FGM(女性器切除)は文化か。だとすると外部がとやかく言っていいのか、についての考察。

 

FGM(Female Genital Mutilation: 女性器切除)は、「完全な女性になるには必要」といった古くから続く信念に基づき行われていていて、やらないとそのコミュニティの中で居場所がなくなったり、家族が恥をかいたりという社会的プレッシャーがあったりする。

 

そういう、そのコミュニティでは当たり前で「伝統」といえる行為に、外部から「それは悪だ」と言っていいのかという話は常にあり、そういう批判には、私たちみたいな援助業界の人々はすごく敏感で謙虚でいなければいけないと思う。

西欧諸国がアフリカを「野蛮」扱いして思い通りにしようとしたのが植民地時代だったので、それを引きずっては決していけないし、私たちの「植民地支配の論理だ」と思われたら終わりという感じもする。

 

先日のブログで紹介した伊藤詩織さんの映像の後編で、FGMの施術を今も行っている側の施術師の女性が、取材に対して「おまえらはよそ者なんだ」と言っていたけれど、自分たちが先祖代々行ってきて、必要だと信じていることを「変えろ」と外部から言われるのに怒りを感じるのもわかる。

 


 

 

Saida Hodzic という文化人類学者が、The Twilight of Cutting: African Activism and Life After NGOs” という本を書いていて、その中でFGMは害悪だ、という考え方に異を唱え、その「価値ある慣習」を終えさせたガーナで何が起こったか考察している。

 

本の紹介記事

 

私は最初の章しか読んでないのだけれど(最初の章はここから読める)、植民地時代に入植者からFGMが問題視された経緯等が書かれていて、

本全体としてはFGMは価値あるものだとして、FGMを禁ずることのネガティブな点として下記のようなことを挙げているそう。

  • 禁じて取り締まると、特に難民認定の時とかに、FGMをされたことが「本国で迫害された」の証明になるという背景から、女性の性器をチェックするという流れが広がる可能性がある
  • NGO等が地方で行っているFGM反対の活動は、地元住民を「非難し、恥をかかせている」
  • 既存の慣習を否定することで、自分たちを「文明化」していると感じたい地元住民がFGM根絶推進派になる。

※ただ、ガーナのある地域の研究に基づいているから、すごく多様なFGMの他のケース(もっと大きく体を傷つけるような)には当てはまらないことも多そうという前提で。

 

文化人類学者は、やはりその土地に密着して取材して、時にはその人たちと同じ生活をして、文化を否定的に捉えることなく観察するイメージ。

一方、開発の仕事は現地に何か「変化」をもたらす前提があるから、時には文化・慣習に踏み込むことだってあるという点で、実は文化人類学と開発援助は根本的に相容れない部分があるのだろうな、と気づいた。

 

 

※文化人類学の中でもいろいろなアプローチがあり、例えば文化人類学者が地域社会の専門家として開発援助に関わるような、開発人類学といった分野もあるそうだけれど。下記の論文の第二章「文化人類学の潮流と開発援助」を読んでみたらおもしろかった。

 

 

 

いずれにせよ、文化・伝統なのだとしたら、外部がとやかく言うのには慎重にならないといけないという前提で、その上でFGMは、守るべき文化なのか、という話なのだけれど、やっぱり違うと多くの組織・国連・政府が言っているし、私もそう思う。

 

 

根拠は、

1.人権侵害である

そのコミュニティ内にいると、ほとんど選択の余地なく、健康的な体の一部を傷つけられる(または切り取られる)。

その結果、出血多量や、不衛生な施術による細菌感染によって亡くなったり、そうでなくても生涯残る身体的・心的トラウマが残ったり、出産のときにひどい合併症に苦しめられ母子ともに危険に晒されたりする。

こうした甚大な実害は、「でも伝統だからしょうがない」で済ますには、深刻すぎる。「子どもは親は選べない」にしろ、後天的に体を傷つけるというような、その気になれば避けられる被害は避けてほしい。

 

 

2.法律で禁止されている

もちろん、FGMを問題視する動きがあって、そこから罰則化へのアドボカシーがなされた結果の法律制定だから、法律ありき、でなくこれはFGMに対する非難の帰結なのだけれど、NGO等がFGM撲滅に向けて活動する根拠においてこれは大きい。

 

法律で禁止していない国もあるけれど、罰則化の流れは強くあって、その前提にはUNICEF等の国際機関がFGMは人権侵害だと明言していたり、SDGs の Goal 5、Target 3 でもFGMの撲滅が目標にされている。

5.3

Eliminate all harmful practices, such as child, early and forced marriage and female genital mutilation

 5.3.1
 Proportion of women aged 20-24 years who were married or in a union before age 15 and before age 18
 5.3.2
 Proportion of girls and women aged 15-49 years who have undergone female genital mutilation/cutting, by age
 

 

 

 

長くなったけれど、結論を言うと、「文化か?」という問いに関しては

「文化なのかもしれないけれど、その弊害が度を超えて大きく、女の子・女性のみに極めて不平等な形で負担を押し付けている点で、文化という前に『人権侵害』であることが先にくる行為で、かつ直接的・間接的に社会の不平等に貢献している行為で、許容できない」

というのが私の今のところの答えだと思った。

 

 

…そしてFGMについて語る時、もう一つ浮かび上がる疑問、

「男子の割礼はいいのか?」

についても、またこんど、いろいろ考えて別途ブログポストしたいと思う。

 

おわり

 

 

The Twilight of Cutting: African Activism and Life after NGOs (English Edition)

The Twilight of Cutting: African Activism and Life after NGOs (English Edition)