【読書】 佐久間裕美子「My Little New York Times」

 

NY在住ライターの佐久間裕美子さんが2017年7月5日から365日書き続けた日記がまとめられている本。

2017年と言うと、その年の頭にトランプ大統領が就任したので、その後の激動のアメリカの暗かったり、不安だったり、でも変わらないところとかも、とても興味深く読んだ。

 

My Little New York Times

My Little New York Times

 

 

 

Kindle版はないので日本に帰った時に買ったのだけれど、手に取ってみるとこれはたしかに紙で持つのが素敵な本だな、という手触り。新聞みたいなレイアウトで、ぎっしり文字が詰まっているから見た目の厚さよりもさらに長く楽しめるお得感(?)も。

私はベッドサイドに置いて、いつも寝る前に何日か分(日記なので)を読んで、寝るという楽しい日課ができた。

 

それにしてもトピックが幅広く、あらゆることへの考察がすごいし、これを365日分続けられているのがすごい。そして交友関係の広さとフットワークの軽さがすごい。毎日出かけてなにかされている様子。日々生きている世界から受け取ることの情報量が普通の人の何倍もあるのだろうな。そういう方の書くものはやはり当然濃くておもしろい。

 

そしてその幅広さの中でも、やはりトランプ就任で揺さぶられるニューヨーカーをはじめとしたアメリカで生活する人々、その変わりゆく風景が描かれていて。政治やその影響のことを考えるととても暗くなってしまうのだろうけれど、その中で力強くというか、政府がああなったことでより重要性が増している政府以外の存在、つまり市民社会、消費者、ジャーナリズム、ライターの役割、みたいなことに希望を感じさせられる内容だった。

 

 

私も垣間見たNY

私も2017年の半ばまで、2年間だけNYにいたので、この時期を本当にほんのちょっとだけれど垣間見た気がしていて、やはり特殊な雰囲気だった。

 

本当にトランプ大統領に決まっちゃった時のことはよく覚えていて、まさかそんなことことになるとは思っていなかったのがあれよあれよと選挙結果のアメリカ地図が赤く(共和党の色に)染まっていくのを見て、

「え?本当にアメリカはトランプを選ぶの?」と心臓がどくどくしている間に、本当にそうなってしまった。

「え?アメリカ?」となった。

青ざめているアメリカ人のルームメイトと、

「なんて言ったらいいかわからない…」と言い合ったのが思い出される。

 

 

その後、大学院留学先のキャンパス内もざわざわして、みんなが何か言わなければいけない、傍観していてはいけない、という雰囲気だったように思う。

教授がクラスルームで「胸に抱えていることやつらいことがあったら話し合おう。一人で抱え込まずに、この難しい時をみんなで乗り切ろう」みたいなこと言ったり。 

 

1月に早速ムスリムが多い国からの入国が制限されたりして、当時のTwitterを見返したらこんな投稿してた。

 

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そしてキャンパス内ではたくさんの集会が行われた。

いてもたってもいられない、寒さも合わさって、大学全体が灰色の時期だったように思う。

ニュースでトランプの声聞くと心底落ち込む、って声をよく聞いた。

 

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#MeToo が広まったのも、2017年の後半からだったのだな。

 

 

 

本全体から学んだこと

話がそれたけれど本の内容に戻って。

とにかく多岐にわたる内容の中で、

生活の根本的な部分を思い切り見直して、変えていくアクション(一時的にでも)が多いことにインスパイアされた。

大量消費にNoと言い、なるべく個人経営の店を利用、服は友達が作るものかヴィンテージ、Fashion Activism、肉を食べない、マリファナの取材、アート、とか。

 

よりよい社会について日々考えられていることが一つ一つの行動に表されるかっこよさよ。

長年やってきたことを変えるのは勇気がいるけれど、私も漫然と日常生活を過ごすのではなくて、普段の普通の行動をもっと見直していきたいと思った。住む場所が違えば行動も変わるので、同じことをするわけではないけれど、より社会によい方法で、エシカルで、健康的で、思い入れのあるものを、って軸を持ってたらいいかなと。ああいう政権下で気持ちがくじかれる時であっても、イチ消費者個人としてそれをやるかやらないかで差がでてくる気がする。というか個人がより信念を持つことが重要なんだろうな。こんな時こそ。

 

各記事に関連するQRコードがついているので、興味あるとそこから深堀りできたり、いろんな本やNetflixの番組も紹介されているからさらにそこから広げられるのもおもしろかった。すごい情報量だ。またしばらくしたらもう一回読もう。

 

 

佐久間裕美子さん

著者の佐久間さんのことを最初に知ったのはたしかこの対談。

 「『裕美にもそのうちいい人ができるよ』と言われたりすることに、イラついていたことがあるの。でも、最近それも、自分の選択を良かったと思いたいという気持ちや、インセキュリティの現れ方のひとつかもなって思うようになった。」という部分で特に興味を持った。どうしたらそういう風に思えるようになったのか。

 

 

それでもっと読みたいと思って、「ピンヒールははかない」を読んでみて、そしたらすごく惹かれて、3回読んで、毎回違うことを考えさせられ、

 

ピンヒールははかない (幻冬舎単行本)

ピンヒールははかない (幻冬舎単行本)

 

続編よみたいです 

 

 

最新刊の「真面目にマリファナの話をしよう」も読んで、

真面目にマリファナの話をしよう (文春e-book)

真面目にマリファナの話をしよう (文春e-book)

 

 真面目な本。歴史、現在、これから。

 

 

これが3冊目。

 

 

若林恵さんとのポッドキャストもとてもおもしろい。  

こんにちは未来 〜テックはいいから

こんにちは未来 〜テックはいいから

  • 佐久間 裕美子 + 若林 恵
  • 個人ジャーナル
  • ¥0

配信されたら即聴く番組のひとつ

 

 

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「私はそっちじゃない」ってわざわざ言うのやめませんか

 

フェミニズムっぽい話の時に、

  私はフェミニズムの強硬論者じゃないけど…

  強い言葉で女性の権利を主張するのは好きじゃないけど…

  男女の断絶をつくりたいわけじゃないけど…

  男性と闘いたいわけじゃないけど…

  フェミニズムを勉強したわけじゃないからわからないけど…

 

もはやむしろ

  私はフェミニストとかじゃないけれど…

 

って前置きする人が世の中たくさんいるように見受けられるけれど、(ほんとうによく見る)

 

でも、そういうこと言うのやめませんか?

という話。 

 

 

理由

 

1.まず、わかってる。

「あーはいはい、わかります。」となる。常にそういうことばっかり言ってるのではない、って言いたい気持ちはわかるけれど、常にそういうこと言っているのではないことは言われなくてもわかる。

たとえばフェミニズムの第一人者とかだったとしても、別に常にそういうこと言ってるわけではないと思う。

 

 

2.「そんなこと言ったら痛い人と思わそう」

という気持ち、わかる。

でも、そういう言い訳をすると、フェミニズムを主張する人が「痛い人」という前提を助長している気がしませんか?

「フェミニズム」という言葉に反射的に悪い気持ちを持つ人が実際にいるけれど、それは

①意見を異にする相手を叩きたい人がいるから

②歴史的に反感を買うようなかたちのフェミニストがいたから

という背景がある。一方で、フェミニストという言葉自体自体はもっと本来の意味でとらえられるべき。

そして①については、何か主張する時に反対意見の人が叩くのは当たり前で、むしろそれに引っ張られていたら既得権益を守りたい人の思うつぼだし、②は、どんな社会運動も、歴史的な流れ・分岐はあって、イデオロギーを同じにする人がすべて同じ意見・アプローチ方法でないというのは古今東西共有の話で、乗り越えなくてはいけない。

あと、「私はフェミニストじゃない」と言っちゃうのはダサいとも思います。

 

 

3.「男性に嫌われたくない」

という気持ちもわかる。でも、男性を見くびっちゃいけない。

あなたの周りの本当に大事な友人・パートナー・家族の男性たちは、フェミニズムの話をしなかったとしても大切な人々だろうし、したとしてもそれ以外にも話すことがたくさんあるから良い関係性を築いているのだろうし、そういう人たちに本当に嫌な思いをしたこと・不利益を被ったこと(それが女性であることが理由でなかったとしても)を説明したら「嫌われる」のであれば、本当にその人に理解してもらいたいか?という。

「声高に権利を求めている」人みたいになると男性に嫌われるのを心配する気持ちもわかるけれど、じゃあ、声を小さくしたらいいのか?社会で女性の権利が制限されていることのそもそもの根底に、「女性は大声で主張せず、よく気が付き、サポート役が合っている」という価値観の押し付けがあるのに、それを覆そうとする時に自分にあてがわれたステレオタイプに固執してどうするのか?

国連気候変動サミットでのグレタさんのスピーチの件でも顕著だったけれど、「女・子ども」が何かを主張した時、その言い方や怒りに触れて、「俺の気に食わない言い方で言うな」という相手に、お行儀よく丁寧に話すことで何か変わるだろうか?

 

 

4.逆の立場への忖度は不要

私もそうだったし、女性はみんな多かれ少なかれ経験があると思うのだけれど、なんとなく、差別する側の肩を持ってしまうこと間を取り持とうとしてしまうことはよく陥る罠だと思う。

大企業の総合職採用、明らかに男性の方が多いけれど「女性は妊娠出産があるからね」とか、

共働きなのに女性の家事の負担が多いことについて、「男性の方が出世のプレッシャーがあるからね」とか、

もっとひどければ、性被害に遭った女性の服装を非難するとか。

とういうのを女性がやっちゃうケースってとてもある。近くにいる男性に気に入られるために。

 

男性が男性の役割やプレッシャーから解放されることは本当に大切で、男性だからと言って何かを押し付けられる社会でなくなってほしいけれど、そこを主張する主役は男性。女性が性差によって直面している不都合について変えようとするのは女性。これは対立でも何でもなく、自分の権利を自分で守るという当然のことをしているだけ、ということをまず前提に置いたらいいと思う。

 

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[画像:THE DAILY ILLINI "Feminism needs to be intersectional

https://dailyillini.com/opinions/2019/04/10/feminism-needs-to-be-intersectional/ ]

 

 

 

まとめ

何かを主張する時、その反対の立場にも思いを馳せることはとても大事だと思う。 

 

そして私たちが意見を言うのは、繰り返すけれど、断絶を深めたいわけじゃない。かつ嫌な気持ちを持たれたら話聞いてもらえなくなることなんて、みんなこれまでの経験で知っている。

 

ただ、優しく、柔らかく、笑顔で、嫌われないように、相手を立てながら主張して、何か変わるかな?

 

自分が大切と思うことを、条件つけて説明する必要ないと思う。

私はそう思います。

 

 

 

男も女もみんなフェミニストでなきゃ

男も女もみんなフェミニストでなきゃ

 

 


We should all be feminists | Chimamanda Ngozi Adichie | TEDxEuston

 

FGM(女性器切除)は文化か。だとすると外部がとやかく言っていいのか、についての考察。

 

FGM(Female Genital Mutilation: 女性器切除)は、「完全な女性になるには必要」といった古くから続く信念に基づき行われていていて、やらないとそのコミュニティの中で居場所がなくなったり、家族が恥をかいたりという社会的プレッシャーがあったりする。

 

そういう、そのコミュニティでは当たり前で「伝統」といえる行為に、外部から「それは悪だ」と言っていいのかという話は常にあり、そういう批判には、私たちみたいな援助業界の人々はすごく敏感で謙虚でいなければいけないと思う。

西欧諸国がアフリカを「野蛮」扱いして思い通りにしようとしたのが植民地時代だったので、それを引きずっては決していけないし、私たちの「植民地支配の論理だ」と思われたら終わりという感じもする。

 

先日のブログで紹介した伊藤詩織さんの映像の後編で、FGMの施術を今も行っている側の施術師の女性が、取材に対して「おまえらはよそ者なんだ」と言っていたけれど、自分たちが先祖代々行ってきて、必要だと信じていることを「変えろ」と外部から言われるのに怒りを感じるのもわかる。

 


 

 

Saida Hodzic という文化人類学者が、The Twilight of Cutting: African Activism and Life After NGOs” という本を書いていて、その中でFGMは害悪だ、という考え方に異を唱え、その「価値ある慣習」を終えさせたガーナで何が起こったか考察している。

 

本の紹介記事

 

私は最初の章しか読んでないのだけれど(最初の章はここから読める)、植民地時代に入植者からFGMが問題視された経緯等が書かれていて、

本全体としてはFGMは価値あるものだとして、FGMを禁ずることのネガティブな点として下記のようなことを挙げているそう。

  • 禁じて取り締まると、特に難民認定の時とかに、FGMをされたことが「本国で迫害された」の証明になるという背景から、女性の性器をチェックするという流れが広がる可能性がある
  • NGO等が地方で行っているFGM反対の活動は、地元住民を「非難し、恥をかかせている」
  • 既存の慣習を否定することで、自分たちを「文明化」していると感じたい地元住民がFGM根絶推進派になる。

※ただ、ガーナのある地域の研究に基づいているから、すごく多様なFGMの他のケース(もっと大きく体を傷つけるような)には当てはまらないことも多そうという前提で。

 

文化人類学者は、やはりその土地に密着して取材して、時にはその人たちと同じ生活をして、文化を否定的に捉えることなく観察するイメージ。

一方、開発の仕事は現地に何か「変化」をもたらす前提があるから、時には文化・慣習に踏み込むことだってあるという点で、実は文化人類学と開発援助は根本的に相容れない部分があるのだろうな、と気づいた。

 

 

※文化人類学の中でもいろいろなアプローチがあり、例えば文化人類学者が地域社会の専門家として開発援助に関わるような、開発人類学といった分野もあるそうだけれど。下記の論文の第二章「文化人類学の潮流と開発援助」を読んでみたらおもしろかった。

 

 

 

いずれにせよ、文化・伝統なのだとしたら、外部がとやかく言うのには慎重にならないといけないという前提で、その上でFGMは、守るべき文化なのか、という話なのだけれど、やっぱり違うと多くの組織・国連・政府が言っているし、私もそう思う。

 

 

根拠は、

1.人権侵害である

そのコミュニティ内にいると、ほとんど選択の余地なく、健康的な体の一部を傷つけられる(または切り取られる)。

その結果、出血多量や、不衛生な施術による細菌感染によって亡くなったり、そうでなくても生涯残る身体的・心的トラウマが残ったり、出産のときにひどい合併症に苦しめられ母子ともに危険に晒されたりする。

こうした甚大な実害は、「でも伝統だからしょうがない」で済ますには、深刻すぎる。「子どもは親は選べない」にしろ、後天的に体を傷つけるというような、その気になれば避けられる被害は避けてほしい。

 

 

2.法律で禁止されている

もちろん、FGMを問題視する動きがあって、そこから罰則化へのアドボカシーがなされた結果の法律制定だから、法律ありき、でなくこれはFGMに対する非難の帰結なのだけれど、NGO等がFGM撲滅に向けて活動する根拠においてこれは大きい。

 

法律で禁止していない国もあるけれど、罰則化の流れは強くあって、その前提にはUNICEF等の国際機関がFGMは人権侵害だと明言していたり、SDGs の Goal 5、Target 3 でもFGMの撲滅が目標にされている。

5.3

Eliminate all harmful practices, such as child, early and forced marriage and female genital mutilation

 5.3.1
 Proportion of women aged 20-24 years who were married or in a union before age 15 and before age 18
 5.3.2
 Proportion of girls and women aged 15-49 years who have undergone female genital mutilation/cutting, by age
 

 

 

 

長くなったけれど、結論を言うと、「文化か?」という問いに関しては

「文化なのかもしれないけれど、その弊害が度を超えて大きく、女の子・女性のみに極めて不平等な形で負担を押し付けている点で、文化という前に『人権侵害』であることが先にくる行為で、かつ直接的・間接的に社会の不平等に貢献している行為で、許容できない」

というのが私の今のところの答えだと思った。

 

 

…そしてFGMについて語る時、もう一つ浮かび上がる疑問、

「男子の割礼はいいのか?」

についても、またこんど、いろいろ考えて別途ブログポストしたいと思う。

 

おわり

 

 

The Twilight of Cutting: African Activism and Life after NGOs (English Edition)

The Twilight of Cutting: African Activism and Life after NGOs (English Edition)

 

 

ポッドキャスト Fairly.fm 出演まとめ

 

たかはしいつろー( @takahashi126 )さんがホストをされている、

NPO/NGO、国際協力、ソーシャルな活動、海外生活を紹介する社会派ポッドキャストである、Fairly.fm への出演の回をだんだん重ねてきたので、記録として下記に出演エピソードのリンクをまとめます。

 

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https://fairly.fm/

 

 

168 次、台風が来たときは無理して電車に乗らないこと

 

141 説明したくないって思ったらしなくていいんだ

  • わりと全体的にジェンダーとフェミニズムの話になりました。

 

123 受益者の声を聞くというのは大事だけど

  • 開発業界あるあるもやもや。いつろーさんにはあまり同意してもらえず(!?)

 

 122 ゼロカロリーですしね

  • おすすめ本など。収録内で話題になった、佐久間裕美子さんや鮫島弘子さんに、その後Twitter等で反応いただけました。

 

 96 この仕事を始めるまで「性器」なんて言った回数は3回くらいしかなかった

  •  FGM(女性器切除)やJICAボランティアについて。タイトルがすごい笑

 

 74 全部女性側が日本人で、男性側が外国人なんです

  • ICTとコラプション、開発ワーカーのライフスタイル等、ばらばらと。 

 

 73 ストーリーの作り方、言い方次第

  •  初出演。自己紹介や、大学院時代(いつろーさんはインド、私はアメリカ)を振り返る話など。

 

 

昔から本当に声と喋りへのコンプレックスを抱えつつやってきていて、そのせいで(だけじゃないかもだけれど)第一印象悪かったり下に見られることも多々あったので、自分がポッドキャストで長々と話すなんて常に恥ずかしいかぎりです。聞き返すと「あああー」となります。喋り方というか、声とスピードを変えるのはなかなか難しく、でも少しでもハキハキ、落ち着いた声で話そうとしていますが、でも考えることに思考のキャパシティが取られるとうまくいかず。訓練。

いずれにせよ、もし聴いてくださる方は必ず1.5倍速で再生お願いいたします!!

 

ただアウトプットするためのインプットはやはり良いプレッシャーになるし、とても勉強になるのでこうした機会を持ててることがありがたいです。逃げずにやってみて、よかったことの一つ。

いつろーさんいつもチャンスをくださりありがとうございます。

 

おわり

 

【読書】 ジェーン・スー&中野信子 「女に生まれてモヤってる!」

 

モヤることはモヤってるし、でも常にモヤっているわけではないしモヤりに支配されないよう、モヤってるのを自分で無視しながら折り合いをつけて生きていくのだけれど、でもそれを少しだけでもすっきりさせるものがあるのなら、それはライフハックとして活用すればいいのですよね。そうして活用できる本。

そしてモヤっていることは、よく考えている頭のいい他者に明快に語ってもらえることが一番よね、という感想につきます。

 

女に生まれてモヤってる!

女に生まれてモヤってる!

 

 

 

タイトルが軽くて取っつきやすい感じがして、実際に気楽に読み始められるものなのだけれど、扱っているテーマは言ってみれば社会の不均衡であるので、やっぱりいろいろ考えさせられる。そして、データや事例、あらゆる角度からの物の見方が示されているので、勉強になる。

 

 

私が特に「まさに!!」となった部分を引用したいのですが、Kindleでハイライトした部分が多すぎてこりゃ大変だ。

たとえば、

 

たとえ政策の議論をしていても、感情的なケンカみたいに演出される。そして「女の敵はやっぱり女」と世間が言う。でもさ、「女の敵は女」は本当にもうアホのもの言いだからやめたほうがいいよ。たとえば男同士の意見が対立して、どちらかが相手を失脚させたとしても「やっぱり男の敵は男だよな」なんて言う人いないよね。女同士のときだけだよ、「怖い、怖い」とかさ。その裏には、女は優しい、女の気持ちはひとつ、利益もひとつ、女は常に一枚岩である、という思い込みがあるんだよね。その前提がまず違ってるから。女というだけで、一枚岩にはなれないです。(スーさん)

(『女に生まれてモヤってる!』(ジェーン・スー, 中野信子 著)より)

 

「いつまで経っても自分に自信が持てないのは、対極的な価値観が混在した時代だからでもあります。女性も社会に進出しましょう!輝きましょう!という新しい指針は、従来型の女らしさとは相性が悪い。ふたつの価値観が拮抗しているのが現状で、どちらか片方しか持ち合わせていない女は、隣の芝生を見て自動的に欠落感を抱くことになります。また、どちらも持っている女、つまり働きながら家庭を持つ女は、どちらも中途半端にしか役割を果たしていないような気になるという落とし穴もあります。相反するふたつの価値観のもとで満点を取るためには、仕事でも家庭でもスーパーウーマンにならざるを得ない。これも無理ゲーです。」(スーさん)

(『女に生まれてモヤってる!』(ジェーン・スー, 中野信子 著)より)

 

 

あと、中野さんが脳科学者だから、脳に関するこれまで知らなかった知識とかハッとすることもたくさん書かれています。

「一般的には、記憶力のいい人のほうが新しい環境に適応しにくいと考えられている。(中略)学習能力と記憶力ってトレードオフなんです。学習能力って、アンラーニング(学習棄却:一度学習した知識や価値観を意識的に捨て、新たに学習し直すこと)できたほうが実は高いのね。ちょっと逆説的ですけど。これまでの間違った記憶を忘れることで新しい学習をスピーディーに習得できる。特に運動学習なんかではそういうことが言われている。これは東大の先生が実験していますが、アンラーニングの速さが学習の速さでもあるという。 これは人だけでなく組織のあり方においても共通しているんです。「過去にこういう成功体験があった!」という記憶にずっと捕らわれてしまうと、新しい発想が生まれてこなくなる。忘れる能力のほうが、実は学習には重要なんだろうね。」(中野さん)

(『女に生まれてモヤってる!』(ジェーン・スー, 中野信子 著)より)

 

 

ほかにもいろいろあるものの、とにかく、モヤを少しすっきりさせたい気持ちの人にはこの本開くのおすすめします。

もちろん、すべて同意じゃなかったり考えさせられてまた別のモヤが広がるかもしれないけれど。 それこそ知の広がり。

 

先日紹介した「私たちには言葉が必要だ」は、女性だけでなく、マイノリティ側の状況を知る意味で男性にも読んでもらいたいな、と思ったけれど、

こちらは女性がモヤりを少しすっきりしたい時に読むのに適した本で、やっぱ女性におすすめかも。特に大学入る前とかの若い世代とか、一読してほしいです。

 

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それにしても、ようやく2019という数字の未来感になれてきたと思ったら、年末までの予定を考えるだけでもうあっという間に今年も終わりそう。2020年なんてとんだ未来で、おどろくばかり。

 

終わり

FGM(女性器切除)に関していくつか

 

ジャーナリストの伊藤詩織さんが、シエラレオネでFGM(女性器切除)の取材をされたドキュメンタリーが Yahoo! JAPAN の CREATORS というサイトで公開されていた。

 

前編

 

後編

 

 

そもそも、FGM(Female Genital Mutilation=女性器切除とは)

  • アフリカや中東、アジアの一部の国々で行われている、女性の性器の一部を切除してしまう慣習
  • きわめて強い社会的な規範に支えられ、家族はその害を知っていても自分の娘にFGMを受けさせていることが少なくありません。
  • FGMを受けた女の子や女性は、出血が続き、感染症や不妊、死のリスクにさらされます。
  • 女子と女性の人権侵害であるとともに、健康面及び精神面で長期的な影響を及ぼす

            ( 日本ユニセフ協会 Webサイトより https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_act04_03.html

 

 

後編の記事の最後の方で、私が関わっているプロジェクトへの寄付になる Yahoo!ネット募金へのリンクを載せていただいていた。

 

 

ちなみにこのプロジェクトでエチオピアに行った時の裏話を少し前にポッドキャスト Fairly.fm にてちょっと話させてもらった。

(組織を代表するものではなく、個人の意見と感想です。)

 

 

FGMは元気な女の子の身体を不必要に深く傷つける行為で、亡くなるケースは後を絶たず、伊藤さんの動画ももちろん重たい内容。しかも後編ではなんと施術側のリーダーの女性にインタビューしていたりと、 緊張感。

でもその中でも、映し出される映像がなんだか綺麗だったり、フォーカスされている女の子二人の声が力強かったり、希望を感じられる内容だった。

伊藤さん、エチオピアのうちの事業地にも取材来てくださらないかな…

 

 

ところで伊藤さんの著書について書いた下記の投稿は、もう二年近く前になるけれど、私のブログの中でアクセス数が多いものの一つ。

 

その後の展開も含めずっと気になっている伊藤詩織さんと(そして正義が未だに達成されていない悲しさと)、仕事でも関りありとても気になっているテーマのFGM がつながっていて、また仕事上関りのあるプロジェクトのリンクも載せていただいたりしていて、いろいろと個人的に考えていたことが繋がった感があった。

 

 

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エチオピアのコーヒー

 

 

伊藤さんが、何をしても Black Box で書かれている話と結び付けられて見られるのは、もしかすると本望ではないのかもしれない、と勝手に想像したりもする。わからないけれど、でもそんな中でこのFGMの取材は、被害者としてではないのだけれどまた別のSGBV(Sexual and Gender Based Violence)、性的暴力の問題に真正面から向き合って行かれているので、本当にすごい勇気と精神力で、やはり私なんかはそうした背景含めて感動してしまうのだった。

 

おわり

ウガンダの結婚観を聞く

 

ウガンダにいると、20代後半以降で独身の人って本当になかなか会ったことがない。

そして私が結婚してないと知ると、

「なんでしてないの!?」

って言われ、

「相手あってのことですから・・・」

と言うと、すごく納得のいかない風な顔をされる。なぜ???

 

結婚相手を見つけるのはぜ古今東西ありとあらゆる映画・ドラマ・小説のテーマであり、その比較で前から不思議だったけど、仲良しの同僚(男性)に突っ込んで聞いてみた。

(個人の考えで、もちろんウガンダすべてのことではありません)

 

 

Q1:どうしてこんなにみんな結婚してるの?

A1:結婚することが社会的に重要なことだから。稼いで、結婚して、家を買うこと。それが社会的成功の証。女性は特に、学校出たら結婚、という考えがある。

 

Q2:でも、みんな必ず結婚相手が見つかるわけではなくない?

A2:とにかく男性が積極的。男性が押すって決まってる。

 

Q3:それだと、人気のない女性の場合は誰にも声かけられない、ってことない?

A3:みんな自分が押せそうな相手にアプローチするから、誰かには誰かがいる。むしろ、ハイスペックで魅力的な女性(高学歴・高収入とか)には多くの男性が「きっと無理」と思って声かけない。

 

Q4:シャイで押せない男性はいないの?

A4:ほぼいない。そういうものだって決まってるから。でもどうしても相手が見つからない場合は、家族とか友達とか周りの人が、独身同士くっつける。(あと、地方だとやっぱり家族が決めるArranged Marriageは多い)

 

Q5:みんなどこで出会うの?

A5:人が集まるとこならどこでも。ウガンダ人は初対面の人たちとよく話す。

 

 

ふむふむふむ。

これは一人の同僚から聞いた話ではあるけれど、でも、これまで見たり聞いたり、他のいろんな人と雑談したりした私の感覚からもすごーく納得できる内容。

 

書いてみると、日本とだってそんな決定的には違わないのかも。

一番違うのは、「ある程度の年頃になったら結婚するのが当然」という社会規範とそれを後押しする風潮なのかな。

 

あと、男性が必ずアプローチするっていうのは、前に紹介した、荒川和久さんの考察による日本の大多数と逆ですね。肌感覚でもそんなかんじ。

 

そしてもう一つ興味深かったのは、高学歴・高収入の女性が、結婚せずにシングルマザーになるケースも増えている様子ということ。夫は不要だけれど子どもはほしい、という感じで。

 

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カンパラの日本料理屋さん、YAMASENの美しいサラダランチ

 

 

ちなみにご近所のエチオピアは、結構同僚でも独身の人がいます。

その中で、私と同世代だけどもう3人の子どもがいる同僚(男性)の、

「結婚相手見つけるのはトライ&エラー。とにかく声かけて、だめだったら次に行くだけ。」

という言葉がよく頭の中で繰り返されます。

 

【読書】 イ・ミンギョン「私たちにはことばが必要だ」

 

生きているといろいろな状況に出くわすけれど、その中で特に、男女差別の発言をぶつけられた時にそれに対応する(かしないか)には「言葉が必要」で、どういった対応がありえるのか、とわかりやすく書かれている本。

 

私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

  • 作者: イ・ミンギョン,すんみ,小山内園子
  • 出版社/メーカー: タバブックス
  • 発売日: 2018/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 

説明するしないの自由は私にある

私もやっぱり女性として30年以上生きていると、嫌な言葉投げかけられたり、悪気がなくてもモヤモヤさせられる発言がなされたり、それが私一人対象でなくて大勢の場で言われて、納得いかないけど笑顔でやり過ごしたりということがあったのだけれど、この本を読んで、一度立ち止まって改めて、その怒りや、怒りまでいかなくても「モヤモヤ」になった時の気持ちがより整理できるような気がした。

 

特に、仲いい友人や、本当は好きでいたい仕事仲間とかにそういうこと言われると、どうしても「(私の考えを)説明しなきゃ、わかってもらわなきゃ」みたいな気持ちになるけれど、人それぞれの正解は違うということ以上に、別にこちらが無理して説明する必要もないということがあらためてわかった。

「あきらめる」というとネガティブであるけれど、フェミニズムの話は本当に難しくて、それを話すことで嫌な気持ちを抱いたりする必要性があるかないかを見分けるのは私の自由だし、そしてそれが自分の元気や気分で変えていいということ。その大前提を改めて納得できたというような。

 

全部が全部同意で、書いてあるとおりにするというわけではなくても、一つ網羅的にまとめられたマニュアル本として手元においておくのにとても意味があるから、手に入れてよかった。

 

ちなみに韓国と日本で、徴兵制があるかないかは大きな違いと思ったけれど、根本を流れる考え方はあまり違わないと思いました。

 

 

差別と性別

「女性は権利権利うるせー」っていう人はいるだろうし、「男性だってつらい」って気持ちはそりゃあ大なり小なり感じたことない人っていないだろうな、わかる。

 

だから、この本で紹介されている下記のような、よくある発言がでてくるのは、わかる。

 

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[イ・ミンギョン「私たちにはことばが必要だ」より]

 

「男性だってつらい」というのは本当にそうで、必要なことは

「女性が男性より得をする社会にすること」

ではなくて

「誰もがその属性のステレオタイプに苦しめられることのない社会にすること」

だから、男性にプレッシャーを与えていたり「男性らしく」の中に込められている息苦しさも取り除いて、男性だってピンクのスカート履いていい、人前で悲しくて泣いても「男のくせに」なんて言われるべきでないし。

 

ただその一方で、一つ男性と女性で決定的に分かれるのは、やっぱり女性は差別される側であるということ。女性という属性だけで、選択肢が狭まったり、不快な言葉を投げかけられたり、弱いが故に暴力の対象にされることがあるということ。

 

差別ってされたことのある人にしかわからない、暗さ、つらさ、怒り、それに気づいた瞬間のずーんと重たい気持ちがあるし、それは一回で終わらず継続するもの。この経験を何度も経験して自分の無力さを感じるかそうでないかは、やっぱり「強者 vs 弱者」の構図になる。

「あなたには私の気持ちなんかわからない、って言われたら終わり」という気持ちはわかるし、そんなこと言ったら「拒絶された」と傷つく気持ちもわかるけれど、でも、事実として、特に怒りや悲しみという感情は当事者にしか語れない部分がある。

本当にそうなんだってことに、一瞬でいいから思いを馳せてほしい。

 

そりゃあ男性だって、

一度海外に住んで、アジア人だから軽く見られたり馬鹿にされたり、っていうのを経験しただとか、

日本にいても障がいを持っていたり、貧困に苦しんだり、というのとか、

その他、見た目や持っているものが違うとかで差別を受ける経験があった人はもちろん共通してわかる部分も何かしらある。

(そうだとしても、一つ一つの差別は違って、その差別の特殊性と、それを許容する社会で長年生まれ育つことはまた違うのだけれど)

 

 

でもたとえば私の友達や仕事で会う人にもたくさんいる、

健康で、お金にも困っていなくて、程度の差はあれ社会生活を送れている男性

というのは、

「自分はすごく特殊で差別されない状況にいるから、差別される立場の人の気持ちを本当には味わったことがないんだ」

というのを時々、一年に3回でいいから考えてほしいと思ったりします。

 

こういうこと書くと嫌われそうだけれど、まあしょうがない。

反論は先着3名まで受け付けます。4名以降はつかれるから。

 

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多くの男性はこんな本読みたくないかもだけれど、それでもちょっと自分を comfort zone の少し外に押し出して、読んでみてくれたらパラレルワールドが見られるかも。

「え?こんなにひどくないでしょ?」

って思うかもしれないけれど、まあだいたい社会はこんなものだし、どうしても信じられない場合は親しい女性の友人、恋人、家族と話してみてほしい。

聞かれた側には、相手が納得するような説明を拒否する権利があるという前提で。

 

あともちろん、モヤモヤすること言われた時にどう返したらいいのか準備をしておきたい女性たちにとって、示唆に富むことがたくさん詰まっている本。

 

おわり

 

追伸:もちろん、それでも、想像力と頭の良さを駆使して寄り添って考えてくれる男性たちを私は知っていますよ。言わずもがな。

 

海外生活も5年目

 

Fourth of July (アメリカの独立記念日)の日にニューヨークに到着して打ち上げ花火を見たのが印象的で、ちょうど今日で海外生活5年目に突入。

 

昔からずっとシンプルに「海外生活」に憧れがあったのになかなか出られなくて、「遅くなってしまった」というのがコンプレックスで(今もそれは思っているのですが、)なんだかまあ当たり前だけれど、「海外」にいること自体は普通になっています。

 

だから改めて書くことでもないのだけれど、振り返れば、

 

  •  ずっと「一度は海外留学」と思っていたのが行けないまま20代後半になって、忙しい日本の会社員生活に埋もれて結局行けないのかなあ、とあきらめていた時期も長くて、
  • でもやっぱり大学院留学挑戦しよう!と決めてからも「どこも受かる気がしない」という長く不安な出願準備期間を経て、
  • アメリカで大学院生活始めてからも、私の力では希望している仕事見つからないかも。日本に戻ってプータローになるかもと本気で何度も思って、(むしろ卒業できないかもとも何度も思って、)
  • 卒業後カメルーンでインターンしている間もいろいろ応募しながら「どれも受かる気がしない」と不安になり日本でプータローになるかもと何度も思って、
  • その後ウガンダの仕事が1年半を過ぎて、、、

 

今です。最近はもう不安になるのに飽きてわりと楽観的。「人生どうなるのだろう」とはいつも思っていますが。

 

客観的に見たら別になんてことないことだし、この業界周りを見渡せば私なんかまだまだ海外出たばっかりな感じだし、「海外に住む」ことのみに意味があるのではなく、そこで何をしているのかが重要なんてことは重々わかっている。

 

それでも、「海外にずっとい続けてる」というのはその背景要素を含めて私にとってとても象徴的な意味を持つことであり、留学前の自分から見たら「私にはできない」と思っていたことが今できている。

 

時には自分の辿ってきた道を振り返って、小さな祝杯をあげます。

 

 

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この道はどこにつづく道

 

【読書】 Nadia Murad "The Last Girl"

IS(いわゆるイスラム国)に家族を殺され、自身は性奴隷として拘束され、逃げ延びた後に人権活動家として働いている功績で2018年ノーベル賞を受賞した、ナディア・ムラドさんの自伝。

 

The Last Girl: My Story of Captivity, and My Fight Against the Islamic State

The Last Girl: My Story of Captivity, and My Fight Against the Islamic State

 

 

世界がムラドさんを知ったのは、「ISの性奴隷を経て残された同胞のために人権活動をしている」からで、そうなると

ムラドさんのことは「危険な国でISに捕らわれ性奴隷になった人」という目でしか見られなくなりがちだけれど、

この本を読んで、

それ以前は本当に普通の生活を送っていたんだ、ということがよくわかった。

 

特に日本から見れば、イラクのクルド人少数派のヤジィーディー教徒、と言われてもあまりに遠いし、なんとなく遠くの不思議な宗教を信仰している特別な人で危険と隣り合わせのようにも見えてしまうかもしれない。

でもISに捕らえられる前のムラドさんは、別に危険な国で危険な運命を覚悟しながら生きてきたわけでも、少数派の宗教だからすごく変わった生活をしている、みたいなことは全然なく、

貧しいながらも、家族を大事にして、おしゃれが大好きで、お母さんが大好きな普通の女の子だったということがわかる。本の最初の方は、農村部の美しい風景が目に浮かぶような描写で生活や家族のことが静かに書かれていて、その後の悲劇は想像がつかない。

 

そんな中、ISの性奴隷にされてしまうなんていうと、それもイメージとしてはある日突然村が襲撃されて連れ去られる、という感じがするけれど、実際はもう少し時間をかけて段階を踏んでいる。そしてもう後戻りできない状況にまでじわじわと追い詰められていった様子が書かれていた。

描写は細かく鮮明で、その追いつめられる過程で大切な人たちが傷つけられたり、励まし合ったり、そういう一つ一つ悲劇的なことが重なり重なり、そして最悪の立場へと無理強いさせられていく様子。一つ一つの感情の動きに同調する分、私がその立場だったらと考えずにはいられず読んでいて苦しい。

 

性奴隷という、SGBV(=Sexual and Gender Based Violence)の極限状態から解放された後に、活動家として世界に発信していく勇気はすさまじいもので尊敬しかなく、そして本を読んでいてもその勇気の根底に流れる意志の強さや知性がところどころで垣間見られた。

すごく弱くて無力さを突き付けられ続ける環境でも、最後まで失われなかった強さ、それが彼女が最後まで逃げ続けられたことに繋がっていると思う。

逃亡する部分の描写は、しばらく読んでいて手に汗握る。家に帰るまでに越えなきゃいけない壁があまりにもたくさんあって、その度に震えるほど怖い思いをして、しかも家に帰っても家族は多数殺されてしまったし、ヤジィーディー教徒では絶対的に求められる「結婚するまで処女でいなければならない」というのを失った状態で帰る不安も抱きながら逃げ切った物語。

 

今仕事で難民の方と関わっていて、私の仕事の場合は南スーダン難民という点で違う。でも、難民にならざるを得なかったというのは、一人一人が異なるやむを得ない理由を抱えて故郷を離れざるを得なくなった事情を抱えている点で同じで、その一つをこの本でしっかりと理解したということが今後の難民支援事業へのかかわり方の意識にも影響したと思う。

 

人はどこまで非道になれるのか、良心とは、と思わずにはいられず途中読むのがつらくなったけれど、そういうことが起こっているのを知ることが、ムラドさんの想いであると受け止めて、最後まで読み続けた。

 

 

日本語版

THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―

THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―

 

 

 

 

あと囚われた系で前に読んだこちらを思い出した。

イラクとシリア、普通に暮らしてた女の子とジャーナリスト、出身者と外国人、そしてやはり女性と男性で、経験する不条理・壮絶さの性質が全然違うということがコントラスト際立つ。

 

 

最後に、2018年ノーベル平和賞受賞式でのムラドさんのスピーチ

 

 

  

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カンパラ勉強会が楽しい

ウガンダの首都、カンパラでののんびりランチしながらの勉強会は、人数も増えて、二週間に一回のペースで進んでいます。

 

みんな仕事の関係上、出張や移動で参加できないことも多いけども、人数増えたから出られる人が出て、発表できる人がするという感じでプレッシャーなく良い雰囲気です。

 

最近みんなから学んだトピックは、

  • ウガンダのマクロ経済
  • ウガンダでのレストラン事業経営や農業支援
  • ウガンダ西部のDRR(Disaster Risk Reduction)活動
  • ウガンダ西部難民居住区でのWASH活動
  • ウガンダの難民に関わるポリシー概要
  • UNHCRが進める Refugee Advisory Forum
  • コンゴ情勢・歴史
  • コンゴの性暴力の法的裁きの仕組みと難しさ(ムクウェゲ医師のドキュメンタリー映画を受けて)
  • エリトリアの歴史・情勢
  • サステイナブル投資概論
  • 本のレビュー(20億人の未来銀行)

などなどなど、多岐にわたるトピック。みんな仕事でいろいろなことしているから、本当に幅広い内容。

 

私は最近は、南スーダン情勢についてと、FGM/Cについて発表しました。

今日はこれから、緊急人道支援下でのWASHについて。PPTまとめるのも勉強。

 

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カンパラではこんなワッフルを食べられるお店も。@Holy Crepe

 

日本語でインプットできる機会は貴重で頭にすすすっと入るし(他のみんなは英語でもそうかもだけれど…)、同世代の皆さんの働きっぷりは刺激だし、おいしいランチと共にプレッシャーなく議論もして、カンパラ生活でこの時間を持てていることに感謝です。

興味ある方、ゲスト参加も歓迎ですのでカンパラにお越しの際はお声かけください。

 

おわり 

ウガンダ生活で昔の日本を想う

ウガンダに住んでいるとはいえ、過疎地の村に住んでいるわけでもないので、交通手段や出張時を除けば、そんなに日本と劇的に違うような生活はしていません。

でも、ちょっとタイムスリップしたというか、今の日本の特に都会の生活では普段そんなに出てこないけれど、ちょっと昔だったらよく言ってたであろうワードがウガンダでは頻出ワードであることに気が付いてきましたので共有します。

 

建付け

ドアがうまく閉まらなかったり、閉まっても鍵がかからなかったり、前は閉まってたのにだんだん閉まらなくなったり。

「ああ、これが建付けが悪いってことだな」

床が地面と水平じゃないなんていうのはむしろそれが普通。

ドアと床には隙間があって、そこからありとあらゆる虫やヤモリが入ってきます。

(この前朝起きたら床に細かいゴミが大量に落ちてて、なぜ?と思ってよく見たらコバエの大群の死骸でした…夜中に外で大量発生したのがうちのアパートに集まり、共有部分でブンブン飛び回り、死に、風で我が家にも入ってきた様子)

 

「建付けが悪い」って言葉は知ってたし、昔の日本の木造一軒家ならよくある話かもしれないけれど、マンションに住んでたり新しいビルの中だとまず使わない言葉ですよね。前の我が家も築30年以上の団地だったけれど、ドアが閉まりにくいなんてことはなかったから、湿気の多い環境なのにさすが日本、と思う。

 

とげ

小さいころって、何かととげがささたりして、それはむき出しの木の繊維が飛び出しているところが多々あったからだと思うのですが、こっちに来てからもやたらとげが刺さって「いてて」となっています。

何も考えずに手すりに手置いちゃったりして刺さったり。

注意すればいいんですけどね、自分の身は自分で守る。

それでいくと、家具の配置が変で普通に暮らしていると棚に頭をぶつけがちとか、工事現場から歩道に危ない角度で棒が伸びているとかも。

日本ではそういう点も考えられて、安全基準や家具の設置がなされているんだなあ、と思うきっかけになります。

 

水たまり

「それは日本でもよくあるだろ」という声が聞こえてきそうですが、

(それ言ったら全部あるにはあるんですが)

ウガンダは首都でも舗装されていない場所が多々あるので(あと道路に穴が空いて土がむきだしになっている場所とか)、水たまりはの数と大きさ・深さが尋常じゃないです。

最近雨期になってきて、ずっとじゃないけれど降る時はザーッと降るので、その後道を歩いていて、気をつけながら歩いたもののずるっと滑った足で水たまりを踏んでしまい、泥んこになりました…

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履いて三回目の靴

 

霜取り

最後が、最近の若者とか本当に知らないのでないかというワード、霜取り。

私ですら、自分の中にこのワードが眠っていたことにびっくりですが、こちらの冷蔵庫ではとにかく冷凍室に霜がつきまくります。

※ちなみに停電が多い地域だとやっぱり冷凍庫は使えないので、そこは首都でジェネレーターがある生活の恩恵です。

 

最近の冷蔵庫は自動霜取り機能がついているのですよね。あと直冷式という、冷却パイプが冷蔵庫の壁の奥にあり壁越しに冷気が伝わるタイプが霜がつきやすいそうです。

霜が付くと冷蔵庫の機能がわるくなるらしいし、何よりもつきすぎて冷凍室の引き出しとかしまらなくなり、しょうがないからガリガリ削って取ります。

 

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上のところが霜。大きくなると引き出しが閉まらなくなる。

 

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取って集めた霜。雪だるまつくろう~

 

だからなんだ、っていう話なのですが、少し懐かしい気持ちになっていただけましたでしょうか。

皆様もこういうワードあったら、教えてください。

 

おわり

【読書】荒川和久「超ソロ社会「独身大国・日本」の衝撃」

この記事をたまたま見かけて、タイトルからしてなんとなく納得してしまって、読んで「やはり…」となりました。

引用

最近の男子が草食化したわけではないんです。いつの時代も男はそんなもんです。いわゆる肉食系男子とか、モテたり恋愛できたりする男は3割もいないんです!

 とか

明らかに勘違いしている人が多い。「男はアプローチしてきて当たり前でしょ!」って女子は思ってるから。

待ってる女がモテると思ってる人が多いけど、全然違います。大抵結婚している女性は自分からアプローチしてるんですよ。

 

そうよね、そうよね、と思ってこの荒川和久さんの著書を読んでみました。

 

超ソロ社会 「独身大国・日本」の衝撃 (PHP新書)

超ソロ社会 「独身大国・日本」の衝撃 (PHP新書)

 

 

 

 

いろんな生き方があったらいいでしょう。

結婚とか出産とか、周りが「すべき」とか言うことじゃないでしょう。

という本の中の終始ポジティブなトーンにとても共感しました。

 

「結婚しなかったら一人前じゃない」という風潮が古くからあるけれど、それも同調を過度に求める日本の風潮、それになじめない人を排除する考え方からだと。

うん、それはとても息苦しい。

一世代前の人たちは結婚率が高くて、そういう既婚者たちが「今の若者は情けない」とか「草食男子なんて」と揶揄するけれど、昔は社会がそういう構図になっていて、大企業は男性と女性をくっつける役割をし、周りの人が独身男女にやいやい言い、お見合いが当たり前だったのが戦後長かったのが日本なのだから。

みんながみんな大恋愛や、男性の猛烈なアプローチの末結婚しているわけではない。というか、そういう人は少数派(2~3割)だということも本の中で説明されていて、納得しました。

いいんだ、そういう「ソロハラ(=ソロでいる人たちへのハラスメント)」には耳をかさなくて。

 

そして、読んでいて、

日本は人口減少してもいい。規模が小さくなっても、一人一人が自分それぞれの幸せを感じられる社会がいい。

という前から思っていた気持ちを改めて強くしました。人口少なくなったら経済規模も縮小して、いろんな世界ランキングから落ちていくのは避けられないけれど、それならそれで小さな規模で、教育や福祉にもっと目が行き届いて、人々が楽しく働いて良い将来を描ける、幸福度が高い国になっていってほしいという。そしたらそれで、なんだかんだ子どもの数は増えるのでは、という気もするし。

 

。。。。。。。。。。。。。。

 

ところで、最近この「シノブとナルミの毒舌アメリカンライフ」というポッドキャストを良く聴いていて、アメリカ在住女性二人の軽快なトークがすごくおもしろい。二人ともすごく素敵な人たちだな~と思いつつ、突っ込みどころも多くて、でもそれもおもしろい。

その中でちょうど最近聴いたやつの話題が日本の草食系男子について。


 

「なんで日本は草食系男子が増えたのかすごく不思議」という話題になってるのですが、それも荒川さんの話を踏まえると、草食男子が増えたのではなく、

少し前の時代は前述の通り、会社の環境とか周囲のお膳立てで結婚する人が多かったけれど、今はそういう時代じゃないから結婚する人が減ってるってだけだと思う。

それにいわゆる「猛々しくたくましく大雑把な男子(肉食男子)」みたいのが減ったのは、日本だけじゃないと思うし、私は「男らしさ」みたいなのが男性の首を絞めるのは良くないと思っているから、それはそれで別にいいじゃないか、という気持ちです。

(このポッドキャスト自体はすごくおもしろいですよ)

 

。。 。。。。。。。。。。。。

 

Web記事、Kindle、ポッドキャストと、なんだかいろんなメディアでいろいろと考えたという話でした。 

 

【読書】 中村淳彦「東京貧困女子。」


読んでて心の底から暗くなるけれど、今を生きる日本人/日本で住む人たちはこういう現実があること、しかも「すぐそばに」あることを知った方がいいと思うから、読んでよかったし、読むべきだったし、すべての人におすすめしたい本。

 

東京貧困女子。―彼女たちはなぜ躓いたのか

東京貧困女子。―彼女たちはなぜ躓いたのか

 

 

 

 

今の東京で生きる女子は、ふとしたことで貧困に陥る危険と隣り合わせなんだ、ということが、これでもかというほどの実例と共に語られている。


そして、転げ落ちるきっかけは意外に些細なことで、一度転げ落ちるどんどん落ちていってと這い上がるのは難しいという。転げ落ちるきっかけがいろいろ本の中から見えてくる。

 

例えば 日本学生支援機構の貸与型奨学金の問題。実質学生ローンであると指摘され、多くの負債を抱えて卒業する学生を量産しているとの指摘で最近こそ問題になって来たけれど、それまでは国のシステムであるし、普通に高校でも推奨されていたものでたくさんの学生が借りてきたもの。一昔前は、卒業したら大体の学生がフルタイムの正規社員として会社に勤めてしばらくしたら返せていたのかもしれないけれど、一度その道を外れてしまうと返済がどうにもならず自己破産になるケースがあるなんて。そしてその借金のために風俗で働く女性の話は「なぜそうなってしまったのか?」と思わずにいられません。国の制度がそんなに落とし穴と言うのはなんと怖いことだろう。

 

あと、著者が大きく警鐘を鳴らしているのが介護業界。高齢化社会への施策として国が介護職の人を増やすために、失業してハローワークに来た人をとにかく介護職トレーニングに送り、資質があるかどうかは無視して介護従事者を量産し、厳しい経営の中少しでも利益を増やそうとする民間が運営する介護施設で働く人々は疲弊していくという状況。学生時代から介護職を目指してそれにプライドを持って働いている真面目な人たちも、ひどい職場環境で、また志のない人たちの心の闇にひきずられながら心身を削られていくという悪循環の体験が生々しく書かれている。

これも「資格を取って働く」という、安定しているように見える仕事が実は(もちろん一部だけれど)落とし穴だという点で、誰でも陥る可能性があり得ることである点で怖い。

 

さらに、官製ワーキングプアに関して、図書館司書の人の話も出てきた。司書さんも資格職で、真面目でこつこつと仕事しているのに給与は低く5年の契約が終わったらそれでおしまいで、正社員になれる道はなく、将来に不安がつきまとう。国の制度でそういった労働環境になってしまうなら、本来なら成り立たないはずなのにその仕組みを維持してしまっているゆえに、そこで働く人が生活保護と同じレベルの生活をすることになってしまう。

 

もちろん上記のすべてが、どこをとっても問題というわけではなくて、当然国の制度だからきちんと機能している部分があってこそだと思う。貸与型奨学金があったから大学に行けた人、立派な介護施設を運営し職員も不自由なく働けている場合等…

ただこれが実はすべての人には機能していなくて、落とし穴になり得るということ。

 

本当に一つ一つ、読んでいてため息が出てしまうのは、いつだれでも、むしろ真面目な人たちがそういった貧困の状況に陥ってしまい得るというのが、私が生まれ育った日本の首都、東京であるということ。そして周りに助けを求められない人がたくさんいるということ。

 

この本は女子に焦点を当てているけれど、男子にも当てはまるところはたくさんあ?。でも、やっぱり女性が弱い立場だというのが否定できないのは、日本のような国では平均年収が圧倒的に女性が低いということや、シングルファーザーよりシングルマザーが圧倒的に多いこと、また家庭内暴力の被害者は大多数が女性であるということにも表れています。だから、社会のひずみが最も顕著に表れてくるのは女性で、どうしたって、弱い。 

 

(女と男の賃金格差が縮まらない2つの理由 https://president.jp/articles/-/18731 より) 

 

 

ファクトフルネスとの対比

 

読みながら、「ファクトフルネス」という本との対比をずっと考えていた。

 

ファクトフルネスは、世界のデータをきちんと見れば大抵の指標で大幅に改善がみられているのに、それでも知識層含む多くの人が、世界は悪くなっていると思ってしまっている。その背景には、メディアの報じ方や、あまり可能性の低いことに必要以上に恐怖を持ってしまう人間の性質等もあって、「分断本能」「ネガティブ本能」「恐怖本能」等それぞれ説明しながら、データを使ってその状況に一石を投じようという本。

 

(別投稿で紹介しました)

 

だから、なんだかどうしても昨今のISとか、未だに続くアフリカの貧困とか見ると、「世界は全然良くなってない」って思っちゃうけれど、実はデータで見れば、赤ちゃんの死亡率も、自然災害で亡くなる人の数も、極度の貧困に生きる人の割合も、航空機事故の確率も、数十年前よりずっと下がっていて、言ってしまえば「悪いことや悲しいことはまだまだ起こり続けるけれど、世界が悪い方向に行ってると決めつけるのは間違い」という本。

 

ただ、世界はよくなっているのかもしれないけれど、

日本はどうだろうか、どっちかっというと悪い方に向かってるんじゃないか

って気がしてしまって、特にこの東京貧困女子。を読んでいる時それが頭から離れなかった。

 

もちろん、何をもってして「良くなってる/悪くなってる」なんて一概には言えないものの、

日本が一億総中流なんて言ってたのは今は昔、

平均年収は下がっていて、

貧困家庭が増えていて、

格差が広がっていて、

シングルマザーは苦しく、

ワーキングプアが多数いて、

ジェンダー平等は多くの国に遅れを取っていて、

 (2018年日本のジェンダーギャップ指数は149カ国中110位)

超高齢化社会で、

自殺者も多く、

給料は上がらず、

食べ物はどんどん小さくなって、

テクノロジー面でもかつてほどの存在感はなく…

 

そんな中、東京貧困女子。の現実をつきつけられると、日本って国は「かつて世界に憧れた国ではもはやない」というかそれどころか、いろんな面で歪みが表面化して、社会が立ち行かなくなっていっているのでは、とネガティブ思考に陥っていってしまう。

 

 

でも、今が底だと思いたい

 

ただ、もしそうだったとしても、今が底で、今後は改善していくのではという楽観志向(希望)も同時に持っている。

なぜなら、介護業界の問題も、日本学生支援機構の実質ローンの貸与型奨学金も、官製ワーキングプアについても、すべて政策で変えられることだから。

ちょっと楽観的に過ぎるかもしれないけれど、でもこの点で悲観的に突き進んでも意味がないのであえて言いたい。だって、これを放置してしまったら日本が衰退していくのは目に見えているのだから、ここ数十年の政策でうまくいかなかった部分を見直して、良心と良識のある政治家・官僚の皆さんが取り組んでいってくれると、いってくれないとと思っているし、実際それに立ち向かっている政治の流れも見えている。

だから市民は、この問題が改善するまで問題に目を向け続け、言い続けなくてはいけないし、それを受けたメディア、政治家、そして政治決定をする皆さんたちが、いくらなんでもそろそろ悪い部分は変えて行かないと。それができない国ではないと信じなきゃ出し、見続けなくては。

 

 

弱さを含め多様性を支える社会でないと 

 

「昨今の日本で貧困になるなんて、選択を間違ったか努力を怠ったかだ」みたいに、強い人たちは言うかもしれない。

 

でも第一に、この本を読んでてわかったのが、普通に真面目に働いていたり学生をやっていても、貧困に陥る落とし穴は至る所にあるということ。そして一度身体や精神を壊してしまうと、もう「がんばる」ことが物理的に無理になってしまう場合があるということ。

 

そして第二に、弱い(そうならざるを得なかった環境も含めて)人を社会全体で支える構造になってないとその社会は成り立たないし、いつ支える側の人が弱い立場になるかだってわからない。ある時家族が病気になったり、自分が交通事故で障がいを持つことになったり、心を病んで仕事ができなくなったり、シングルマザー(ファーザー)になったりした時に、それでも生活していけるという安心感があるということは、人が元気に働き社会生活を行う上で基盤であるべき、と心から思う。

 

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中村淳彦さんの本は「AV女優消滅」と「中年童貞」も読み、いつも苦しい日本の状況を見せつけられてつらいけれど、どれも知っておかねばという内容。

冷静に事実が淡々と書かれているけれど、読んだ人みんなが、この問題から目をそらせなくなる事実が入念な取材の上に書かれていて、この東京貧困女子。も期待にそぐわず新たな問題意識を抱かされた。

 

お友だちがウガンダに来てくれた話

海外に住んでみてわかったのは、みんな結構世界を行き来するので

「そこ今度行くので会いましょう!」

みたいな感じで思わぬところで旧交を深められるということです。私もどこか行くときは「あそこには誰がいたかしら」と思うし。

とはいえ、ニューヨークのようにわざわざ観光で来てくれる人はウガンダ生活ではこれまでなかったのですが、この前(と言っても、もう2か月前)ついに友人たちがはるばる来てくれました!なかなか思い切らないと来られないと思うので、思い切ってくれたことがとてもうれしい!!

 

一人は高校以来だったり、一人ははじめましてだったり。それでもとっても楽しい、旅は道連れ、(「世は情け」はあまり関係ない)でした。

 

 

ウガンダ一週間旅行のご参考にもなるように、書いてみます。

 

 

クイーン・エリザベス国立公園のサファリ (Queen Elizabeth National Park)

カンパラに一泊して、最初に行ったのはサファリ。

このいろいろ楽しかった話は下記の別記事にまとめました。

ゾウ、カバ、ゾウに次ぐカバ。

 

でもつい最近、この国立公園で旅行者のアメリカ人の人が誘拐されたというニュースが… まだ解放されていないそうで、無事を心から祈っています。そんな事件聞いたのははじめてですが、しばらく行くのは控えた方がいいかも。

 

ゴリラ

その後私は仕事のためカンパラに戻り、三人はゴリラを見るため Rushagaという地域に移動しました。ラッキーな三人は、森に入ってから10分くらい歩いたところですでにゴリラに遭遇して、すごく間近で見られたそう。よかったです。

ゴリラ許可証に600ドルかかるけれどとてもよかったそうなので私もいつか行きたい。 

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(イメージ画像)

 

 

カンパラの丘の上、カシア・ロッジ (Cassia Lodge)

 

そして金曜の夕方からまた私も合流して、中心部から少し離れた素敵なロッジに遊びに行きました。金曜夜だからちょっと混んでたけれど、ここはカンパラ市内が一望できいぇ夜景が特に最高。

みんなお揃いで買った(私は元々持ってた)キテンゲ布のアフリカンなドレスを着てワイワイ飲み食いして、気温も最高だしとても良い時間。

 

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ビクトリア湖を臨むプールサイド

 

 

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パイナップルサラダ。ウガンダのジン、ワラジも飲みました。

 

 

エンテベの植物園

 

最終日は、朝ロッジで最後にゆっくりした後、先のフライトの二人は空港に行き、まだ時間のある二人で空港があるエリア(エンテベ)を散策。

 

まず、なんか行ってみようかー、と何気なく決めたボタニカルガーデンがすごく広大でした。植物園的なイメージで、温室の中にすごいめずらしい花とか咲いているのかしら、とちょっと思ってたけどそんなことはなく、広大な敷地内にいろいろな巨大な木がばんばん立ってます。

 


ガイドさんも2万シリング(600円)くらいでついてくれて、いろいろ説明してくれる。というかガイドさんいないとどう行っていいかわからないです。

 

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これ一本でちょっとした観光名所になっちゃいそうな巨木が次から次に立っています。

 

 

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サルもたくさんいました

 

 

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あとなんだか印象的だったのは、死ぬほどたくさんのコバエが飛んでて、コバエの竜巻みたいなのが至る所にあって、もうたぶんこれまでの人生で一番大量のコバエを見ました。でもそういう場所だから、汚いって感じじゃなくて、とにかく生命があふれている感じ。(まあ、苦手な人はつらいかな…)

 

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この神々しい光みたいなのも全部コバエ

 

 

エンテベの動物園

 

その後、すぐ近くにある動物園(野生動物保護教育センター)にも行きました。

 

 

これも軽い気持ちで行ったら、入口からは想像できないほど広大な敷地にたくさんの動物。

ライオンとかシマウマとか、サファリで見られなかった動物たくさん見られてなんとなくずるい気分…?いや、そんなことないよね。

 

時間によってはチーターを触ったりもできるとか? (触りたいとそんなに思わないけれど…)

 

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行くところに行けばたくさんいるシマウマ

 

 

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同じくキリン

 

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ライオン、ねむそう

 

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そしてウガンダ名物、頭つんつんカンムリヅル

 

。。。。。。。。。。。。。。。

 

以上、一週間のウガンダ満喫コースでした。

 

昔からの友達にウガンダで会えるのはとても不思議な気持ちがする一方で、でも…

…なんかすごいふつうでもあった!笑

世界は確実に小さくなりつつあります。

 

来てくれて、新たなウガンダを一緒に発見してくれて、感謝。ありがとう。

 

アフリカは、一回来るとまた別の体験をしに繰り返し来たくなっちゃうと思います。でも最初の一回の思い切りは、ツアー旅行に申し込むのでなければやっぱり誰か知ってる人がいる時がよさそう。

悩んでるみなさんは、友達がいる時にぜひ!

 

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ちなみにウガンダ来る際は、黄熱病の予防接種を忘れないでください。予防接種の証明書(イエローカード)を空港で必ず見せる必要があります。(見せないとその場で打たれるとか。)そして渡航より10日以上前に打たなきゃいといっぽいのでお早めに。

他にも、B型肝炎とかポリオ、髄膜炎、狂犬病、マラリア予防薬とか「必須じゃないけどあったら安心かも」というのがあるので事前にお調べください。

 

おわり