなる→花が咲く→お米ができてくる→収穫期

をそれぞれ一カ所で見られる場所があります。

 

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もう収穫できるゾーンのすぐ手前に、数日前に種を植えたばっかりゾーン、というように隣り合っている

これにより、各地域の農家を指導する現地の普及員がここで研修を受ける際に、

「こういう状態の時に」

  • 肥料をまく
  • 鳥追いをする
  • 収穫する

等を目で見て学ぶことができます。

素人には全然わからないから、実物を見せてもらうと一目瞭然ですね。

 

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まだ若い稲の中に入っている、お米の前身たち。これがどんどん伸びて膨らんで立派なお米になります。

 

 

その他にも、それぞれの品種による生育状態を、普段、研究所で雇っている人が葉の長さ等を図ってデータを取っています。

そのデータにつき、JICAの専門家がデータが飛びぬけて変なところがないか、ちゃんと測れているかを抜き打ちテスト(?)し、データの信頼性を確保しています。

  

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「あー、合っているなあ」と言いながら長さを図る S専門家

 

 

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稲と物差しを横に並べて写真も撮ります

 

こうした日々の努力が、お米の質を向上させ、生産量を増やし、稲作普及の為の人材を多数育成し、お米生産農家を支えているということがよくわかりました。

 

カメルーンではお米の消費量は高いのに(たいていのカメルーン食で、お米を付け合わせに選べます)、大半がアジアからの輸入だそうです。

質の良いお米を自給できる力をつけ、さらなる食の安全保障の向上と、より豊かな食卓を達成するために、プロジェクトと農家の努力は続きます。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

一週間だけで何も役に立たないのに、快く体験入学を受け入れてくださりいろいろ教えてくださったPRODERIPのプロジェクトの皆様に、この場を借りて改めてお礼申し上げます。

【読書】 前野ウルド浩太郎 「バッタを倒しにアフリカへ」

「人類を救う為、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げたし等の日々を綴った一冊」

 

という紹介を読んだだけでおもしろいし、やっぱりすごくおもしろかった本です。

  

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 

今、初めての地カメルーンで、特にドゥアラでは周りに日本人がいない状態で日々アウェー経験をしているせいもあり、異文化の場所で奮闘するこういう本にとても惹かれます。

 

(もともとそういう「アウェーで頑張る」シリーズが好きなので、今も昔も変わらぬ愛読書は、夏目漱石坊っちゃん」です。アウェーでも変わらぬ無鉄砲っぷりにスカッと。失礼すぎる言い回しにゲラゲラ。故郷に残る老人、清への想いにホロリ。)

 

モーリタニアの砂漠と、カメルーンの熱帯の気候では環境は違えど、ついつい色々と重ねて共感しながら読みました。

 

例えば、ドライバーであり頼れる相棒のティジャニさんという人がよく出てくるのですが、私もカメルーンで頼もしい同僚にお世話になっていることと重ねたり。

 

(スパゲティを大量に茹ですぎるクセがある) ティジャニさんは実は、組織から給料をもらっているのに著者からも二重で給料をもらっていたという悪さも後から発覚したのでそういう点でこちらの同僚とは違うけれど…

 

でもこんなアウェーな場所で、現地をよく知りバイタリティに溢れる力強い相棒を得られるというのは何物にも代えがたく、読みながら「ティジャニさんがいてよかった」と何度も思ったのでした。

 

そして、著者の熱意と使命感が素晴らしい。

バッタ研究所の所長が、多くの研究者はアフリカに来たがらないけれど論文ばかり増えていく、という話をため息交じりに著者に向かって言った時の、返答の言葉

 

「誰か一人くらい人生をささげて本気で研究しなければ、バッタ問題はいつまで経っても解決されないと思います。私はその一人になるつもりです。私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私は実験室の研究者たちにリアルを届けたいのです。アフリカを救いたいのです。私がこうしてアフリカに来たのは、きわめて自然なことなのです。」

 

ちょっとうるっとしました。

 

そして、博士号を取ったのにその後夢だった昆虫博士として食べていくのは非常に狭き門で、世の中「末は博士か大臣か」ともてはやされた時代とはもう程遠い、という話もこの本のもう一つの重要なテーマだと思います。

著者は、きっと持ち前のユーモアさとイノベイティブさで人との差をつけて前進しているけれど、やはり博士号取ったからと言ってそれで社会に貢献する前に、仕事がない、という苦悩は多くのポスドクが味わっているようです。

研究費削減や日本の大学のパワーが下がることで、ノーベル賞を日本はいずれ取れなくなる、という記事をこの前も見たけれど、博士になる能力とやる気がある人が夢を持てて、活躍できる社会でないといけないなあ、と(博士号を頑張って取るガッツはそもそもない私の一般人の意見として)思います。

  

とにかく勇気をもらう本。

分野が違っても、「何か自分を元気づける本がほしい 」と思うような時、自己啓発本や「成功者の秘訣」みたいな本を取ろうとしているあなたに、ぜひ今回はこちらを!とおすすめしたい本です。

【読書】 中満泉 「危機の現場に立つ」

 

今をときめく先人の自伝を読んでインスパイアされようと、中満泉さんの本を読みました。

 

危機の現場に立つ

危機の現場に立つ

 

 

最近発売された本で、著書の中満泉さんは、2017年5月に国連の軍縮担当事務次長に就任。事務総長、副事務総長に次ぐポストで、現在国連で働く日本人トップです。

個人的に、NY在住中に国連の皆さんとお話する際によくお名前を聞いた有名人だし、ちょうど私もNYにいる時にご昇進されたりと、何かとお名前を目にする機会があります。

また、NYの国連でインターンしていた際に、一度だけたまたま行った会議で中満さんがお話されているのを目にしましたが、強く上品なオーラを目の当たりにできました。

 

そして本を読んで、やっぱりすごい、どんな自己啓発本にも勝るパワーをもらいました。

中満さんが(それを直接的には書かないものの)とんでもなく頭がキレる上にコミュニケーション能力が高いこと、さらに仕事をする上で多数の素晴らしい人に出会ってきたことが読み取れます。またご自身が現在素晴らしい上司・妻・母であることが想像に難くありません。

プレッシャーもすごく辛い状況も多々あって、普通の人だったら嫌になってしまったりストレスに押しつぶされたりしてもおかしくないのに、常に前へ前へと進まれ続けたことで、国連で今の位置まで上り詰められた中満さん。

そのおかげで、多数の日本人(にとどまらず、世界中の女性・男性)は中満さんというロールモデルを心に思い描けるのです。

 

 

いろいろと印象に残るエピソード満載なのですが、特に心に残った3点について紹介します。

 

1.人道支援と開発

私が個人的に関心の高い、開発と人道支援のはざまのあたりのことに関連して興味深かった点です。

ずっとUNHCRやPKOといった人権・安全保障系だったのに、ヘレン・クラーク総裁(当時)からの引き抜きでUNDPに移った時の話がありました。

当時のUNDPは長期的な視点で開発を進める組織である分、いろいろと活動が遅いという印象があったりと、中満さんにとってはあまり働きたいと思わない組織だったとのこと。ただ、クラーク総裁が改革として「危機対応局」を新設し、開発機関として「危機」にも対応する組織にならなければならないという考えを持っていることに共感したこと、そして

「今日の紛争はなかなか終わらず、状況が安定するのを待ってから中・長期的な復興と開発支援に取り組む、という従来のアプローチは機能しなくなってしまった」

と考えたこと、によりUNDPへの異動を決心したそうです。

そうして着任してから、UNDPが危機に対応する際に「これはUNDPが必ずやってくれる」という分野(例えばUNHCRなら難民、UNICEFなら子ども、というような)を明らかにすることで人道支援機関やPKOミッションから信頼されるパートナーになるようにする必要性を感じた結果、その分野を「緊急生計支援」と「行政機構の緊急復興」として打ち出したとのことです。

 

なるほど。危機対応の状況において「ここは何ができます!」というのが必要なんだな、そういうのでパワーバランスが生まれるんだな、と納得しました。

 

 

2.教授の視点から

また、 一橋大学の大学院で教授をされた経験から、学問として様々な事象を分析して体系化・概念化することの重要性、そのための理論研究を重視しなければならないとの点も納得しました。 

国際関係論や国際政治などの理論研究にも興味を持つように(中略)。学問の中で理論研究はとても重要なことであると思っています。一見関連性のないさまざまな事象を分析して体系化・概念化し、整理して理解するためのツールが理論だからです。

いろいろなところで仕事をしてみて、国際機関でも仕事のできる人は、この概念化作業に長け、雑多な事象を体系的に捉え、一見なんの関連もないところでの教訓をほかのところでうまく応用できる人だと感じています。(中略)ですから、若い学生たちが理論研究を軽んじて、分析力を身につける以前にともかく現場へ、という風潮には若干疑問を持っています。 

  

なるほど。大学院で国際関係学を勉強したけれどまだ全然足りていないし、学問は日進月歩なので今後も勉強し続けなければ。「現場の人間だから」と割り切らないで、国際関係学をずっと学んでいこうと思いました。

 

 

3.日本について

国際社会で長年働き、でも日本人としてのアイデンティティも持っている中満さんが、日本について心配に思うことに書かれていた部分が、私がいつもモヤモヤと思いながらもうまく言語化できていなかった分、とても共感ので一段落抜粋します。

 

一方で、規律を尊ぶ私たちの社会は、時として柔軟性に欠けることにもなりかねません。規則を守ることは大切なことですが、物事の本質を見きわめて柔軟に対応することも、変化を重ねる世界では不可欠ですし、時には規則そのものを見直す必要があるかもしれません。いろいろな事態を想定して丁寧に準備を重ね、マニュアルを完備することは役に立つことも確かですが、同時に「想定できない」事態に対応する能力を育てることも大切なことです。「出る杭は打つ」のではなく、さらに活躍できるように応援するべきでしょう。また和を尊ぶ私たちの気質は、「長い物には巻かれろ」という諺のように、何か間違ったことが起こっている時であっても、声を上げてそれは間違っている、と指摘して変えていくことを私たちにためらわせることにもなりかねません。昔の日本が間違った戦争に突き進んでしまった背景には、みなが「長い物に巻かれてしまった」こともあったのだと思います。

 

私が個人的にも「日本人的で」ルールを守るのに固執して柔軟性に欠ける部分を直さなきゃ、と思っているのと、そして国としても日本社会が「長い物に巻かれ」やすくて、おかしなことを是正しにくい空気があり、しかもその傾向がどんどん強くなっているのことを心配しているので、とても共感しました。

中満さんのように海外生活がかなり長くてライフパートナーも外国の方で、という立場でも、やはり日本のことは憂うしよりよくなってほしいという願いがあるということ。世界レベルのリーダーがそうあることを心強く思うし、私も見習って常に日本のことも考えていきたい、と思いました。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

以上挙げた3つは、個人的に心に特に残った部分ですが、もちろん中満さんのキャリアの始めの頃のあたりや、旧ユーゴスラビアでの奮闘等、読んでいて顔が真っ青になるような話、私ももう少しがんばらねば、と思うような文章が満載です。

 

分野を問わず同年代の皆さんすべてにおすすめしたい本です。

 

【読書】 クリストファー・マクドゥーガル 「Born to Run」(訳:近藤隆文)

未知の世界で活躍する人のすごさに触れ、圧倒されながら、私もがんばらねば、と思わされる本を読みました。 

 

BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”

BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”

 

 

メキシコの奥地でサンダルだけで一日中駆け回るタラウマラ族と、険しい山の中や砂漠を走る信じられないようなウルトラランナー達のエピソードを通し、人類は走る為に生きていることを説くドキュメンタリーです。 

 

この本読んだら走りたくなるかな、と思ったけれど、やっぱり走り慣れていない私には(そして多分私だけじゃなくて)、この本に出てくる人たちのクレイジーさがすごく際立って真似できない!と思いました。

 

本当に、畏敬の念を込めた、クレイジーさ。

何が人をそこまで走らせるのか。ああ、それはBorn to Run だからなのか、と自然と考えさせられる本です。

 

例えば、

 

レッドウィル・トレイル100で、160kmの山道をタイヤのゴムを足の形に合わせて切って紐で足にくくりつけたサンダルで一位で完走するとか(タラウマラ族の一人、ビクトリアーノ)

 

平均気温52℃の砂漠で行われる、バッドウォーター・ウルトラマラソン200㎞以上を24時間36分で走り優勝するとか(本の中心的人物の一人、スコット)

 

ううう、つらそう。寿命が縮まりそう。

 

よって走りたいとは結局思わなかったのですが(笑)、大自然の中に行きたい、という気持ちはすごく強く持ちました。息を切らせながら山登りしたい。

 

そういえばこれ系の勇気をもらう本としては、植村直己さんの自伝も圧倒的でした。

これらも繰り返し読むかなりの愛読書なので、また機会があれば。

 

青春を山に賭けて

青春を山に賭けて

 

 

エベレストを越えて (文春文庫)

エベレストを越えて (文春文庫)