【読書】 植本一子 「かなわない」「家族最後の日」「降伏の記録」
ある時「かなわない」のレビューを何かで読んで、ふむ、とポチって読み始めたら、三部作一気に読んでしまった、どっぷりつかってしまった読書体験。
植本一子さんという同年代の写真家の、日々の気持ち、行動、揺れ動きをすごく間近で見させてもらっているような、友達でもないのに。という読書。すごく個人的なことがかかれているけれど、ひとりよがりでも独善的でもない確固たる文章力で、読むのが止められない。
普通の精神状態(ってなんだ)でなんかいられないよね、そしてそういう時期があってもいいよね、と思える。
二つ目の「家族最後の日」で、母と絶縁(一生なのかはわからないけれど)したことが書かれている。
それについて三つ目の「降伏の記録」で、ある時植本さんが人と話している時、それまでの母との経緯とかがあまり書いてないからどうして絶縁までしなきゃいけなかったのかについていろいろ聞かれて、消耗したというエピソードがあった。
その聞いてきた人にその日の夜に「しばらく会わない」ってメールした植本さんはやっぱり自分が傷つく気持ちにも真面目で正直な人だと思ったのだけど、夫のECDさんにそれを話した時に言われた、
「わからないことをわからないままにできない人がいるんだよね。わからないままにしておくっていう態度が、その人を尊重するってことになるのに」
という言葉がとても響いた。
私も白黒はっきり知りたくて、いろんな人にいろんなことを根掘り葉掘り聞いちゃうことがあったから申し訳なかったな、などと反省した。人に説明したいことばかりじゃないし、言葉にしたらその瞬間妙に言い訳がましくなったりするし、いろんなことに振れ幅があって、それでいいんだ、って思える人間関係が良い。
結局は人間関係のこと、ありとあらゆる選択、さびしさ、かなしみ、よろこび、そういうものはすべて極めて個人的なことでうまく説明できなくて当たり前。(同時に、それでも人は人にわかってもらいたいことがたくさんあるから、書くし話すし、伝わらないと寂しく感じたりするのだけれど。)
一作目と三作目にたくさん出てくる、植本さんの気持ちがどうにもならない時に相談する相手の「先生」の言葉で一つ、どうにも心に残ったものを抜粋。
「子どもの世話が辛いのはちゃんと理由があるんですよ。嫉妬なんです。あなたが子どもの頃一人ぼっちでさみしい思いをしていたのに、自分の子どもはちゃんとかまってもらえている。しかもあなたは過去の自分のことをほとんど思い出すこともなく、その深すぎる孤独に気がついてくれませんでした。中の子にしてみたらこんな理不尽で残酷なことはありませんよね。だからあなたは子どもを可愛がってあげたいのに可愛がるほど辛くなるんです。お前はいいよな~!って。そんな複雑な心もちょっと自覚してみてください。」
(『かなわない』(植本一子 著)より)
これは一つ、そういうこともあるだろうなあと納得したのだけれど、同時に、この「先生」はよく話を聞いて良いアドバイスをしてくれるものの、専門の心理カウンセラーでもないわりに言い切りが多いというか。それでいて植本さんの求める答えを(厳しいのも含めて)与えるのが得意で、もっともらしくて、そういう「先生」の言うことに飲み込まれ過ぎるのは危険じゃないかと勝手に心配してしまうのもこの本の読書体験と切って切り離せないことかも。
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筆者の文章は静かで、内省的で、暗い悲しい気持ちの描写も多いのだけれど、同時にとても外交的。友達たくさんいるし、常に何かしていて、フットワーク軽くて。疲れてたり体調悪いなら家で休んでもよいのに、毎日忙しい中用事を入れて、人に会い、何かしている。誰かと接することでエネルギーをどんどん貯められるタイプの人なのだろうな。それでも孤独な気持ちはあって。
内省的であることと、内向的であることは一致せず、外向的であることと、孤独でないということもまた一致しないのだな、と当たり前のようなことなのだけれど気づけた。
いろいろ出てくる献立の描写も健康的でおいしそう。生きるというのは食べ物を、(子どもがいるとさらに際立って、)考えては、作っては、食べる、のくりかえしなんだな。
三部作をじっくり読んでいろいろ考える時間良いものだった。
終